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ボルネオ探検記2019(10)突然のクアラブライト、そしてミリへ

クアラ・ブライトで

車でバンダルスリブガワンを離れた。あっという間でよく分からないうちに逃れ出た感じだ。車は真っすぐ高速道路のような、滑らかな道を進む。意外と速度制限を守らない車が多い。最近はネズミ捕りの機械も導入されているとか。1時間半後に、セリアというイギリス軍基地付近に着いた。基地内に侵入して?そこのスーパーへ。イギリス軍関係者向けの物が売っているということで買いに来た。やはりブルネイの買い物事情はそれほど良くないようだ。

 

この辺でマレーシア行きのバス停を探すと、もう国境に近いクアラ・ブライトにあると地図が示している。そこまで車で約30分、街に入るところで長距離バスとすれ違う。何とかバスターミナルを見つけたが、バスはいない。小型バスの運転手は寝こけており、たたき起こして聞くと『ミリ行きのバスは10分前に出たぞ、今日はもうない』というではないか。さっきのバスだったんだ。タッチの差で逃してしまった。何と1日2本、バンダルスリブガワンから来るバスしかないのだ。

 

一応タクシー会社にも聞いてみた。60BD出せばミリまで連れて行くというが、私の腹はここに1泊と決まっていた。Aさんは心配してくれたが、明日のバスは確実にあるし、未知の街に泊まるのはちょっとワクワクするからよい。バスターミナル近くにあったホテルに飛び込み、Aさんとはここで別れた。ホテル代は75BDだが、タクシーに乗るよりはマシで、しかも部屋はかなり良く、ベッドがフカフカ。Wi-Fiもサクサク。フロントの対応もとても良いので気に入ってしまった。

 

夕方、クアラ・ブライトの街を散策する。地球の歩き方にも載っていない街だ。平屋の家がゆったりと建っている、とても落ち着いたいい雰囲気。海沿いに行くと、海風が心地よい。家の前を掃除している華人のおじさんが、丁寧にあいさつしてくれる。何とのどかなところだ。きれいなモスクも見える。平和とは何か、を考えた。

 

そういえば今日ブルネイを出るつもりだったので、ブルネイドルをそれほど持っていないことに気が付く。勿論日曜で両替は出来ないので、明日のバス代も考えると節約が必要。ちょうど市場があり、美味しそうなものを売っていたので買い込んで部屋で食べる。僅か3BD。地元の人もたくさん来ていたから、これが一番いい夕飯なのだろう。

 

食後、暇なので洗濯に出る。サンダカンで一度洗濯しただけだったので、ちょうどよい。ここのコインランドリーは機械がキレいだ。だが料金はマレーシアのほぼ倍、しかもコインは専用コインで、両替しすぎて困る。すると隣にいたおばさんが、引き取ってあげるというではないか。そこへ続々と洗濯する人が現れ、満員盛況となる。ブルネイ人はなぜこんな快晴の日に、夕方コインランドリーで洗濯するのだろう。一種のコミュニテー化している。順番待ちしながら井戸端会議か。

 

2月24日(月)
ミリへ

翌朝は雨が降っていた。7時半に朝食に行くと、ビュッフェではなく、セットメニューを選ぶ方式だった。そしてボリュームある熱々の朝食が出てくるのでこれもよい。何だかこのホテル、とても満足度が高い。バスは9時半に来る予定だが、念のため9時過ぎにはターミナルで待機せよ、とフロントが言うので、そうしようと思ったが、ものすごい雨が降っていて荷物を持って出られない。するとボーイが荷物を持ってくれ、ターミナルまで誘導してくれた。これもとてもありがたい。

 

バスはいつ来るのか。おじさんが寄ってきて『今からミリに行くけど、バス料金払ってくれれば乗せていくよ』と誘ってくれた。だがそれではここまで苦労した意味がない。バスに乗りたいと断ると怪訝な顔で去っていく。ここでバスを待っていたのは白人のおばさんと私だけだった。バスは9時半前にやって来た。

 

バスの乗客は白人が数人だけ。このバスの利用者は本当に少ない。15BD。バンダルスリブガワンから20BDと聞いていたから、ここまで来てもあまり節約にもならない。雨は上がっており、バスは快調に国境を目指す。30分ぐらいで国境に着き、まるで我々専用かと思うイミグレで出国手続き、続いてマレーシア側へ行き、入国手続きを済ませる。週末は混んでいると聞いていたが、閑散とした国境、人の気配はなかった。

 

バスはそのままミリに向かって、田舎道を走り続けた。そして郊外のターミナルで停まる。ここから路線バスで市内へ行きたかったが、基本的にないようで、仕方なくタクシーに乗り込む。ここでもミリホテルを指定する。20MR、ブルネイ感覚からすると安い。20分ぐらいで市内に入り、すぐにミリホテルに到着した。

だが、ミリホテルは正直かなり古く、リノベーションもしていない安ホテルだった。それでもフロントの対応は悪くないので泊まることにする。1泊80MR。久しぶりに昔のタイの安宿などを思い出す。ミリの街にはあまり人影もなく、落ち着いているというより、ちょっと寂しい雰囲気だ。

ボルネオ探検記2019(9)突然の出会いから急展開

2月22日(土)
市内に戻るも

翌朝は建国記念日で、年に一度市内の広場に王様がお出ましになると聞いていた。普通の観光客なら年に一度の機会だから無理しても見に行くのだろうが、ものすごい人出になること、朝が早いことから、この折角の機会をパスして、ゆっくりした。まずは周囲の散策。ただこの辺には特に見るべきものもなく、祝日の朝ということか閑散としていた。朝ご飯もまた昨晩食べたレストランで取る。ここで出される朝食が全て少しずつ入っているスペシャルを注文。朝から豪華な気分に浸る。

 

部屋の居心地が良かったので、そのまま昼のチェックアウト時間まで、ブルネイからの脱出?手段などを考えつつ、ダラダラと過ごす。市内中心部に戻るにはまた55番バスを待つ。意外なほどすぐにやってくるが満員。パキスタン辺りから来た労働者だろうか、すぐに荷台にスペースを作り、座らせてくれた。

 

バスターミナルまで戻り、また両替所を覗くと休み。その付近の店も多くが開いていない。周辺には出稼ぎ労働者らしき人々が大勢屯している。取り敢えず予約しておいた前のホテルに再チェックイン。だが早過ぎると言われ、荷物を預けて外へ出る。どこへ行こうかと迷ったが、確かブルネイには世界に2つしかない7つ星ホテルがあると聞いており、暇だからそこを見に行こうと考えた。

 

ところがバスを待っても全然来ない。ようやくやってきたバスはすぐに満員となり、乗る気が失せてしまう。そこで昨日閉まっていた歴史センターを再訪するも、今日も閉館。確か昨日おじさんが明日来い、と言っていたのに、と言っても始まらない。建国記念式典会場もほぼ片付けが終わり平常に戻っている。ホテルの北側に立派な華人学校があるのを見て、ホテルに帰り部屋で休む。

 

何だかブルネイに来てから、ツイていないことばかりのように思える。だが裏を返せば、それほどに私は何も知らずに、マレーシアの続きだ位の感覚で、初めての国に気軽に来てしまったともいえる。これはある意味で危険な兆候だろう。中東や西アジアならもう少し慎重に調べをしてから来ただろうか。

 

夕方外へ出たが、どうもブルネイではおいしそうな食事が見当たらない。折角なので朝誰もいなかったバーガーキングに入って見た。何と私はここで食べるのは生まれて初めてだ。お客さんは多少いたが、バーガーは決して美味しくはなかった。それはブルネイだからだろうか。その後海沿いを歩き、また夕日に見とれる。南国の夕日はどこでも見てもそれなりに感動的だ。大勢の人がジョギングやランニングをしている。

 

2月23日(日)
突然の紹介で

今日は午後1時の直通バスでブルネイを抜け、ミリに向かうことにしていた。だが朝FBを開くと、北京時代の知り合いから突然ブルネイ在住日本人、Aさんを紹介された。どうやら二人は韓国ソウルの駐在仲間らしい。どんな人かも分からないうちに、電話をもらい、早々会うことになった。

 

家族4人で車に乗ってやって来たAさん。ご主人はアメリカ人で、二人のお嬢さんも数か国の滞在経験があり、日本語より英語がうまい。取り敢えずブランチを食べに、ブルネイ大学のキャンパスに向かう。自然環境抜群のキャンパスが郊外にあった。そこのカフェに入る。ハンバーガーを食べる。昨日のバーガーキングとは大違いだ。ブルネイにも大学は4つあるそうだ。

 

それから昨日行けなかった7つ星ホテル、エンパイヤホテルにも連れて行ってもらった。やはりブルネイでは車がないと何もできないと実感する。何しろホテルと言いながらも、敷地が広大すぎる。ゴルフコースも敷地内にあるようで、とても歩いて回ることなどできない。ホテルロビーも広く、その割にお客さんは少ない。外国人、特に韓国人が目立っている。ビーチとプールを眺める。

 

ここも元々は王室関連施設らしい。こんなホテルが1泊2万円ぐらいで泊れるようで、韓国人はゴルフツアーに来る。確かにブルネイで一般観光客がすることは限られている。昨日待っていたバスもここの玄関口まで乗りつけてくる。このホテル自体が一大観光資源という訳だ。

 

それから我がホテルに戻り、荷物を持って再び車に乗り込む。本来はバスでミリに向かうはずだったが、Aさん夫妻が『ミリまでは行かないが、マレーシア国境近くまで買い物に行くので、そこまでは乗せて行ってもよい』と言ってくれたので、お言葉に甘えることにしたのだ。通常ルートでない旅、ワクワクする。

 

まずはAさん宅に寄り、お嬢さん二人を降ろす。家は郊外のいい一戸建てであり、申し分ない。周囲の家も皆素晴らしく、住人も良さそうだ。英語はどこでも通じるのでブルネイで言語を学ぶ必要もない。駐在員ならこんな生活が出来るのだろう。ブルネイには日本人は全部で100数人しかいないという。

ボルネオ探検記2019(8)ブルネイ 魔の金曜日

2月22日(金)
ブルネイ 魔の金曜日

翌朝はゆっくりと起き上がる。まずは8時から開いているという両替に向かう。両替所は開いていたが、何と人民元は両替できないと言われてしまう。この国には中国人は来ないのだろうか。慌てて米ドルを出すも、100ドル札しかなく、仕方なく日本円5000円札を渡すと、レートは非常に悪かった。日本人でブルネイに来る人は少ないのだろう。石油などの貿易ではあんなに緊密なのに。

 

朝ご飯を探すが、見付からず、バーガーキングを覗く。ところが開店しているはずなのに、お客はおろか、従業員も一人もいない。こんなファーストフード店初めてだ。仕方なくその裏へ行くと、華人経営の食堂がある。粥でも食べようと入っていくと、店員が『アメリカンブレックファーストね』というので、思わず頷き席に着く。茶を頼むと何も聞かずに、甘いミルクティが出てきた。

 

次にシムカード購入へ進む。午前9時からショップが開くというので行って見たが、ブルネイにはプロバイダーが2社しかない。安いと言われた方へ行くも、『もう安いシムはない』と言い放たれ、それならもう1社へと、向かいの店に入ると、店員はとても親切だ。だがシムカードは25BD(約2000円)と高額。それでもそれしかないのだから買う。競争が働かない国はこうなのだ。

 

それから王室資料館、ロイヤル・レガリアを見学。外観もモダンな作りで中も豪華。如何にもブルネイの王室関連らしい。無料で入れるが、靴を脱ぐことと写真は禁止。ブルネイの歴史、王室の歴史を知りたければ、ここに来るのが良い。観光客も多かったが、その苦難の歴史をどうみていたのか。入り口付近で写真を撮る人ばかりが目立つ。

 

ただ華人の歴史など、私の興味にある分野はないので、一周したら、すぐに隣の歴史資料センターへ移動した。ところが靴を脱ぎかけると係員が飛び出してきて『今日は休みだ、明日来い』という。金曜日も開放しているはずなのになぜだろうか。仕方なく、海の方へ歩いて行く。天気は良いので景色は良い。ボートから『乗らないか』と声が掛かる。対岸の水上生活者の村へ行くらしい。遠くに王宮も見えたが、その気分ではなかったので、乗らずに部屋に帰る。

 

12時前にホテルに着き、まずは横にあるショップで飲み物を買い込む。金曜日の12時から14時の間、この国の全て食堂、ショップは閉まってしまうと聞いた。勿論博物館も役所も交通機関も全て停まる。そんなことが出来るのはこの国しかないだろう。お祈りの時間は厳格だ。イスラム教+絶対王政、強烈だ。静かな時間が始まる。

 

そんな日にホテルを追い出される。どうせバスも動かないが、ホテルも実質停止だから2時まで部屋にいたいと言って見たが、なぜか1時にチェックアウトさせられ、後はロビーのソファーで寝ていた。1時45分位に外へ出ると、既に私有車は少し動き出し、職場に戻る人々が歩いていた。

 

この付近のホテルはどこも満員で予約できなかった。よく場所も確認せずに予約画面に出てきた中で手頃なホテルを予約したが、何とそこは中心部から7㎞も離れたところだった。どうやって行けばよいのか分からずにバスターミナルで聞くと、『55番に乗れ』という。そのバスは2時過ぎにやってきたが、そこにはなんと、昨日ムアラのフェリーターミナルから一緒にバスに乗ったアメリカ人がいた。聞けば昨日からそのホテルに泊まっているらしい。

 

バスはほぼ満員の乗客を乗せて郊外に走り出す。所々にショッピングモールなどが見え、ブルネイ人はちょっと郊外に住み、車で移動していることが分かる。バスに乗っているのは外国人、それも観光客と出稼ぎ者だった。30分ぐらい走るとアメリカ人が『ここで降りるぞ』という。降りて行くと店が何軒もあり、スーパーまであった。

 

その向こうに今日のホテルがある。場所が悪いだけに、値段の割に部屋は悪くなかった。明日の建国記念日の影響で中心部に泊まれなかった外国人観光客の多くがここに泊まっていて、ちょっと異様だった。お祈り時間のせいでランチを食べ損ねていたので、ホテル並びの食堂に入る。ウエートレスが恐る恐るやってきて英語で注文を取り終えると『やったー、出来た』と言う感じで、仲間と喜んでいた。

 

暑いのでスーパー見学。脇の入り口から入ろうとすると、そこはノンハラール部門。豚肉などハラール処理されていない商品が置かれていたが、売り場は凄く小さかった。正面から入り直すとすごく大きなスーパー。物価は日本より高いもの(野菜など)もあるが安いもの(肉など)もある。飲み物コーナーに大量の日本茶ティバッグがあったのは何故だろうか。緑茶ブーム?

 

特に行くところもないので、快適な部屋で過す。夜になり腹が減るとまた並びの別の店に入る。ディナーセットとして、パスタとドリンク、ケーキというのがあり、それを注文。ここのパスタ、うめ―!なぜこんなところの料理がこんなに美味いのだろうか。ブルネイ、侮れない。ケーキもまあまあで満足。これで11BDは高くはない。

ボルネオ探検記2019(7)KKからラブアン経由ブルネイへ

2月21日(木)
ラブアン経由ブルネイへ

朝6時前に目が覚めた。ホテルを早々にチェックアウトして、ジュッセルトンのフェリーターミナルに向かう。朝早いので車はそれほど走っておらず、荷物を引いて10分もかからず到着。午前7時前に窓口へ行き、フェリーチケットを購入。目的地はブルネイであるが、マレーシアのラブアンという島を経由していくので、2度乗ることになる。その通しチケットが買えた。60MR+税、国際フェリーとしては高くない。

 

本日も快晴で海はきれいだ。ターミナルには観光客が集まってきているが、彼らはラブアン行きに乗るのではなく、近隣のリゾート島などへ向かうらしい。乗船時間になっても、乗り込む乗客は僅か。フェリーは、香港から珠海などへ向かうサイズより小さい。席は指定されているが、実質自由席。1等と2等があるが、それも5MR程度の違いで、2階か1階らしい。

 

フェリーは揺れも少なく順調に航行しているが、海しか見えない、それも窓が汚れているのできれいには見えず、かなり退屈。そして何よりも寒い。船内のエアコンが効きすぎており、皆それを予想してか、かなりの厚着をしているではないか。何故エアコンを調節しないのだろうか。結局この寒さで眠ることも出来ず、3時間半の間、凍えて過ごすことになった。

 

ラブアン島には11時半前に着いた。ブルネイ行きのフェリーは午後1時半発だから、約2時間島に滞在する。ラブアン島と言えば、アジア金融の世界に身を置いた者としては何とも懐かしい。ここはマレーシアのタックスヘブンで、マレーシア内の外国企業が海外で資金調達する場合、ここラブアンに法人を設立して窓口としていた。しかしまさかこの島を実際に訪れることになろうとは、思いもよらなかった。しかもブルネイ行きの為とは、本当に驚きだ。

 

フェリーから見えた島は、一部に近代的な建物が建っていたが、全体としてはのどかな場所だった。街を歩いてみても、マレーシアの田舎町の雰囲気が出ている。荷物を持っているので遠くに行けず、近場を散策。コンベンションセンターなどもあるが、昔ながらのショップハウスが並んでいる。ターミナル前では免税と書かれた酒などが売られているが、これはKKやブルネイの人が買うのだろうか。

 

腹も減ったので、海南チキンライス(焼)を食べる。ここも華人経営、店は繁盛していた。店のおばさんが笑顔で接客しているのが良い。ターミナルに戻り、念のためにチケットを見せると、チケット売り場を指さされる。行って見ると、ここでも利用税?5MRを別途徴収された。知らないで乗ろうとするとちょっと面倒だったかもしれない。

 

乗船時間にコールされ、簡単な審査で出国する。乗客は先ほどよりもさらに少ない。この人たちはどういう目的で乗船するのだろうか。フェリーのサイズは国際船なのに先ほどよりもさらに小さい。何となく不安が過るが、今回は寒くないので寝てしまった。起き上がると既にブルネイに着いているではないか。

 

1時間半の船旅、ムアラというそのターミナルは本当に何もない所だった。入国審査は簡単だったが、荷物検査では機械を通したうえで開けるように言われる。密輸でも疑われているのだろうか。それが済むと何もない出口へ。僅かに小さな両替所が1つだけある。既にブルネイドルはKKで両替しておいたので問題ないが、ここのレートは良くない。

 

シムカードも売っていない。いや食堂や売店すらない。今日のフェリーはもう終わっておりチケット売り場は閉まっている。まさに裏口からこっそり入った感じだ。係員に聞くと、その内バスが来るという。タクシーは一台いたが、誰かが乗って行ってしまった。半数以上は迎えの車に乗り込み、バスを待つのは外国人だけ。

 

30分経ってバスが来た。やれやれと思っていたら、すぐに乗り換えを命じられる。ブルネイのバスはどこまで乗っても1ドル。因みにブルネイドル、理由は分からないが、シンガポールドルと等価であり、ブルネイでもシンガポールドルが使えると聞いた。

 

運転手にホテルの場所を告げたところ、うーんという顔をしたが、兎に角このバスに乗るしかない。ブルネイは資源があり、豊かな国だと思っていたが、郊外を走っていると本当に緑が多く、自然環境が良い場所だった。30分ぐらいで街中に入る。いつもならスマホ地図でホテルを探し当てるのだが、シムカードがなくそれも出来ない。不安に思っていると、運転手が急に停まり、『あのビルに裏だから歩いて行け』という。

 

行って見ると屋外マーケットがあったが、そこは行き止まりで大回りしていくと、ちゃんとホテルがあった。ちょっと古いが快適そうな部屋だったので、明日もう1泊をお願いすると『明日は建国記念日前日で満室だ』とあっさり断られる。仕方なく、街でシムカードを買い、両替所状況も調べようと出掛けたが、結局シムカードを買うことも出来ず、両替所も既に閉まっていた。

 

途方に暮れつつ、夕飯を探したが、マレーシアのような安食堂も見当たらず。夕日がとっぷりと暮れていく。ついにケンタッキーに入ってしまう。ここはマレーシアに比べて物価が1.5倍以上だと知る。食後は、街一番のモスクまで行って見る。ライトアップは素晴らしいがイスラム教徒でなければ堂内に入ることは出来なかった。何も調べずに来た私は久しぶりの厳しい洗礼に打ちのめされた。