《ラオス散歩2013》(11)ルアンプラバーン 日中合弁ゲストハウスに出会う

日中合弁ゲストハウスに出会う

そしてまたメコン川へ出た。河沿いをぶらぶら歩く。気持ち良い風が吹くがかなり暑い。あてもなく歩いて行くと、河沿いに駐車している車が目に入る。何と中国雲南ナンバーだった。こんなところにまで、中国人は車でやってくるのか、と写真を撮っていると、後ろから中国語で『中国人か?』と声を掛けられる。慌てて『日本人だ』と中国語で答えると、相手が『え、日本人なのか?』と日本語で返してくる。

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何とも奇妙な出会いだった。彼は何と北京出身で日本にも留学経験のある中国人だった。中国生活に飽き、環境の良い、ここルアンプラバーンに移住したのだという。そして彼が『私は日本人と一緒にそこでゲストハウスをやっている』というのを聞いて、興味を覚える。

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ゲストハウスは本当に河沿いのすぐそこにあった。日本人もいた。そこへ長老がやってきた。聞けば、華人で中国語が話せるとのことで、早々に話を聞く。おじいさんのお父さんは広東人。『親父は広東から船でハノイへ行き、そこから陸路、カンボジアへ。そしてまた船でメコン川を遡り、ここへ着いたんだ。俺も大学はベトナムのホーチミンへ行ったよ。ベトナムは兄貴分だからな。ずいぶん昔の話だが』。ルアンプラバーンには華人は多くはない。その中でこの老人は華人のまとめ役らしい。

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一日1回は立ち寄るという老人が去り、日本語を話す中国人もどこかへ消えていた。日本人Sさんと話し始めた。驚いたことに90年代香港に駐在し、2000年代は上海や青島にもいたサラリーマンが縁あって、ここまでやってきたという。私と似通った部分もあり、話が弾む。

 

そしてここへ来る前に雲南省のシーサンバンナで仕事をしていたとの話から、先日バンコックのお茶屋で会ったシーサンバンナの不動産屋さんが彼の勤め先であると知り、あまりのご縁に双方驚いた。そんなことがあるのだろうか。彼は今でも時々シーサンバンナへバスで行き、プーアール茶を持ってベトナムへも行くという。まさに昔の物流ルートを行っている。実に興味深い。

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昼飯も食わずに3時間も話しただろうか。話は尽きなかったが、時間が尽きた。空港へ向かう時間となり、次回の再会を期待して別れた。

 

それから急いでホテルへ取って返し、荷物を受け取り、トゥクトゥクを探すが見つからない。暑いから皆昼寝中のようだ。1台のソンテウが停まっており、聞くと6ドルで行くというので乗り込む。空港までは20分ぐらいで着く。

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ルアンプラバーンの興味深い旅も終わった。ラオセントラルで一端ビエンチャンへ戻り、国内線から国際線のターミナルへ移動し、再度チェックイン。乗り継ぎ時間は1時間しかなかったが、そこはローカル空港。何事もなく、バンコックへ戻った。

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