ビエンチャンの歌姫に会いに行く2012(1) 列車でビエンチャンへ

《ビエンチャン散歩》  2012年11月2-5日

2006年にラオスのビエンチャンへ行ったことがある。あれはバーンタオ氏に「行ってみたい」と行った所、「それじゃあ、ボランティアしてください」と言われ、ノートと鉛筆を担いで行った。あのノイちゃんはどうしているのだろうか。何となく、気にはなっていたが、その後行く機会もなく、ノイプロジェクトの消息も分からなかった。

バンコックに滞在を始めた時、バーンタオ氏より「日本のある自治体の人々がノイに会いに行くらしい」との情報を得て、俄然行って見たくなる。ちょうど中国・日本の旅からバンコックに戻り、スリランカへ行く間がぽっかり空いていた。これは行くしかない、が予定は良く分からない。

11月1日(木)   ビエンチャンへ   タイ国鉄の夜行列車

前回はバンコックから飛行機に乗ったので、今回は列車で行って見ることにした。ただ経験者からは「鉄道は遅れるからやめた方が良い」などと言われる。タイのような国の国鉄がそんなに遅れるわけがない、完全な思い込みである。2日前にファランポーン駅へ出向き、ノンカイ行きチケットを購入。混んでいるとは聞いていたが、案の定、寝台車の下のベッドは売り切れていたので、上段を取る。エアコン付にしたら、688バーツだった。

当日MRTでファランポーン駅へ。駅内で麺を食べて気分を出す。沢木耕太郎はここで7歳ぐらいの少年と出会い、その清々しい姿勢に感動していたと思う。しかしこの駅は改札が無い。ホームへの入場は全く自由だ。40分前に行って見たが、列車は入線していなかった。何だか既に嫌な予感が。それでも20分前には無事入ってきて、乗客も乗り込み、定時近くに出発かと思ったが。やはり・・20分は遅れた。夜のバンコックの街を走るといれば聞こえが良いが、暗闇をあまりにもゆっくりと行く。どうなっているのか、まるで交通状態の様相を呈している。ドムアン空港横の駅まで1時間半ぐらい掛かった。先が思いやられる。

あまりにやることが無いので食堂車を覗く。何人かがビールを飲んでいる。私はちょっとお腹が空いたので、野菜炒めとご飯を貰う。これで100バーツは高い。食堂車の従業員は家族かな。英語も出来て、会話も出来た。でも意外と忙しい。兎に角売り上げを上げないといけないらしい。飲み物のオーダーなどをひっきりなしに取ってては客車に運んでいく。

出発当初は座席となっていた下の段、車掌さんが来て、順次寝る準備に入った。先ずは上の段にシーツを敷き、枕を置く。下の段も椅子をたたみ、ベッドに。実に手際が良い。このスピードがあれば、列車は遅れないはずだが。本当にやることが無くて、寝る。ところが上の段は結構狭い上に、クーラーが効いていてかなり寒い。一応パジャマを持って来たので着込むがそれでも足が冷える。困った。列車の走行音も良い影響を与えず、眠りは凄く浅くなる。この季節はクーラーなしの車両を選択するのがよい。欧米人でもクーラーを嫌って、かつ安い車両に結構人がいた。失敗した。

11月2日(金)

この列車の所要時間はバンコックからタイとラオスの国境であるノンカイまで12時間。夜8時に出て、朝8時に着くはずである。ところが朝6時頃起き上がっても、一向に着く気配がない。というか、車内放送は全てタイ語で全く分からない。私はラオスのガイドブックは持っていたが、タイの物は持っていなかったので、地名が分かっても今どのあたりは分からない。まあ、終点まで行くのだから気にすることはない。

食堂車で朝飯を食う。カオトーン、にんにくの効いたお粥、雑炊?これはどこで食べても美味い。車窓から朝日を眺めながら食うとまた格別である。食堂車ではトーストやサンドイッチとコーヒー、紅茶のデリバリーが忙しい。皆、自分の席で食べているらしい。席に戻ると寝床はきれいに片づけられ、座席になっていた。

朝8時になったが、今どの辺だろうか。東京なら「ただ今3分遅れています。誠に申し訳ありません」などいう放送が流れるが、ここでは釈明も無ければ、勿論謝罪などない。皆、黙々と目的地到着を待っている。斜め向かいの爺さんが時々笑顔を送って来るが、何しろ言葉が通じない。それ以上進展しない。

ノンサット、という駅名が見えた。ノンカイに近いのかと思ったが、まだまだ列車は水田地帯を走る。ようやくウドンタニという駅名が見え、大勢が降りていく。どうやらもうすぐのようだ。最後に座席車両を見学したが、この固い椅子で10数時間はきつそうだった。

ついにノンカイに着いた。時刻は午前11時40分、実に16時間近くが経過していた。遥々来たな、そんな田舎の風景があった。

たった15分の国際列車

乗客は待ちかねたように急いで降りていった。隣の爺さんも笑顔で出て行った。そして殆どの人が駅の外へ足早に出る。そこからトゥクトゥクに乗って国境を越えるらしい。私は周囲を見渡した。そこにはわずか2両の列車が見えた。これだ、私の乗るものは。駅舎の中にチケット売り場があった。2等車30バーツ、3等車20バーツの表示があったが、どう見てもそんな区別はない。20バーツ払う。そしてイミグレを通過。ただの改札を通るような感覚で、タイを出国した。

実は旅行作家のSさんから以前話を聞いていた。「たった15分の国際列車」この列車はバンコックから来る列車の乗客の為だけに運行されている。だから、列車が4時間遅れれば4時間待つ。Sさんは態々別ルートでノンカイに入り、朝から駅のベンチでこの列車を待ったが、その時は6時間遅れだったという。笑えない取材だ。

列車はとても国際列車とは思えない車両。昔の日本の私鉄を思わせる。乗客は大きなバックを背負った欧米人ばかり。この列車の価値を見出す人々である。そして全員のイミグレ通過を待ってようやく発車する。何ともローカルな国際列車。

すぐに川を渡り、国境を越えたことが分かる。タイもラオスも長閑な農業国。線路脇に結構きれいな住居がある。国境貿易で儲けたのか、それともタイからの投資か。ビエンチャンで開かれるASEM歓迎の看板が出ている。こんな所から入る代表団もいないと思うのだが。そんなことを考えていると、もう列車はブレーキを掛けた。何とも呆気ない旅だった。

全員がホームへ降りる。欧米人がビザ申請書を受け取り、書き始める。私も申請用紙を貰おうと思ったが、係官が「お前は日本人か、それならあっちいけ」と素っ気ない。仕方なくあっちに行くと、いきなり入国スタンプを押され、解放される。何と日本人はビザ不要となっていた。そんなことも知らないでやって来てしまっていたのだ。

この何もない駅からビエンチャン市内へはどうやって行くのか、全く分からない。しかし出口に付近にテーブルが出ており、看板にはビエンチャンまで車で400バーツと書かれている。何でそんなに高いのだ、完全に旅人の足元を見ている。何とかしたかったがどうにもならない。とそこへ、若い男女がやって来た。同じように困っていた。そうか3人で借りよう、ということになり、結局一人100バーツでトゥクトゥクをゲット。

ベトナム人の女性とフィリピン人の男性。ラオスでは日本などの他、アセアン諸国にはビザを免除しているらしい。ようするに我々3人だけがアジア人、残りの乗客は欧米人だったことが分かる。何となく愉快な気分になり、風に吹かれながら、旅を楽しむ。ノービザの3人、これはいい出会いだった。




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