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ラオス鉄道旅2022(6)高速道路でビエンチャン、そしてウドンタニーへ

ビエンチャンからウドンタニーへ

予約したミニバンは11時を過ぎても来なかった。20分ぐらい遅れて到着、数人を乗せて一路ビエンチャンを目指す。私がバンビエンで降りた理由、それはビエンチャンまでの高速道路も体験したいと思ったからだ。確かにスムーズに100㎞出して走れる高速が完備されていた。これも中国の支援だというから、鉄道と道路の両方をきちんと戦略的に整備している。

ただ途中でバスは高速を降りてしまう。何と一人の客を下ろすためにだ。その為のロスはかなりの時間となり、また高速に戻る。元々1時間ちょっとで着くよ、と言われていたが2時間経っても着かない。しかも何と到着地までもう少しという場所でなぜか休憩まで入る。なんだかおかしいよ、このバス。結局休憩後10分で郊外の辺鄙なバスターミナルに着き、降ろされる。100kは高いのか安いか。

ここから私は国境を目指そうとしていた。残念ながらトゥクトゥクも少なく、圧倒的に私が不利な状況で料金交渉に入る。一緒にバスで来たドイツ人女性は『セントラルターミナルまで行くと思っていたので騙された』と嘆くが、後の祭り。結局私は200kも出してノンカイを目指し、一人走り出した。

それにしても遠く、そして暑さもあった。川沿いには風があり、何とか耐えたが、1時間もかかってイミグレに着いた。イミグレでは来た時もそうだったが、ワクチン証明などと言い出す者は誰もいない。何ともスムーズな旅となる。京都市営バスを撮影しながらタイ側へ渡る。

問題はタイ入国後。空港行のバスはあるのだろうか。入国審査を通過したが、陸路入国のマーク(カウント)もなく、ワクチン証明も求められなかった。そして案の定、バスは無さそうだった。タクシー運転手が900bで行くと声を掛けてくる。それを振り切って外へ出ようとしたところ、600bでもいい、という声が掛かり、気が変わった。

タクシーは早かった。これなら4時にはウドンタニー空港に着く。ということは、5時のノックエアに間に合いそうだ。車内で予約をしようとしたが、何と既に予約サイトはクローズしており、空港カウンターへ行くしかない。タクシーはきっかり4時に空港に到着。走ってカウンターへ向かう。

ノックのカウンターはすぐに見つかったが、何と2人並んでいる。私は恐らく空港でこんなギリギリにチケットを購入するのは初めて。一体何時まで売っているのか、席はあるのかまるで分らない。4時10分になり、ようやく自分の番が来て聞いてみると、購入可能との返事で初めて安堵する。

そしてパスポートと代金を渡し、係員がチケットを発券、という瞬間に、何と空港が停電になる。そんな馬鹿な。すると係員は立ち上がり、発券できませんと言いながら、パスポートとお金を返して、席を離れてしまう。ああ、これで万事休すかと思っていると、5分後に復活。もう一度聞くと『ああ、フライトが20分遅れていますから大丈夫』というではないか。それを早く言えよ。

結局発券は45分前までらしい。そしてその足でチェックインカウンターに進み、通路側の席をお願いするとあっさりボーディングパスが出る。2階の検査場へもっていき、荷物検査を終わったところで見ると、何と座席は窓側。まだ時間があるので元に戻りクレームすると『あら』の一言で済まされる。

それから20分ほどで搭乗時間となり、プレミアクラスの人の搭乗を待ってから機内に入ってみると、何と私の席もプレミアシートだった。何で誰も教えてくれないのだ。確かに400bぐらい高かったが、これは空港で買ったからだと思い込んでいた。確かに通路側がいいと言ったが、プレミアシートでないと席は選べなかったのか、疑問は残るが、まずは乗れただけよかったとしよう。

そして飛行も順調で30分ぐらいした時、トイレに行こうとすると塞がっていた。誰も前方に行った人はなく、パイロットが入っていると分かり一旦席に戻った。そこから5分以上経ち、もう出たのではと思っていると、何とシートベルト着用サインが点灯。私がトイレに行きたいというと、CAが『もう無理です』とつれない。それはおかしいと再度主張すると、チーフパーサーが『いいんじゃない』という感じで、何と滑り込む。それにしてもこの黄色い制服の会社のサービス、なかなかすごい。何だか窓の外を見ると虹が出ており、万事丸く収まったらしいが、気分的にはかなり落ち込む旅の終わりだった。

ラオス鉄道旅2022(5)硬座に乗ってバンビエンへ

宿近くに戻り、さすがに暑さに耐えられずに、カフェアマゾンの扉を押した。中はお客でいっぱい、席もない。注文してもラオス語でしか番号を呼ばないから、自分の分がいつ来るのかもわからない。それにしてもルアンパバーンの中心はここではないか、と思うほどの繁盛ぶりだ。何とかドリンクを手に入れ、さっさと外のパラソルの下で飲む。

駅に行くミニバンを予約していたが、ちょっと早く宿に戻った。あのスタッフと雑談する。やはりルアンパバーンの観光業はコロナで相当の打撃があり、この宿もほんの2か月前にリオープンしたが、客足は戻っていないという。鉄道が通ってお客が満員でも、彼らにとっての一番は中国人観光客。何しろお金の落とし方がタイ人やラオス人とは桁違いらしい。

バンビエンへ

そんな話をしているとミニバンがやってきた。時間前に来るなんてラオスも随分変わったものだ。恐らく私を乗せて駅へ行き、5時に降りて来る客を乗せる列に並ぶのだろう。ミニバンには中国人二人と私しか乗らず、あっという間に駅へ着いたが、今度は駅が全く開いておらず、40分ほど外で待つ羽目になる。そこには飲み物すら売っておらず、例え駅舎内に入っても売店がないことは分かっており、手持ちのドリンクを大切に消費した。

今回乗ったのは中国製硬座。やはり料金が安いせいか、ラオス人の家族連れなどが多く乗っている。列車はボーテンから来るので遅れが心配された(ボーテン方面で大雨、洪水情報あり)が、何と定刻より少し早くホームに入ってきた。2日前の高速鉄道と違い、今回はまさに初めて鉄道に乗る人も見られ、座席を探したり、荷物を置くのにちょっとした混乱が見られたが、それもまた微笑ましい光景だった。

私は2人掛けの窓側の席だったが、隣はかなり体格の良いおじさんが座り、席は狭かった。降りる時に気が付いたが、彼は息子と一緒に乗っていたが席がバラバラだった。それなら席を交代すればよかったのだが、そんな融通も利かない。途中で列車が停車すると乗客に動揺が走る。単なる列車のすれ違いだが、それを誰かがラオス語で説明すると、一斉に安堵の声が漏れたのは面白い。

途中で一つだけ駅に停まったが、乗り降りする人はほぼいなかった。1時間半ほど乗るとバンビエンに到着した。1車両で降りたのは私と隣の親子連れの3人だけ。後は皆ビエンチャンに向けて去っていく。他の車両からある程度の人数が降りてきたが、観光客らしい人は半数程度。

ここでもルアンパバーン同様に乗り合いバンが待っており、皆が吸収されていく。30kで街中へ。中国語が目立っていたが、中国人観光客の姿は殆どなかった。私は取り敢えず宿だけ決めて、予約はしていなかったが、行ってみると拍子抜けするほど安かった。予約サイトの料金はどうなっているのだろうか。まあ部屋は昔風だったが、一応私の基準を満たしており、満足。何よりオーナーが非常に穏やかな人で好感が持てた。

腹が減ったので夕飯を探しに行く。歩いていると川の横であることが分かり、何とか夕日を見に行く。ちょっと桂林を思わせる構図だった。この街、残念ながらルアンパバーンほどには人がおらず、かなり寂しい雰囲気。何とか食堂を見つけて、中華系の夕飯を食べる。街は閉鎖された店舗、売り出される店舗がいくつも見られた。

8月30日(火)バンビエン散策

あまり日の入らない部屋はよく眠れる。実にさわやかな朝だった。この宿は木々が生い茂り、雰囲気は悪くない。朝食はなかったが、あまり食べる気にもならず、散歩に出た。一番近くの観光名所はチャン洞窟、と書かれていたので、そこまで歩いて行ってみる。途中立派なホテルがいくつか見られたが、観光客は見かけない。ホテルとレストランのスタッフを養成する学校があった。確かシェムリアップで10年前に泊まった記憶がある。

ずっと歩いて行くと街外れを抜け、横道に入ると公園があり、その入り口で入場料を取られた。何となく雰囲気がよさそうだったので、そのまま中へ入ると、川が見え、洞窟はこの川を渡るのだという。その渡し船?が無料で送迎してくれる。川は意外と流れが速い。観光ボートを避けながら、何とか向こう岸へ。

そこからは断崖絶壁?が見える。その下まで行くとまた入場料を取られ、しかも外国人は特別料金15kだった。まあいいか、と石段を登り始めるとやはりきつい。息が上がりながらなんとか上まで辿り着くと景色は素晴らしい。洞窟内もきちんと整備されていて歩きやすいがちょっと滑る。所謂鍾乳洞の中を歩く感じだ。

また階段を喘ぎながら降りて、また渡し船で川を渡る。今度は犬も乗ってきたが、降りるのに苦労していた。そしてトボトボと歩いて宿まで帰る。バンビエンは郊外に色々と楽しめる場所があるのだろうが、どうも観光地好きでない私にとってはこれで十分だった。

ラオス鉄道旅2022(4)メコンを見ながらルアンパバーンを歩く

自分の宿の前で降りる。部屋は1階で広い。プール前で椅子もある。何となくリラックス出来そうな宿だった。スタッフの男性も実に柔らかい対応。取り敢えず腹が減ったので近所の夜市に行ってみる。まだ陽は高く、夜市は準備中だった。それでも一部が食べ物を提供していていたので、麺を食べた。

夜市には地元民が多いように感じた。タイ人などもいたと思うが、区別はつかない。白人、そして日本人も見かけたが多くはない。Tシャツを忘れたので買ったが、安いのか高いのかの感覚がない。ただ一番大きなサイズを買っても洗えばちじむ。美味しそうなチョコクロワッサンが出ていたので、思わず買う。ラオスに来たら、パンを食べないと。

ラオスはコロナ禍でずっと鎖国していたが5月に突然開国したと聞く。観光客は少なく(一番の原因は中国人が来ないことか)、まだ周知されていないのだろうか。部屋でTVを点けるとバドミントンの世界選手権で、山口茜とアンセヨンが戦っていた。茜ちゃん、強すぎるよ。

8月28日(日)ルアンパバーン散策

朝からとてもいい天気だった。朝食はオムレツとフルーツ。気持ちよく頂く。あまり暑くならないうちにと、フラフラ歩きだす。昨日の夜市の近くの径に入ると、朝市が開かれている。こちらは地元民用だろうか。そこを突き抜けると、観光客とバスが集まっていた。入ろうとする警備員に正面に回るように促される。

ここは博物館だった。ただGoogleでは今日は休みとの表示が出ていたので何ともラッキー。荷物を預けるところへ行くと横は劇場。そうか、8年前にこの劇場に来た記憶が蘇る。日曜日で思ったより観光客が多く、ゆっくり見学できなかった。王宮だったここにはそれなりの歴史が積み重なっていたが、それもラオスの社会主義化で消えて行ったらしい。敷地内には素晴らしい庭と、大きなお堂、そして王様の像もある。

隣の寺を眺めてから、また先の径に入る。そこにはヘリテージセンターがあり、伝統家屋が見えた。中では民族衣装を借りて写真を撮る観光客の女性が多く、ここもゆっくり見ないで退散した。その細い道を突き抜けると、雄大なメコンが現れた。まあ今回もこの景色が見られれば満足だった。

ちょうど向こう岸に渡る船が出る場所。私も8年前は向こうまで行った記憶がある。そこから少し行き、川べりでコーラを頼み、ゆっくりと川を眺めた。風がそよそよと気持ちよい。かなり長い時間座っていたが、何とか立ち上がり、雑貨店で飲み物を買い込み、宿近くの雰囲気の良い寺を見て、宿へ引き揚げた。

宿でまたテレビを点けると、バドミントンが始まっていたが、なぜか途中から映らなくなり、スタッフに来てもらっててんやわんや。スタッフの活躍で何とか回復し、無事茜ちゃんの優勝を見た。外は相当に暑く、目の前のプールに入ろうか悩んだが、子供連れがいたので遠慮した。

その後また腹が減ってきたので、暑い中を川べりまで歩き、チャーハンを食べた。ここは鍋のいい音がしていたので、間違いないと思ってが、やはり正解だった。付いてきたスープも美味しい。観光客用とは思えないクオリティーだった。帰りにタイで庶民の味方とも言われるカフェアマゾン(ドリンクが安い)があったので入ろうかと思ったが、止めておいた。

代わりに昨晩買ったクロワッサンを屋台ではなく、そのお店で買ったら、値段がだいぶん安かった。屋台は出店料がかかるのだろうか。これが夕飯替わりとなり、その後は宿でダラダラと過ごした。結局目の前のプールには入らずに終わる。

8月29日(月)ルアンパバーン散策2

今朝はバナナパンケーキで一日を始めた。まあまあの出だしだ。それからシャワーを浴びたり、原稿を書いたりして午前中を過ごす。今日は列車が夕方なので、チェックアウト後の過ごし方が難しかった。取り敢えずふらふら歩いていると暑さが堪える。近くに鉄道の切符売場があったので聞いてみると、ここでは現金は受取らず、ラオスのキャッシュレス決済か銀聯カードのみが使えると説明された。これまでの3か所、全て支払い方法が異なるのは何とも困る。

切符売場の横には床屋があり、昭和感溢れる?風情が見られた。それを見て、今日もまたメコン川を眺めることにしたのだが、何だか日陰を探してずっと歩いてしまい、クタクタになる。最後はほぼ端っこのワットシェントーンまで行ってしまい、どうかしていた。まあ川風に吹かれるのは悪くはない。折り返して反対側を歩いて帰る。こちらも川なのでゆっくり眺めながら歩く。

ラオス鉄道旅2022(3)大雨のビエンチャンとラオス鉄道の旅

長い時間話していたが、お客が混んできたので外へ出た。Mさんはさっさと歩き出す。向かったのは、何と不発弾処理展示室だった。これは先日宇和島で劇的な再会をしたTさんがカンボジアで行っている活動に通じていた。ラオスにも同じ問題があり、多くの人が苦しんだ様子が展示されている。ただここは午後4時閉館で滞在時間は10分程度だった。公務員の終業は4時で、帰宅が始まるという。昔の中国を思い出す。

Mさんは更に歩いて行く。ちょっと横丁に入ったところにある日本人M女史が経営するラオスコーヒーの店へ。M女史はコロナで日本に帰国中だったが、幸いお店は開いており、雰囲気の良い店内でコーヒーを頂くことが出来た。コーヒーはパークソンより取り寄せているという。パークソンといえば茶葉もあり、店内では茶も売られていた。今度機会があればM女史に色々と聞いてみたい。

店を出たら突然雨に降られる。かなり激しく降り、傘もないのでずぶぬれになるが、乗り物もいない。10分ほど歩いてMさん行きつけの老舗ステーキ屋へ何とか逃げ込んだ。そこでステーキとスープを食べて温まっていると、Mさんの奥さんと義弟が心配して迎えに来てくれた。食べ終わるとまだ雨が降っており、車で送ってもらう。義弟はパークソンの茶畑なども知っており、次回はお茶関係のところに連れて行ってもらいたいなと思う。

8月27日(土)ルアンパバーンへ

午前中は雨も降らず、また散歩に出た。昔泊まったホテルや行ったカフェなどがいくつもなくなっていた。やはりコロナ禍は観光業への打撃がすごい。ワットオントゥで中国系の供養塔を探してみると、その横に日本人の名前が入った供養塔を2つ発見した。この方々はラオスに貢献して亡くなったのだろう。

昼、チェックアウトして目の前のトゥクトゥクと交渉して鉄道駅へ向かう。料金交渉は意外と難航(場所も知らない)、若者ドライバーは行くのを嫌がる。最終的に2日前と同じ100kでお爺さんのトゥクに乗る。ただこのトゥク、かなりゆっくりで、途中客を拾うなど、30分以上かかる。それでもラオスは交渉価格通りに行くからまだよい。

切符売場の営業時間は決められており、ドアは閉まっている。その横のドアは開いていたので、2階に上がり、トイレに入る。トイレ脇には椅子もあり、数人が休息していたので、それに倣う。列車が一日3往復しかないと、待合室にも入れない。当然エアコンは効いていないが、外よりはマシか。

13時半に売場前に戻ってみると既に行列が出来ていた。ただラオスの行列は何となく緩い。人は先を急がない。10分後には売場窓口へ辿り着き、明後日のルアンパバーン‐バンビエン行の硬座、最後の1枚を何とか買うことが出来た。料金は86kとかなり安い。かなり窮屈だろうが、これも経験だ。

今度は荷物検査場が開いた。身分証チェックがない以外は中国式だ。すぐに中へ入ると、だだっ広いだけで何もない。売店もないので、飲み物すら買えない。ホームに停まっている車両を眺めると、中国高速鉄道と全く同じもの。20分前にならないとホームに入れないのもほぼ同じ。中国人はぎちぎちに行列するが、ラオス人にそれはないので楽ではある。

ホームに行ってもどこが何号車かの表示はない。全て係員の誘導に従う。係員はマスクの上にフェイスガードもしている。各車両に乗務員がいて、チケットをチェックするのも同じだ。一等車の向こう、先頭にビジネスクラスがあるのだが、そこへは行かせてもらえず、写真も撮れない。乗車しても高速鉄道と同じなのでワクワク感があまりない。 

どうやらタイ人観光客が多い。中国人はほんの少し、後は白人さん。日本人は見かけない。ラオス人も多くはない。きっと二等に乗っているのだろう。スピードは150㎞程度で早くはない。最初の1時間は平地を走っている感じだったが、後の1時間はトンネルが多い。工事は大変だっただろう。停車した駅は帰りに寄る予定のバンビエンだけだった。ところどころに貨物車が停まっているのが目に付く。単線なので、すれ違いで10分近く停車していた。

ちょうど2時間で終点、ルアンパバーン駅に到着した。これまではバスで10時間かかっていたのを考えると画期的だ。この駅の形はビエンチャンと一緒。駅の脇から出ると、駅前には本当に何もない。1段下がったところにミニバンが沢山待機しており、送迎バンがシステマティックに行われているのはとても良い。1人、35k。20分ほどで街中へ行く。ラオス人も同乗しており、途中で降りていく。

ラオス鉄道旅2022(2)ビエンチャンの変化

取り敢えず泊る所を考えなければならない。検索するとガーデンホテルという文字から10年前に泊まった宿だと思いそこへ行くと記憶間違いだった。だが面倒なのでそこで料金交渉してみる。タイバーツの現金で払うと言ったら、予約サイトより安い料金でよいという。まあ庭にプールもあり、いい感じだったのでここにした。

しかしパスポートを渡したら投げ返された。どういうこと?因みに後で知人が言うには『予約サイトを通さなければマージンを取られないので安い』という説の他、『従業員が代金を懐に入れた』などの説も登場。いずれにしても不可解な対応だった。

腹ごしらえが必要で外へ出た。ちょっと行くと以前何度か泊った中心エリアに出た。だが昔の常宿は既に廃業していた。最後に泊まった2020年3月、あまり元気はなかったので想像できた結末だった。メイン通りも閑散としており、欧米人など観光客の姿もほとんど見られなかった。常宿の裏に麺屋があるのを思い出して行ってみると、まだやっていた。カオソイがうまい。値段は20kから25kに値上がりしていた。昨今ラオスでは物価が高騰していると聞いているので、この値上げは十分に理解できた。お客が来て嬉しそうなお婆さんには同情する。

ふらふら歩いているとセブンイレブンなどのコンビニはないものの、BigCミニなどコンビニ系の店舗が明らかに増えている。商品もタイなどからの輸入ものが多いだろうから、為替安、物価高はこういう店にどのような影響をもたらしているのだろうか。値段がタイと変わらなければ、ラオス人にとっては割高だろう。

何となく涼しいので、空港の方に向かって歩いてみる。クラウンプラザやサマセットなどの高級ホテルが出来ており、中国人需要が取り込まれたのだろうか。更に行くと中国市場である三江市場が見えてきた。数年前はちょっと大きな市場程度の認識だったが、後方が巨大化しており、明らかに1つの街になっていた。鉄道の開通のための物流拠点として整備されてきたのだろうか。中国語、しかも方言が飛び交っている。

夜はナイトマーケットにも行ってみた。思ったより地元人が降り、観光客もちらほら見える。食べ物の屋台は以前より少なくなっている。川沿いの遊園地はライトアップされていてとてもきれいだった。何となくビエンチャンにも明るい兆しがあるように見えた。

夕飯はサンドイッチをきれいな店で注文してテイクアウトしたが、もう一人の客が注文したハムチーズが見事に私の袋に入っていた。まあ残念というより、これもまた旨し、だ。バゲットは非常に大きく、とても食べ切れない量だった。夜10時頃、部屋の脇でお掃除の若い子たちが女子会でおしゃべり、結構うるさい。そしてようやく寝付いた夜中2時には、あほな酔っ払い白人が大声で話していてとても眠れない。

8月26日(金)ビエンチャン散策

よく眠れぬまま起きて、朝食を食べた。正直美味しくない。ビエンチャンならフランス系の美味しいパンと卵料理があればよいのだが、何とも中国式のお仕着せメニュー。食えるのはバナナぐらいか。コーヒーもインスタントを入れた方が良い。まあこれだから宿泊費が安いわけだ。ちょっと散歩でもしようと部屋から出たら激しい雨が降り出し、慌てて引っ込む。まあ部屋は快適なので午前中はこもる。

昼頃雨が上がり、散歩に出た。歩いて行き、タラートサオでウドンタニー方面のバスを確認。1日5本程度あるのでちょっと安心。その横のビエンチャンセンターには鉄道のチケット売場があるというので見に行く。ちょうど昼休みで係員はいない。やはり現金は受け付けず。ただ銀聯もOKのように書かれているが果たして使えるのだろうか。因みにこのショッピングモール、上の階には食堂もあるが、料理教室、テコンドーやフィットネス、そしてシネマなどの施設もあり、かなり詰め込まれ感が強い。

そこへMさんが登場。既に連絡してあったが、予定が早く終わったとのことで、ここで合流する。奥さんとも久しぶりに会う。彼女は客家であり、標準語も通じる。奥さんは先に帰り、2人でカフェアマゾンに入って、現在のラオスの様子から共通の知人の近況まで、色々と話し込む。因みにアマゾンカフェは、タイでは庶民の味方だが、ラオスでは高級カフェになっているようだ。

ラオス鉄道旅2022(1)切符が買えない?

《ラオス鉄道旅2022》  2022年8月25日₋31日

バンコク生活も半月が過ぎた。するとまた旅心が疼く。お知り合いが既にラオス初の鉄道(中国支援で建設)に乗ったと話すので、私もチャレンジすることにする。だが前途に暗雲が立ち込めていた。どうなるのだろうか。

8月25日(木)ビエンチャンの鉄道駅まで

2年半前、バンコク生活最後の出国先がビエンチャンだった。ある意味で私の東南アジア旅はまたここから繋がるように思えた。しかし今朝は雨模様。雨期とはいえ、何だか最近のバンコクは雨が多い。しかも雷まで鳴り出すと結構恐ろしい。朝早いフライトではなかったが、取り敢えず早めに宿を出た。幸いにもバイタクがいて、MRT駅までは快調に運んでくれだ。雨は少し降りだしていた。

MRTに乗ってチャドチャック駅まで行く。聞けば最近ドムアン空港へ行く鉄道が開通したらしいが、良く分からない路線に乗ってイライラするのは嫌だったので、慣れ親しんだA1バスで行くことを選択した。ところがバスの停車位置が書かれていたのに、バスは全然来ない。そして雨が強くなる。どうするんだ、と思っているとA2がやってきたので、飛び乗る。この辺が分かっていると楽でよい。

ドムアン空港まで30b、15分ぐらいで着いた。空港内、人は多くないが、数か月前よりは少し戻ってきているのだろう。ノックエアやエアアジアのカウンターには多少人がいたが、私が今回乗るタイライオンエアにはほぼ人はいない。Webチェックインしたのに、メールで搭乗券くれない?仕方なくここで再度チェックインして、紙を貰う。

空港の端から端まで歩いてみたが、ラオスでローミングできるカードは売っていなかった。そもそも買うのは外国人ぐらいで、その外国人がいなかったのだからこれまた仕方がない。それでも荷物検査場にはそれなりに人がいたので安心する。検査場の向こうの店は開いているが小物や服などはディスカウントの表示が目立つ。カフェは全開、一風堂もちゃんとやっている。

ウドンタニー行のフライトは搭乗者70%程度。1時間で到着する。空港では国境行ロットゥのチケットを買う。2年半前と同じ200b。すぐに乗車すると、人が集まってきて、すぐに出発。前回は確か4人ぐらいしか集まらず、定刻発車だったが、コロナ後少しは動きがあるようだ。

なめらかな道を1時間で国境に着く。出国手続きは簡単で、バスで橋を越える。バス代30bは15bから値上げか。バスは懐かしい京都市営バス。ラオス入国手続きも簡単で手数料 20bも同じ。ここまでは呆気ないほど同じで、コロナのコの字もなく、ワクチン接種証明など誰一人気にしていない。

まずは銀行のATMでラオキープを引き出してみようと思ったが、両替所が目に入る。なぜかトゥクトゥクおじさんが寄ってきて、シムカードはこっちだという。と言っても言葉が通じず、銀行員に通訳してもらう。50kで1週間のシムが手に入る。彼は私の行き先が鉄道駅だと知り、300bで行くという。しかしキープでも相場が300k(バーツの2倍)と聞いていたので、きっと間違いだろうと思いながら、何となく彼の車に乗ることにした。

鉄道駅へはビエンチャン市内とは別方向に約20㎞、20分で着いた。バーツを渡すと喜んで受け取った。やはりキープの下落でバーツが好まれるのか、それともお客がいなかったのだろうか。それにしても全くの農村風景に巨大駅が出現して驚く。しかも全てが中国様式。駅の表記も中国語とラオ語しかない。中国丸抱えの鉄道だと分かる。

まっすぐ切符売場に向かうとドアは開いている。人はほとんどいなかった。だが今日のチケットは全くなかった(ネット情報で分かってはいたが)。そして明日もビジネス720kがたった1枚残っているだけだという。因みにこの鉄道は二等、一等(ファースト)の上にビジネスクラスがあるのでややこしい。結局明後日午後の1等、これもたった1枚残っていたチケットを384kで買った。

それにしても殺風景な駅だった。駅前に僅かに露天商が飲み物などを売り、ATMが1台あるだけだった。タクシーなども見当たらない。さてどうしたものかと思っていると、仕切り屋のおじさんから声が掛かる。市内まで100kで行くという。仕方ない。結構なスピードで飛ばしていたが30分はかかった。やはり駅は極めて遠い。

サクッとビエンチャン旅2020(3)ビエンチャンからバンコックへ

3月14日(土)ビエンチャンからバンコックへ

昨夜は蚊に刺されて眠りが浅かった。バンコックなどの宿では蚊に刺されることも減り、無防備だったのが災いした。朝起きてロビーに行ってみたが、朝食を食べている人はおらず、泊り客はほとんどいないと分かる。ここの朝食は以前はフランス風でいいなと思っていたが、今や簡素なコンチネンタルブレックファーストに思えてしまうのが悲しい。

昨日街を歩いてみても、開いていないホテルがいくつもあった。観光業が主力のビエンチャンに外国人が来ないことは死活問題であろう。今泊まっている宿も、泊り客が来るとは思っておらず、何となく投げやりに運営しているようにしか見えない。次回ここに来た時、どこのホテルが残っているのだろうか。

食べていると、なぜか誰もいないのにわざわざ私の後ろの席に座る夫婦がいた。どうみても中国人だ。こんな時期だから遠く離れた席に着けよ、と思わず言いたくなる。そしてさらにやってきたおじさんも中国人で、現地の華人と何やら商売に話をしている。ラオスは一部の中国人にとってはコロナの避難場所となっているのだろうか。

ちょっと不愉快な気分のまま、外を散歩する。特に見るべきものもなく、ふらふらと歩く。以前は沢山いた観光客の姿は少なく、どこの宿も店も開店休業状態に見えた。バトゥサイ方面を歩いても、地元の人さえ、ほとんどいない。寺でゆっくり休もうかと思ったが、開いていないところもある。いよいよ世界的にコロナが広がりつつある。後一週間経てば、ここに来ることもできなくなるかもしれない。

飛行機までには時間があったが、外も見るところがなく、部屋に帰って涼む。テレビを点けると、バドミントンの全英選手権をやっており、日本選手と台湾選手の試合を放送している。こういう試合、日本ではなかなか見られないよなあ。それにしてももし東京五輪が開催されれば、バドミントンのシングルスは男女とも台湾が金メダルという可能性があるな、と思ってしまう周天成の動きだった。

11時になったので、宿をチェックアウトして、空港へ向かう。相変らずバスは整備されえおらず、トゥクトゥクを探して料金交渉して乗り込む。運ちゃんも苦しい時間を過ごしていると思うので、ハードな交渉はなしだ。まあ観光客も少ないから、トゥクトゥクもあまりいない。

空港まではわずか10分。ここは何度も来たのでよくわかっている。先月行ったパクセーの空港に比べればさすがに大きいが、それでも首都空港としてはかなり小さい方だと思う。ボードを覗くと、中国と韓国へ向かう便は軒並みキャンセルが出ており、バンコックへ向かう白人などがチェックインをしていた。

カウンターでは少し緊張する。係員はバンコックからどこへ行くのか、と聞いてきたので、東京へ帰ると答えると、案の定帰りのチケットを要求してきた。一応これも想定内で準備していたので、難なく通過した。一番恐れていた10万ドルの海外保険提示要請がなかったのは有難い。勿論熱がないことは入り口で測られていた。

2階に上がると、レストランなどもあり、食事ができるようになっていたが、腹も減っていなかったので、そのまま出国審査を通り過ぎた。乗客のほとんどいないガランとしたベンチでPCを開けて、旅日記を書いていた。すると近くで急にけたたましい話声が聞こえてきた。中国語でこんなうるさい会話を聞いたのは2か月ぶりだろうか。若者が10人以上いるのだが、彼らはどうしてここにいるのだろうか。そしてどこへ行くのだろうか。

推測するに、彼らはラオスに働きに来ていたのではないか。そしていよいよ帰国することになったのだ。ラオス人の係員が突然中国語で『広州行きはあっちのゲートだ』と叫ぶと、数十人がぞろぞろ動いて行き、その中に若者たちもいた。非常に減便されている中、貴重な広州行きだったということか。それにしてもいつもうるさいと思って避ける中国人の団体が何とも懐かしく思えるのは、コロナのせいだろうか。

タイスマイルは最低1日2便、今もバンコック-ビエンチャンを飛んでいるようだった。搭乗すると乗客は半分以下。それでも意外と乗っているなと感じる。一応食べ物も出てきたが、あまり食べたいとは思わない。ドリンクだけを飲んで、目をつぶっていく。果たしてバンコックの空港はどうなっているだろうか。万が一トラブルに巻き込まれたらどうなるのだろうか。昨日離れたばかりのバンコック、たった1日でガラッと状況が変わりかねない中、かなり不安な状況が続いていた。

サクッとビエンチャン旅2020(2)観光客の去ったビエンチャンで

ようやく出たバスは、すぐに橋を渡りラオ側に到着する。ラオス入国の際にも何のチェックもなく、ただパスポートにスタンプが押されただけだった。かなりの緩さと言わざるを得ない。自分の中ではかなりの緊張感があったが、それと相反する国境ののどかさ、このギャップの凄さに驚く。イミグレを出ると、タクシーの運転手が声を掛けてきたが、ビエンチャン市内までの料金は一律200バーツだと言って譲らない。ネット情報ではもう少し安いはずだが、最近は客がいないせいか、タクシーも少ないらしく、交渉はまとまらない。

向こうを見るとバスが停まっているので、そこへ行くと市内へ行くようだったので、バスに乗り込んだ。荷物が少ないので何とも身軽だ。タイバーツを車掌に渡すと、30バーツぐらいの料金のようだった。ビエンチャン市内まではそう離れておらず、何よりタイとは川を挟んでいるだけなので、タイのシムで何とか拾えるので、スマホで地図を見ることもできた。

30分ぐらい走っていると、市内へ入り、結局終点で降りた。この付近、何となく見覚えがあるので、そのまま歩きだした。特に予約はしていないが、ネットで調べておいた宿まで歩いて1㎞ちょっと。その間には以前訪れたことがある寺院などもあり、暑いが安心感がある。

ところが中心部のその宿へ行ってみると、隣のワンブロックが大規模工事中で、騒音がかなりするので、避けることにした。そして昔何度か泊まった宿へ向かったが、ここは何ら変わっておらず、お客もいなかったのに、料金も変わっていなかった。ネット予約の料金も全く同じでつまらない。

靴はロビーで脱いで部屋に上がるスタイルだ。昔はいい宿だと思っていたが、部屋ではネットが繋がりにくく、電気ポットがないのでお茶やコーヒーも飲めず、テレビの画像も悪かった。それでもNHKが映ったので、取り敢えず相撲を見てしまう。朝乃山と御嶽海の取り組み、朝乃山は大関になるだろうか。

午後4時になると腹が減る。今日は殆ど物を食べていないことに気が付く。いつもならビエンチャン名物を探すところだが、取り敢えず近所の麵屋で麺を食べてしまう。腹が朽ちたら散歩だ。華人の様子なども知りたいと思い、華人廟などを探して歩いたが、なかなか見つからない。ようやく川沿いに新しく建てられた廟を見つけるのがやっとだった。

実は今回のビエンチャン訪問は、華人調査の一環であり、以前からのお知合いMさんと連絡を取り合っていたのだ。彼の奥さんは客家だというので、色々と面白い話が聞けるのではないかと思い、楽しみにしていたのだが、コロナの影響で、先日日本から戻ったMさん自身が2週間の自宅待機することになり、直前に会えなくなってしまったのだ。勿論こちらも華人調査よりビザ目的なので、今回は致し方ない。

一度宿に戻ったが、のどが渇いたので、また外へ出た。折角なのでメコンの夕陽を眺めようと川へ向かったのだが、以前と違い、河川敷が開発対象となり、近づけなくなっている。その昔は川辺でガイヤーンを食べた記憶があったのだが、今はかなり奥に引っ込んで道沿いに屋台を集中させている。

屋台では、魚など海鮮を中心に、いい匂いをさせて焼かれていた。私はさっき麺を食べてしまったが、ここはどうしてもガイヤーンぐらいは食べようと探す。だが鶏は大きくて、一人ではとても食べきれない。じっとぐるぐる回っている鶏肉を見ていると、おじさんが私を一人とみて、半分でも売るよ、と言ってくれたので、80バーツでガイヤーンを手に入れ、後ろのテーブルでかぶりついた。やっぱりうまい。大満足で食べつくして立ち去る。

ビエンチャンにはタイのようなコンビニは見当たらなかったが、いつの間にかBigCエクスプレスが出来ており、コンビニの役割を果たしていた。中で売られているものも、タイとそうは変わらない。きっとタイから運び込まれているのだろう。ラオスは人口も少なく、自国生産には向かない国だ。こんな国はコロナだから鎖国する、というは簡単ではないだろう。

今日ビエンチャンの街を歩いてみたが、いつもは観光客で溢れるような場所は、軒並み閑古鳥が鳴いている。白人なども僅かに見られるが、中国・韓国系はほぼいないようだった。ただ地元のラオス人でマスクをしている人の率はそれほど高くなく、コロナに対する意識が高いとは言えないようだった。

サクッとビエンチャン旅2020(1)ウドンタニーから

《ビエンチャン旅2020》  2020年3月13日-14日

元々タイには2か月のつもりでやって来ていたが、その2か月は既に過ぎていた。ここ9年、ひたすら旅を続けてきたが、これほどまでに情勢が変わっていくのは、あまり記憶にない。とにかくどこにいるのが自らの旅にとって一番良いのか、安全か、動きやすいか、などと考えなければならないことはかなりの異常事態である。取り敢えず決めたことは、日本の方が危険なのですぐには帰らないということだけだった。

ただ問題はタイ滞在のビザ免除がもう少しすると切れることだ。昨今の情勢下、どこの国に行って戻ってくるのが利巧なのか。いや、事態が急変してもタイが受け入れてくれる国はどこなのか、を考えて、先月同様ラオスを選択した。だが先月のパクセーは多分に旅行であったが、今回はできるだけ早くバンコックに戻ってくるのが目的、という、私の旅としては珍しいものとなる。

3月13日(金)ウドンタニーからビエンチャンへ

一番簡単なのは、バンコック‐ビエンチャンを飛行機で往復することだが、さすがにそれではあまりに芸がない、ということで、ウドンタニーまで飛行機で行き、バスで国境を越えて、ビエンチャンから飛行機で戻る、というルートを選択した。当日戻るのはちょっと、ということで、ビエンチャンに1泊することになる。

フライトはタイスマイルを選んだ。先日ミャンマー行の国際線に乗ったが、今回は国内線に乗ってみる。少しでも変化をつけないと、旅が余りに単調になってしまう。タイスマイルは国内線でもスワナンプームから出る。MRTからエアポートリンクと乗り継いで空港へ向かった。さすがに車内は空いている。そして空港もガラガラだった。これはほぼ予想通りだ。

国内線にチェックインするのは何年ぶりだろうか。カウンターで『明日ビエンチャンからバンコックに戻るが、何は要求されるものはないか?保険とか?』と聞いてみたが、皆ポカーンとしている。そして空港インフォメーションで聞いてみたらというので、今度はそちらへ回ったが、『それは各航空会社が要請するものだから航空会社に聞け』と言われ、全く埒が明かない。この辺は如何にもタイ的な対応だった。 荷物検査前にはきちんと検温される。

国内線の搭乗ゲート付近には、意外ときれいなお店が並んでいた。でもタイ国内に行くのに、ここで買い物する人がいるのだろうか。田舎の親戚にお土産でも買うのだろうか。フードコート的な物もあるが、料金は国際線のところとあまり変わらず高い。賃料は国際、国内ともに変わらないのだろうか。

機内に乗り込むとCAはマスクに手袋の重装備だった。乗客は半分ぐらいか。殆どがタイ人のように見えた。知り合い同士は隣に座っているが、一人客などは間を空けた席が指定されている。一応パンなども出たが、飲み物もペットボトルの水だけだった。まあ1時間はあっという間だった。

ウドンタニーには数年前、ビエンチャンからバスで来て、そのまま空港から飛行機に乗ってしまったので、街の印象はない。そして今回もまた、街に寄ることはなく、そのまま国境へ向かう。因みに2週間ほど前にビエンチャン行きを思い立った際に、ウドンタニーに1泊するつもりで、キャンセル可能なホテルを予約していた。

だが予約日は16日であり、今回は泣く泣くキャンセルする。ところがキャンセル無料なのは1週間前までだったことに突如気が付き愕然としたものの、実際キャンセルボタンを押すと、その後全くキャンセル料を取られることはなかった。このご時世、ホテル側も仕方がないこととして扱っているのだろうか。

ラオス国境まではミニバスが出ている。カウンターで200バーツ払うと、バスまで案内された。いつ出るのかと聞くともうすぐとのことで好都合だった。だがその後乗ってきたのは3人だけで、いずれもタイ人。結局4人しかいないのであればと、別のタクシーに詰め込まれ、狭い思いをしながら国境を目指す羽目となる。タイミングは金曜日の午後、いつもなら外国人のビザラン希望者が乗ってくるはずだが、週末はビザ申請もできないので、空いているようだ。いや、元々ビザランする人ももういなくなっているのかもしれない。

車は国道に出た。いい道だ。意外と車が走っている。何となく1時間ほど走っていくと、国境に着く。まず一人がその手前で降り、次に私が国境の入り口付近で降ろされた。ということは、ラオスに向かうのは私だけということだ。タイ側イミグレに繋がる道で、『ビエンチャン行くか』とタクシー運転手に声を掛けられた。500バーツで行くというのだが、無視してタイ国境を歩いて通過した。

出た所で通行税を支払うゲートがあったが、今日は無料開放。バスに乗るには15バーツ。ボロボロのバスには既に結構人が乗っていた。かなりの荷物を持って乗り込んでくるので、ラオス人かな。バスはなかなか出発しないので暑かったが、時間はあるのでゆったりと構える。

奇想天外ビエンチャン2013(2)久しぶりに街歩き

3. ビエンチャン2

ビエンチャンへ戻る

そしてついにビエンチャンへ戻る。全く思いもかけなかったノンカイでの1泊。これはこれで面白い経験だったが、さすがに疲れが出た。帰りは実に呆気なく国境を越えた。ラオスへの入国書類を2日続けて書く、香港から深圳に通っている気分だ。

 

ホテルへ戻ると、スタッフが『帰ってきたか』という顔をした。それはそうだろう、折角チェックインしたのにそのままどこかへ行ってしまい、1日以上戻ってこなかったのだから仕方がいない。

 

部屋は偶々Kさんと2人一部屋にしていた。Kさんはこの部屋に泊まりたかった、と嘆く?実は彼は今晩日本へ帰るのだ。『とにかく1時間でも2時間でも寝れば』ということでベットに潜るとすぐに寝てしまった。私は久しぶりのネットに取り組む。

 

夕方ノイが迎えに来て、Kさんを空港へ送る。その車の中で、今回の目的である支援の打ち合わせが始まる。今回はノイプロジェクトの現状が理解できたこと、実際のイベントを見学できたこと、など、収穫はあった。Kさんのノイへの支援の気持ちは固まったと思う。そして晴れ晴れと空港へ消えていった。

 

ビエンチャンの華人

ノイの車で市内へ戻る。今日は沖縄のNさんに紹介を受けた日本人Mさんに会う予定であった。Mさんはラオスと日本を行き来しているが、実質20年以上ビエンチャンに滞在しているという。実は昨日教えられた電話番号に電話したところ、女性が出て、何と中国語を話した。それが中国系ラオス人であるMさんの奥さんだった。

ノイの車で到着したのは中華学校。ビエンチャンにも中華学校がやはりあった。この付近は華人が多いのだろう。Mさんが迎えに来てくれ、ノイを簡単に紹介したが、暗くて分からなかったようだ。後で『え、あのアイドルのノイだったのか』と残念がっていた。我々は普通に接しているが、何といってもノイは有名人なのである。

Mさんによれば、ビエンチャンも最近開発ラッシュなどがあり、相当変化してきているが、まだゆったりと暮らせるという。実際Mさんの家は居心地がよく、翌日から忙しいと聞いていたにもかかわらず、ダラダラと長い時間話し込んでしまった。

奥さんは華人の2代目だったが、色々な地域の華人の地が混じっいているようだった。他の場所だと『広東系、福建系』などときちんと色分けされているようだが、様々な事情でラオスの華人はベトナム華僑やタイ華僑などとの婚姻もあるようだ。ビエンチャンに住む華人はそれほど多くないが、一定の影響力は持っている。

この辺、夜間にタクシーはないという。するとMさんが近所にタクシーを頼んでくれた。やってきたのは奥さんの弟さん。当然中国語が出来るので、話してみる。『最近の中国からの進出の恩恵はないか』と尋ねると、『私たちはラオス人ですよ、今の中国人とは全然違う。彼らは金儲けしか頭にない』と強調していた。

7月23日(火)

ビエンチャンを歩く

 

 

翌朝は一人でホテルの朝食を食べる。私はこの朝食が好きだ。昨日予約していたのに、この飯が食べられなかったことは残念だった。でっかいフランスパンにオムレツ。今のホテルは基本的にビュッフェスタイルなので、このようにオーダーしてウエーターが運んでくるのが良い。

 

今日は夜まで予定がないので散歩に出る。先ずは直ぐ近くの文化会館の前を通ると何やらイベントが。なぜかパンダの着ぐるみが登場、結婚写真を撮るコーナーがあった。ベトナムやカンボジアを歩くと派手な結婚式に出くわしたが、ラオスも結婚式は派手なのだろう。

 

それからバトゥサイ(凱旋門)を見る。7年ぶりだが、この辺は特に変わった様子はない。ただ中国人観光客が目立っていたが。裏の道をどんどん行くと、立派な建物がいくつかある。役所だったり、ホテルだったり。更にその先はこれから開発される地域のようだった。最近の中国から急激な投資、ビエンチャンを変えていくのだろう。

 

ビエンチャンにも日本の銀行があると聞いていた。それがこのマルハン銀行。日本では考えられないが、パチンコ屋さんのマルハンがカンボジアで銀行を開業、今年ラオスにも進出した。ミャンマーにも出るようだ。

 

中に入るときれいな出来立てのオフィス。きちんと英語ができる女性が対応してくれ、日本語ができるスタッフもやってきて、丁寧に説明してくれた。基本的に口座が開設できるのは労働ビザを持っていることが条件。非居住者の私には無理だと分かったが、金利は米ドルで1年定期、6.25%と言われ、ちょっと心が動く。そういえば3年前にプノンペンで聞いたマルハンのレートは5%程度。開設記念キャンペーンなのだろうか。金融の世界では利益があるところにはリスクもある、ということは認識しておく必要はあるが、日本で預金しても0.1%などという実質0の国から考えると羨ましい。因みにその後見つけた中国工商銀行の支店にも立ち寄ってみたが、こちらは実質個人客お断り、の雰囲気が漂っており、金利もマルハンの半分だった。

 

歩いていると日本のお弁当を売っている店があった。後で聞くと日本人が経営しているという。ビエンチャンも着実に変化してきている。お昼はなぜかベーカリーでハンバーガー。このお店、7年前にもあって懐かしくて、入ってしまった。相変わらず欧米人が多い。

 

お寺にも行ってみようと思ったが、なぜかそこで足が動かなくなり、ホテルに退散。午後は旅行記を書いたりして過ごした。こういう時に快適なホテル空間が実にありがたい。日本人にとってホテルは寝る場所かもしれないが、本当はそこで過ごす場所。私のような者にとってはそこが住い。


 

日本のビジネスホテルはコンパクトで効率的だが、正直長くいるのに適さない。恐らくホテル側も分かってそうしているのだろう。逆に日本人に不可欠なのが風呂。だから日本のビジネスホテルは大浴場を併設するところが増えている。

 

夜は旧知のMさんと食事。何とホテルのすぐ近くに日本人が経営するレストランがあった。日本食レストランのイメージで探すとほぼ見落とすようなおしゃれな造り。ビエンチャン在住8年の日本人夫婦がオーナー。日本の家庭料理を思わせる食事が好評とか。

7月24日(水)

ラオセントラル

今日は朝8時の飛行機でバンコックへ戻る日。朝6時過ぎにホテルを出てタクシーを探したが、何と通りに車の気配がなかった。前日ホテルから『タクシーの予約は』と聞かれていたが、7ドルという料金をケチって予約しなかったことを悔いたが後の祭り。本当に途方に暮れそうになる。

 

よく見ると1台のバンが停まっていた。恐らくは客待ちの車だったが、運転手が空港なら行く、と言ってくれた。空港まで行って戻っても十分な時間がったのだろう。料金も6ドルで悪くはなかった。救われた。空港までは僅か15分程度。あっという間に着いてしまった。

 

今日は初めて乗るラオセントラル航空という飛行機。先日バンコックで新しいエアラインと聞いていたのでちょっと緊張していく。料金はLCC並の安さ。チェックインカウンター向かうと、私のパスポートを見た男性が『おはようございます』と流ちょうな日本語で言う。え、日本人、きちんとしたジャケットを着こんだその人はどう見ても日本人。

 

『こちらで働いておられますか?』と声を掛けると、なんとなんと『副社長です』との答え。外資系の航空会社を退職後、最近ここに入社したという。チェックイン後、2階の待合室にいると彼がまたやってきて話す。『とにかく新しい航空会社は安全第一です』という。搭乗時間になり、タラップを登ろうとすると副社長自ら、『行ってらっしゃい』とお見送りする。日本人がこれをすることが評判良いらしい。こんな人がいるんだ、とちょっと面白味を感じる。

 

飛行機は新しくはないが、サービスは悪くなかった。これで行きのバンコックエアーがガラガラだった理由が分かったような気がする。安くてサービスが良ければ客は流れる。この日の乗客はかなりいたことからも分かる。次回のビエンチャン訪問が楽しみになってきた。