初の中央アジア カザフスタンを行く2014(7)アルマトイ 遊牧民は自由に往来できたのか

新市街地あり

時間があるので博物館へ行くことにした。場所は市の南側、車で通ると市庁舎や大統領官邸が見え、その先はこれまで我々が見てきたアルマトイとは別世界。広々とした近代道路の両側に近代建築のオフィスビル、外資系ホテル、ショッピングコンプレックスが並び、こんな所もあるんだ、と予想外の収穫があった。そういえばスキーのジャンプ台のようなものも見えた。アルマトイは2022年の冬季オリンピック開催地に立候補しており、北京と共に最終選考に残っている。既に冬季アジア大会は開催済み、出来るならここでオリンピックをやってもらいたいものだ。そういえば、2017年にはアスタナで万博もあるらしい。今カザフは国を挙げて、国際的な展開を図ろうとしており、その様子がオリンピックや万博を通じて良く分かる。これから急激に国際的な認知度を上げてくるのではないか。

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博物館はロシア風のドーンとした大きな建物であった。こちらは予想通りにマンモスや古代の遺跡に始まり、独立後のカザフまで一通り見ることは出来た。ただ全てがカザフ語かロシア語のため、内容は殆どわからない。歩いていても広すぎる建物なので疲れは倍加した。写真撮影も禁止。外国に向けたアピールはまだ緒に就いたばかり。英語の普及も急務になるだろう。

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イタリアンでカザフ料理

ランチは昨日で懲りたので、高級ホテルへ行くように頼む。ホテルならWIFIもあり、ハラールもあり、そしてビールもあるだろうというN教授の読みだった。その読みは見事に的中し、3つ星ホテル併設のイタリアンに落ち着いた。実は私は今日、一つの仕事を抱えており、何としてもネットを繋いで仕事を片付ける必要があった。運よくその仕事は既に送られてきており、食事もそこそこに仕上げに掛かる。ネットスピードも昨日より格段に早く、スムーズに進んだ。

 

食事はイタリアンかと思いきや、シャシリクというカザフ料理だった。やはりある程度以上の年齢の人と食べると、ピザやパスタは合わないのだろう。羊肉のミンチを串で刺して焼いていた。食べやすかった。アイスティを頼んだところ、フレーバーが入っていない物はない、と言われ、ティパックとお湯、そして氷を渡される。

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カザフ事情を聞く

1時間ほどそこでネットをしていると、カザフ人女性がやってきた。ジャナルさん、日本に10年住んでいたということで、日本語の能力は極めて高い。旅行会社をやっており、ビジネスアテンド、通訳などをこなしているという。彼女は富山で5年間学校に通い、5年間は東京で働いたという。こういう人材はカザフでは珍しいだろう。ようやくビジネス系の人が出てきて、話も分かりやすい。

 

昨日まで日本の某農業機械メーカーの担当者と一緒にアルマトイとアスタナを回っていたらしい。やはりカザフの農業政策に目を付けた日本企業はいるということ。カザフ側も中国製の機械は安いがすぐ壊れるので、日本製を希望しているらしい。ただそこには当然色々な障壁があるのだろう。

 

N教授は牧畜業に強い関心を示し始めた。明日行く予定の中国国境コルゴスに近い場所に、今も政府の支援を受けた牧民たちがいるという。是非行きたいということでアレンジを頼んだが、最終的には日程と料金が合わずに、取りやめとなってしまった。彼女は日本に行くまで、新疆のイリで外事弁公室に勤めていたので、その辺の話を含めてもっと聞きたいことが一杯あったので、とても残念だった。

 

90年初め、中国の国境は緩んでいたのか

ホテルに戻り、一休みするはずが、N教授と議論になった。争点は『90年初め、中国の国境は緩んでいたのか』。N教授はこれだけ広い国土を隣接しているので、当然カザフ人遊牧民は自由に両国を行き来できたはずだという。89年の天安門事件以降、中国は国が動揺し、国境警備も緩んだので、大量の移住者がカザフに来ることが出来たのだ、と推測した。

 

私はこの意見には少なからず違和感があり、反論した。中国は天安門事件ぐらいで国境警備が緩むはずがない、むしろソ連邦の崩壊で国境警備は厳しくなったはずだと。確かに歴史的に見れば、唐末や清末の時代、国境が緩んだ時期はあったと思うが、あの90年前後はそれとは違う、と説明したが、納得が得られない。これは『あの頃の空気を吸ったことある人なら分かる』話だが、知らない人に説明するのは難しい。

 

夕飯でシャルハル家へ行き、この疑問点を問いただした。彼らは実際に92年にカザフへやってきたのだから、どんな手続きで来たのか聞いてみた。『まずウルムチでパスポートを取り、それから汽車に揺られて北京のロシア大使館へビザを申請しに行った。えらく長い時間がかかった』との証言を得た。それでも納得しないN教授は『シャルハルさんのような知識分子は正式な手続きを取ったかもしれないが、遊牧民はそんなことしなかったでしょう?』聞く。『いや、遊牧民も基本的には北京へビザ申請に来ていた』というとどめの回答でこの議論は終了した。

 

後日ある人に『カザフへ密入国することはできるが、必ずカザフの警察に捕まる。今だって中国人の不法入国者は後を絶たないが、警察が目を光らせており、中国人とみるとパスポートの提示を求め、不法なら強制送還するか、わいろを要求する。中国側も同じ状況だったはずで、社会主義の相互監視を理解していれば、そんな議論は起こりえない』と切り捨てられた。確かに我々だって駅で尋問を受けたのだ。机上の空論はやはり空論でしかない。

 

夕飯はポロ。ララさんの作るポロは実にあっさりしていて美味い。レストランの場合作り置きを出すのかもしれない。作り立てのポロは油っこく無くて美味い。米もカザフ製らしいが、実によく合っている。

1 thought on “初の中央アジア カザフスタンを行く2014(7)アルマトイ 遊牧民は自由に往来できたのか

  1. 天安門事件は至るところて考えさせられることが多いですね
    カザフスタンの国際的発展もこれからが楽しみということでしょうか?

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