初の中央アジア カザフスタンを行く2014(16)アルマトイ イミグレは進まず

街歩き2

それからまた街歩きを始めた。東の方へ向かう。立派なビルが立ち並ぶ場所がある。HSBCの看板が出ている。こんなところまでHSBCは来ているのか、やはりお金持ちは多いということだろう。海外送金を見込んでいるに違いない。トルコあたりに資金を流して、不動産を買っているとの話もあった。

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本屋もあった。入ってみると何と英語のアルマトイ地図を売っている。これが欲しかったんだ、最初に。今回は何か歯車がかみ合わなかった。更には壁に貼るような大きなカザフ全土の地図も出てきた。あるところにはある物だ。これは外国企業が資源開発用に作ったものが横に流れたらしい。

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立派なスポーツセンターもあった。字は読めないが、どうやらバレーボールのアジア選手権があり、日本代表も出場するらしい。カザフは2022年の冬のオリンピックを目指しているが、その内アジア大会、そして夏のオリンピックを開くつもりかもしれない。資金はある程度あるのだから、各競技に力が付けば可能な話だ。

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地下鉄に乗る。前回も一度乗ったが一駅だったので、今回は思い切って終点まで乗ってみる。だがホームに行っても、どちら方向に乗るのか分からない。駅員のおばさんに聞こうとホームの端に近づくといきなり怖い顔で『線を踏み越えるな』と言った、と思う。その姿に『いまだにカザフは公務員が人々を管理する』という感覚が、ソ連式が色濃く残っていることを強く感じた。

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終点で降りると、そこは郊外の駅。マンションが建ち始めているが、特に何もない。簡易バーがあったのでN教授はそこで一杯と立ち寄ったのだが、トイレに行きたいというと『ずーと向こう』と言われ、まずはトイレを探す。言われた場所はレストランだった。1階にトイレがあり、無料で使えた。面白そうなので2階へ上がると、フードコートのようになっており、午後4時だというのに大勢の人が何か食べていた。よく見るとお茶を飲んでいる人、ビールを飲んでいる人もいる。我々もここに加わり、N教授はビールにあり付く。こんな簡単で言葉が出来なくても気楽に食べられる場所があるなんて。我々はシャルハル氏らのお世話になり過ぎ、アルマトイを知らなすぎることを痛感したが、もう遅かった。

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また地下鉄に乗り、昨日行ったカフェを目指す。降りる駅は違っていなかったが、道を間違えたのか、別のところへ出てしまう。何しろ英語の表示が少ない。大きな通りだと辛うじて英語が書かれているが、普通はキリル文字。これは意外と困る。歩きやすい街並みなのだが。

 

ちょっとおしゃれなレストランに入る。何とかWIFIが通じたが、若者などが来るバーなのか、音楽がうるさい。昨日のカフェの心地よさはなかった。店員も何かやる気の無さが感じられる。大きな立派な店なのでお金持ちだけケアーしているのだろうか。風もあまり通らない。トイレは室内の地下にあり、ロシア風の重厚な造りであることが分かる。高級レストランだ。2時間ほどネットをやって過ごしたが、あたりはすっかり暗くなっていた。腹は減っていなかったので、結局アイスティ一杯で粘ったことになる。確かに良い客じゃなかった。

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遅いイミグレ

そして待ち合わせのホテルカザフスタンへ向かう。近いと思っていたが、意外と歩く。やはり道を間違えていたのだ。空には満月が掛かる。写真を撮ったが、素人には難しい。スーパームーンというのだろうか。煌々と輝いていた。月夜の散歩もまたよい。

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ホテルでは既にシャルハル氏、ララさん、Pさんが待っていた。遅れないように早く来たらしい。シャルハル氏の車は小さいので、5人乗ると満員だが、見送りは欠かせないと思ったのか、総出で来てくれた。その心は嬉しい。車は30分もしないで空港に着いてしまった。渋滞もない。早過ぎるなと思ったが、何と空港が大渋滞。小さな空港にこんなに車が来ることを想定していなかったようだ。降りるまで20分もかかる。

 

それでも早いなと思って出発階に上がり、時刻を確認して驚いた。N教授のソウル行きは時間が変更になり、午前1時、私と同じ時間になったと聞いていたが、何と0時の間違いだった。もし空港へ行く時間を1時間遅くしていたら、間に合わなかったかもしれない。すぐに見送りの人々と別れ、チェックインカウンターへ。N教授は直ぐにチェックインできるが私のフライトは3時間以上後のため、チェックインできるか心配したが、エアアスタナの係は気だるそうに手続きをしてくれた。

 

しかしそれからが大変だった。イミグレはチェックインカウンターと同じところにあったが、何と開いているゲートは一つだけ。そこに中央アジア諸国へ行く人、ソウルへ行く人などが押し掛け、物凄い時間がかかっていた。時々クルー用のゲートを開放するが、クルーが来るとそこも埋まり、動かなくなる。まあ気長に待つしかない、既にチェックインしたのだから、置いていくことはあるまい。それから50分ぐらいしてついにイミグレを抜けた。さすがにイミグレ担当者も疲れており、すぐにハンコを押してくれた。何ともソ連式の管理方法だ。日本やアメリカなど世界10か国の観光客を折角ノービザにして迎え入れようとしている政策は、ここには届いていなかった。

 

まだ少し時間のあったN教授はすかさずビールを探し、ゲットした。横では韓国人のカップルがウオッカの小瓶で何本もストレートであおっていたのが印象的。0時ごろになり、N教授のフライトは搭乗となり、別れた。それからは水を飲みながら旅行記を書いて過ごす。午前1時には私も搭乗となり、機内へ。今回はダウレンはおらず、ぐっすりと寝込んで起きるとバンコックに着いていた。

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