初の中央アジア カザフスタンを行く2014(12) アルマトイ 道に迷っても字が読めない

夕食はシャシリク

シャルハル氏は疲れた体にムチ打って懸命に車を動かしていた。何とか日暮れ前にホテルに戻った。我々も疲れていたので、夜は適当に取ることになった。N教授はビールとケバブ―があればよいというので、ホテルの下の、あの煩いレストランへ行ってみる。いつも外で美味そうな肉を焼いていたから。

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可愛らしいウエートレスがやってきて注文を取った。よく見ると時々上のホテルにやってくる女の子。誰かの娘らしい。ケバブ―はここではシャシリクといい、肉のぶつ切りを豪快に串にさして焼く。羊はないというので牛肉で焼いてもらった。これは肉が柔らかくて、美味かった。

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そして言われるがままに、ボルシチ、サラダ、ラーメン、焼きそばとオーダーし、簡単に済ませるはずの夕飯で腹一杯食ってしまった。我々が去る頃に若者たちが入ってきて、ビールを飲みだし、今日も長い夜が想定された。

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8月5日(火)

言葉が通じなくても

本日は予定が決まっていなかった。私としてはネットが繋がらない状況で時間があれば、旅行記や原稿が捗るので嬉しいのだが、いつ出掛けるのか分からないのは、やはりちょっと困る。

 

結局お昼まで何も連絡はなく、N教授とランチに出る。行先はパラダイスに決まっている。今日は外ではなく、地下へ潜る。そこには実に立派なダイニングスペースがあった。だが客は我々2人のみ。ウエートレスが注文を取りに来るが、言葉が全く通じずに困る。何とかビールとコーヒーを注文できたが、食事メニューは前回ウエートレスが勧めてくれたものを目をつぶって頼んだ。『昨日と同じ』という表現すらできない。N教授は何と前回の領収書を取り出し、説明を始めた。これなら簡単に注文できた。言葉が通じなくても何とかなるものだ。それにしてもここのウエートレスも控えめでよい。カザフ人は基本的に受け身、日本人には好感が持てるタイプが多い。

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それにしてもこの鮭のグリルのワンプレートは実に美味いのだが、量も滅茶苦茶多い。それを全部食べてしまったので、午後は仕事にもならない。部屋に帰って昼寝をしていると電話があり、もうすぐ迎えの車が来るという。午後4時のアポには早いなと思ったが、指示に従う。

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道に迷う

車は山の方へ向かっていた。高級住宅街と思われる辺りで停まる。そしてシャルハル氏は待ち合わせ場所の喫茶店を探し始めた。我々も手伝いたいが、何しろ字が読めない。仕方なく彼の後ろをついて行くと、何だか迷っている。交差点を中心に南北に行き来する。その度に我々も付いて行かざるを得ない。電話で場所を何度も確認するが見付からない。本当に右往左往という感じで歩き回る。歩いている人に聞くとこっちだ、ガードマンに聞くと、いやあっちだ、となる。どうしてそうなるのか分からなかったが、最終的に分かったことはシャルハル氏が非常に方向音痴の上、道を探すのが下手だ、という事実。何しろ交差点から少し離れた大きなショッピングモールが待ち合わせ場所で、普通なら30分も迷うところではない、ということ。

 

タクシーで来ていたPさんは、30分外で立って待っていたようで既に疲れ果てていた。我々も歩き疲れていた。そのモールの3階のフードコートでは、面談の相手が待ちくたびれていた。

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医療用品メーカー

本日の面談は開発区の工業団地へ向かうと聞かされていたが、どうしてここになったのだろうか。相手は我々の目的を聞いてから工場を見せるかどうかを決めるという。だが実際に会ってみると、彼らの工場の規模は小さく、今後拡大過程で開発区へ引っ越す予定だということが分かる。毎度のことながら、面白い展開だ。

 

医科大学を出た夫婦、ご主人は大学の先生で奥さんは医療用品会社を起こした。N教授は意にも解さずにどんどん質問を始める。だがPさんがカザフ語で訳したものをシャルハルさんがロシア語にまた訳していたのには驚いた。結局はPさんのカザフ語翻訳に落ち着いたのだが、先方の話すカザフ語の30%はロシア語の単語だったようだ。

 

この会社は2004年に設立され、2011年から国家の支援を受けて、注射針や採血サンプル試験管など病院で使う使い捨て用品の製作を本格的に始めた。設備や資金も国家支援、商品も国家買い上げと、絶好の条件だった。更にビジネスを拡大するため、アメリカや中国の企業の資本参加を求め、交渉中らしい。実はこれは国家プロジェクトの一環。ロシア、ベラルーシとの関税同盟を締結したカザフは自国の工業生産向上をめざし、またロシアを一大市場のターゲットとして、重点産業を指定。その中に医療用品も含まれており、政府の後押しで、輸入代替の商品生産を行っている。10年間は税制の優遇、土地の少額提供など、メリットは大きい。

 

彼らは日本企業の技術を欲しがっていた。今中国に入っている日本の技術を持ってこられれば、例え簡単な製造工程だったとしても戦略的には価値が高い。トヨタがフォーチュナ―という車のノックダウン生産を始めたのも、これが理由だろう。最初は警戒気味だった相手も最後の方は『是非日本企業との協力を』と言ってきた。工場も見せるという。だが我々には時間がなかった。道に迷った30分は意外と大きかった。

 

日本食レストランで

そのまま車で日本食レストランへ。ホーチミンからアルマトイへ行く機内で知り合ったダウレンとの約束を果たし、アルマトイの日本レストラン『かぶと』で会うことになっていた。時間には余裕があったが、またもやレストランが見付からない。これには本当に困った。我々は自分のいる場所さえ分からず、字も読めない。さっきの経験からすぐ人に聞き始めたが、要領を得ない。店に電話をかけても、シャルハル氏の理解力では辿り着けない。最終的にはダウレンに電話をかけ、何とか場所を特定できたが、ここでも約30分ロスした。

 

ダウレンは店の前で待っていてくれた。このお店、日本的なムードを漂わせていた。中へ入ると、何と日本人のおかみさんと娘さんが元気に日本語で出迎えてくれた。これにはちょっとビックリ。すぐに部屋に通され、日本の典型的なつまみを頼む。ダウレンは車で来ており、ビールは飲めなかったが、だし巻き卵や天ぷらなどをウマイと言って食べていた。

 

ダウレンはまだ39歳、英語が堪能な新しいタイプのカザフ人だ。ソ連時代に幼少期を過ごし、英語の重要性に目覚め、上手く波に乗り、今の勤務先である保険会社に地位を得た。家も職場も直ぐこの近く、この店のいいお客になるかもしれない。因みにここの板さんはカザフ人ながら、日本的な味を出していた。

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我々はカザフ語、ロシア語、中国語、日本語、英語が飛び交う中、楽しく食事をした。WIFIも繋がり、ご機嫌になる。この店にはスキージャンプの高梨沙羅選手や女子サッカーの澤穂希選手などのサイン入り色紙が飾ってある。アルマイトに来る日本人は必ずこの店に寄る、ということだろう。この店に興味を持ったN教授は、早々におかみさんにインタビューを申し込んでいた。

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ホテルに戻ると、10時を過ぎていたが、Pさん夫婦は明日のアポイントを取り付けるために、どこかへ出かけて行った。当然ながら、今日はホテルには帰ってこないだろう。日本人に会ったことがないカザフ人は慎重に事を運んでいるようだ。

 

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