ビエンチャンの歌姫に会いに行く2012(2)中国市場

2.ビエンチャン  居心地の良いホテル

2人は適当な所で降りてしまった。私はトゥクトゥクの運転手に予約したホテルの住所を渡していたが、彼もよく分からないようで、その辺で降ろされる。まあ、まだ昼間だし良いか。すると運転手が、看板を指す。言われた方を曲がるとその路地にプチホテルがあった。

かなりきれいなホテルで驚く。土足厳禁。フロントの対応も実に丁寧。1泊35ドル、朝食付き。これは当たりのホテルだ。2階の部屋も広く、ベッドも大きく、シックな雰囲気。WIFIも繋がる。これは快適だ。夜行の疲れが出て、暫し横になる。

このホテル、実に心地よい何かがある。夜も静かだし、翌朝も鳥の囀りで起き、朝食も美味しかった。ロビーのソファーにボーっと座っていると、完全に時を忘れてしまう。ラオスの時間はこのように流れる。

外に出ると日差しが強かった。取り敢えず腹が減ったので、ランチへ。地図で見ると遼寧餃子館という文字があり、そこへ向かう。このお店、恐らくはバンコックにある餃子屋の支店だろう。中国系であることは間違いなく、ビエンチャンを知る取っ掛かりになると思った。

だが、いくら探してもその店は無かった。ようやく看板を見付けたが、店は移転したらしかった。ところがその文字が読めない。完全に手掛かりを失った。仕方なく、その辺で鶏ご飯を食べた。これも安くて美味かった。6年前にガイドといった店に雰囲気がとても似ていた。

焼き鳥

その後、旧市内を歩き回ったが、6年前と殆ど変化が無かった。アジアの各都市、特に首都はプノンペン、ヤンゴンなどどこも大きな変化を遂げているが、ここビエンチャンは違っていた。これはどうしたことだろうか。欧米人の観光客に混ざり、中国人や韓国人も見られるが、その数も多いとは言い難い。

ホテルに戻り、ベッドの横になると、そのまま寝入ってしまった。夜行列車の疲れはかなりあったのだ。ここは癒しの空間というやつだろうか。すっかり辺りが暗くなるまで熟睡した。

夕飯を食べようと外へ出た。爽やかな風が吹いて気持ちが良い。あまりお腹が空いてはいなかったので、麺を食べる。その辺の食堂に入り、「メン」というと麺が出てくる。これはタイ、カンボジア、ラオスどこでも共通で実に都合がよい。家族経営のようで何となく微笑ましい。

それにしてもビエンチャンの夜は暗い。街を歩いていても、相当昔のアジアのイメージがある。所々にきれいなバー屋カフェが見えるが、欧米人向けだろう。何とも素朴な街だと言える。河沿いも観光客が歩いているが、やはり暗い。

フードコートのような場所があり、店先で鶏を焼いていた。ビエンチャンと言えば、ガイヤーンを思い出し、そうすると何故か無性に食べたくなる。ここにはフランス人のオジサンがおり、欧米人に愛想を振りまく。私はビールも飲まず、ひたすら立派な、そしてジューシーな焼き鳥を頬張る。実に幸せな夜となった。

11月3日(土)  Mさん

翌日ホテルで朝ごはんを食べ、午前中は部屋でネットを触って過ごす。私は常に旅をしているので、旅先と言えども時々メール処理や原稿を書く時間が必要である。その場合、その環境で処理能力が大きく異なる。今回はどんどん処理が進む。嬉しい。

あっと言う間にお昼になる。外は日差しが強い。ホテルロビーでMさんが待っていた。彼はビエンチャン在住10年の日本人。この街では貴重な日本人だろう。色々とビエンチャン事情を聴く。ビエンチャンも旧市内は保存地区のような状況だが、郊外には新しいビルが建っており、それなりに発展しているようだ。中国からの投資も活発だが、ラオス政府は支援は貰うものの、ベトナム、タイとの関係、更にはアメリカも含めて、上手い外交のかじ取りを迫られている。今回開かれるASEMがその舞台になるだろう(Mさんも日本のマスコミの取材に付き合うため、明日からは忙しいようだ)。

ホテル近くのフランス料理屋でピザなどを食べる。フランスパンが美味しい。ビエンチャンと言えば、安くて美味しいフレンチのイメージもある。緑茶を頼んだが、ティバッグ。かなり薄めの雰囲気がフランス人的には良いようだ。ここに住んでしまうと、バンコックなどガチャガチャした街は落ち着かないだろうなと思う。

茶館

Mさんに教えられた中国茶館へ行って見る。ここは旧市内の外れ、空港から市内への大きな道沿いに面している。看板に漢字もあり、期待が持てる。店内にはお茶道具もあり、本格的な茶館のイメージがある。

だが、基本的にお茶だけを飲みに来る人は稀で、中国料理を食べるレストランであるようだ。茶葉は台湾産などと書かれた物があり、オーナーは台湾人だと聞かされるも、彼女は今ビエンチャンには居ないとのこと。片言の英語しか通じずに(中国語は出来ない)、あまり意味のある会話にはならなかった。

ラオスで一般の人が飲むお茶は、コーヒーを飲む場所でポットに入っている渋めの緑茶(無料)ぐらい。なかなか商売は難しいだろうが、この店は道楽なのだろうか。

中国市場

更に空港の方向に歩いて行く。茶館の北には中国市場という中国製品の市場があるが、空港近くに新たに新中国市場が出来たらしい。歩くと結構あるが、途中には中国料理屋の看板がいくつか見えた。中国人の流入がかなり多いことが分かる。また建材屋などの看板には大きな文字で漢字が書かれている。Mさんによれば、政府はあまり漢字の看板が目立つのを良く思っていないようだが、商売上必要があればやむを得ない。それ程、中国の影響力が強まっているということだろうか。

かなり空港に近い場所に新市場はあった。規模は相当に大きい。だが、人は殆ど歩いていなかった。そして店舗も埋まっていなかった。看板には「昆明、南寧、広州⇔ビエンチャン」という表示があり、バスなどで繋がっていることは分かる。

店舗には中国製の雑貨類が多く置かれていた。傘やビニールなど中国製品はアジアで最も安くて質もまあまあ。ラオスのような国にはドーッと商品が流れ込んでいる。中国の存在感は道路や橋などの経済支援と、このような日用品の両面からなされている。

三江国際商場と書かれた大きな建物もあった。中に入ると驚いたことにラオスの民族衣装から日本人形まで並んでいた。中国は何でも作っているという印象と同時に何故ラオスに持ち込まれているのか、実に不思議であった。

帰りは川沿いを歩いてきた。まだ日が高かったが、西に傾く様子はなかなか良かった。近所の子供達が屈託なく遊んでいた。

 

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