初の中央アジア カザフスタンを行く2014(11)コルダイ キルギス国境回族の村で

8月4日(月)

キルギス国境へ

今朝は6時に起きる。すぐにチャイを作ってもらい、昨日の疲れを癒し、目を覚ます。既にシャルハル氏は車で来ており、6時45分、打ち合わせ通りに出発する。何だか日本人の団体行動のようだ。本日よりP隊長も参加する。

 

車は一路西へ向かって行く。キルギス国境へ行くとは聞いていたが、アルマトイの南は全てキルギスとの国境であり、どこに口岸があるのかさえ不明のままだった。ただ方向からしてキルギスの首都、ビシュケクへ向かっていることは明らかだったので、今日も片道300㎞の行程となる。

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実は昨日のノルジャンが、お客をキルギス国境まで送るついでに、我々を案内しようと言いだし、今日の企画が実現した。だがノルジャンの車と合流する気配は一向になく、ただただ見事な山脈の景観と、時折見える羊の群れの間を抜けて、ひた走っていた。因みにシャルハル氏の車は電気系統が故障しており、窓が開かなくなっていた。3時間近く経った頃、突如街に入り、そして車が渋滞した。一向に車が動かないので何事かと歩いて見に行くと、そこがコルダイの国境だった。

 

コルダイ

若いにいちゃんが近づいてきて何か告げた。もし優先レーンを通過したいなら彼に言えばいいのだとか。ようするに仲介屋だった。だがよく考えてみれば我々は国境の向こうへ行くわけではないので、車はここで引き返し、駐車するために列を離れた。

 

車の列はかなり長い。だが車にはダブルプレートを付けているものはなく、カザフ-キルギスは車が自由に往来できることが分かる。運転手以外は車を降り、人が通る門に殺到し、手続きを行っていく。一昨日のコルゴスに比べて、かなり人の往来が多い。しかも貨物は別の場所を通る様でトラックの姿はないが、往来はかなり頻繁だという。

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シャルハル氏が戻ってくるのを待っていたが、なかなかやって来ない。ちょうど目の前でおばさんがお茶を売っていたので買ってみた。リプトンのアイスティの味がした。30テンゲ、クーラーボックスに入っており、非常に冷たかった。N教授は山羊の乳と麦芽飲料を飲んでいたが、それほど美味くはなかったようだ。

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シャルハル氏の代わりにノルジャンがやってきた。既にお客はキルギス側に渡って行ったという。シャルハル氏は車の中で休んでいるらしい。連日のアテンド、そして今日は300㎞の運転、私より5歳上の彼にとってはきつい旅だっただろう。

 

我々は国境のゲート近くを見学したが、特筆すべきものはなかった。日本人はキルギスもカザフもビザ免除のため、向こうへ行って帰ってくることは可能のようだったが、あまり意味はなさそうだったので早々に引き上げる。ちょうど欧米人の男女が自転車で通過しようとしており、地元のタクシー運転手らと話し込んでいるのが印象的。昨年のモンゴルでも同様の自転車旅行者を目にしたが、私などには信じられない光景だ。

 

ランチを食べにレストランへ入る。ちょっとしゃれた作りの小屋が並ぶ。ウイグル人が経営しているとかで結構繁盛していた。ジプシーの女性が近づいてきてトランプ占いをやらないか、と声を掛けてきた。この国ではジプシーがかなり認知されている。後で知ったことだが、我々のホテルで時々リビングのソファーで寝ている女性がいたが、彼女もジプシーだった。自由旅行者、私もジプシーの仲間になったような気分だ。

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カザフ風より油っぽいウイグル式ラグメンは美味かった。お茶は珍しく緑茶。角砂糖を入れているが、その甘味が心地よい。これは中央アジアで飲むからだろうか。ナンも美味しい。

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回族の村 マサンチ

そこから60㎞ほど進む。特に何の変哲もない農村に入る。1軒の家の前で停まると、若い主人が何やら作業をしていた。木にはリンゴがなっている。既にノルジャンから連絡を受けており、家の中へ招かれる。絨毯がきれいに敷き詰められ、何とオンドルが備えられていた。若い主人の他、その奥さんと19歳の息子、18歳の娘が代わる代わる、菓子やお茶を運んできた。皆顔立ちが我々と似ている。

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『我々の祖先は135年前、西安のある中国陝西省より来た回族』と5代目の主人は話す。両親は3㎞離れた場所に健在、親族一同がこの付近で暮らしている。息子は隣のキルギスの首都ビシュケクの大学に通っている。娘は看護学校、そして何と3歳になる次男がいた。『この子は奥さんがメッカ巡礼をして授かった子』だという。回族はイスラム教徒だが、この地の人々は敬虔なようだ。

 

そして食事が運ばれてくる。羊料理だったが、野菜炒めなどは中華風。回族は漢族とイスラム教徒の混血で、風習も両方に通じている。中国では元代に国際貿易の商人などで活躍し、今も中国各地に住んでいる。顔を見て、料理を見て、家を見て、どことなく中国が感じられる。因みに主人は中国語を話す。

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それから彼のお父さんの家へ行った。立派な門構え、車はベンツだった。『向かいの家にあるベンツ、あれは昔おれのものだった』と懐かしそうに、また悔しそうに主人は話す。それにしてもこんな農村にベンツとは、そして立派な家。ここの人々は何をしているのだろうか。付近にはキルギスとの国境ゲートが見える。

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村の中心地へ行く。そこには博物館があるという。ここにやって来た回族の歴史が展示されている。清末の混乱の中、立ち上がり、移動した人々。回族とはいつか中東に帰る、という意味もあるらしい。出はなぜこの地でとどまったのか、その謎は解けなかった。ただこの地がキルギスとの国境というだけではなく、中央アジアの中で非常に微妙な位置にあり、その地理的優位性を生かして、貿易などをしている、いかにも回族らしさが垣間見えた。

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