初の中央アジア カザフスタンを行く2014(8)コルゴス 中国国境へ行く

8月2日(土)

コルゴスヘ

翌朝は5時半に起きる。6時出発と言われたが、ゆっくりとチャイを飲み、洗濯をした。既に外は明るい。やはり出発は6時半だった。カザフ時間、そんなものだろう。今日はイエルン氏の弟ノルジャンが中国国境のコルゴスまでの案内を買って出てくれた。目が弱いシャルハル氏は片道350㎞の運転はしんどいということだった。ノルジャンのランドクルーザーはなぜかホテルでなく、パラディスに来ていた。我々はそこまで歩いた。意味は分からない。

 

そして朝日に向かって東へ350㎞を走り始める。市内を出ると後は一本道。車も少ないので快調に飛ばしていく。朝ごはんは途中で食べようと思っていたが、店などは殆ど無かった。真ん中頃に街があったが、そこはウイグル族の街ということでパス。やはりウイグルとカザフ、敢えて接触しようとはしない。

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ノルジャンは西安の医学大学を卒業して、医者になるべき人材だったが、当時のシステムで故郷の新疆アルタイに分配され、その後ウルムチへ出てきてしまう。そこで今の奥さんと知り合い、20年前にアルマトイにやってきた。96年頃は毎週のようにコルゴスを往復、物資を運んで稼いでいた。だからこの道には詳しいということだったが、最近10年は全く走っていないらしい。現在もお客のニーズに応じて物資を調達するなど、貿易に従事し、結構成功しているらしい。因みに彼は敬虔なイスラム教徒であり、酒、たばこはご法度。

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ジャールケントの街

ジャールケントの街に入る。ここはもう国境まで僅かな距離だ。既に時間は昼に近い。街中は落ち着いており、80年代の中国の地方の小さな街を思い出させる。ベンツやラダなどの古い古い車が闊歩している、まるでクラシックカーの街のようだ。特にアウディが至る所で目に付く。なぜこんなに多いのかと聞いてみたが、車両が頑丈でよい、などと言われ、要領を得ない。恐らくは80年代、90年代にアウディを大量購入したか、この街に車を集積したか、その名残ではないだろうか。実に面白い光景だった。

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ランチは街の食堂へ。ノルジャンは敬虔なイスラム教徒であり、食事にもウルサイ。3軒目で気に行った所があり、入っていく。周囲は市場の様で人通りが比較的多い。中はお客が殆どいない。パンとミルクティが出てきた。腹が減ったのでバクバク食べる。カザフのいいところは、とにかくパンやナンが出てきて、ミルクティに付ければ食べられるということ。それからマンティが出てきた。私が先日マンティを食べたい、と騒いだので、頼んでくれたようだ。ここのマンティ、羊肉の汁が美味い。小龍籠の大きい版、と言えばよいだろうか。いや、そもそも羊の肉が他の肉より美味い、ということだろうか。

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コルゴス

そしてついに中国との国境、コルゴスまでやってきた。行けばカザフ側のイミグレの建物があるとばかり思っていたが、そのはるか前にバリケードがあり、チェックポイントがあった。アルマトイから道を走っていて思ったことは、物資を運ぶトラックがあまり走っていなかったこと、中国製の物資は入ってこないのだろうか。バリケード前にもトラック数台しかない無い。ちょっと拍子抜けで、トラックの写真を撮る。

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ノルジャンは我々が国境を見学できるように聞いてくれたが、彼の車ではこれ以上進めないと分かる。その時バリケードの警備員がこちらを指し、何か言い始めた。どうやら写真を咎めているらしい。我々のパスポートをチェックし始めた。携帯を出せというので渡したが、写真は撮っていないのに、なぜか携帯にロックを掛けてすぐに返された。イエルン氏は居留登録カードを忘れてきたということで、御咎めはなかったが、先には進めない。

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我々3人はタクシーを雇い、国境へ向かうことにした。ところがタクシーでゲートへ行くと『昨日から中国側へ渡る人間以外は通さない』と言われ、折角乗ったタクシーも降りた。タクシーは商売あがったりだろう、と思ったが、国境にはバスで来る者、アルマトイの方へ向かう者などが次々にやってくるので問題はないのだろう。遥か向こうにカザフ、中国両国のイミグレがかすかに見えたが、とても遠い存在だった。

 

もう一つ新しい口岸が見えたのでダメもとで行ってみる。こちらはノルジャンが上手く話してくれて、中へ入れてくれた。建物が3つあり、その一つには人がいた。どうやら中国行く買い物ツアーのカザフ人らしい。もう一つはこれから使うイミグレだろうか。そして向こうには貨物用のゲートが見える。N教授によれば、ここコルゴスには中国との共同開発区が設置され、貨物輸送のワンストップ化が図られるはず。その開発区がこの場所ではないかと思われるが、どう見てもそのような様子はない。既に計画から数年経っており、日本の物流会社も倉庫を作っていると発表していたのだが。

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ノルジャンによれば、最近カザフはロシア、ベラルーシとの関税協定を締結。完全にロシア寄りの政策を取った。中国からの物資に高い関税をかけ、流入を防いでいる。これによりこの開発区は実質的に停止したとみてよい。こんな小さな場所が、国際情勢の大きなうねりの中にある、ということに妙に感動した。

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