ぶらぶらバンコック滞在記2012(6)12月29日~1月3日ハジャイ、ソンクラー

12月29日(土) とてもラフな思い付きバンコック茶話会開催

24日深夜、零下15度の極寒の北京からバンコックに辿りついた。バンコックで夜風に吹かれていると「人間の幸せはこんなことだなあ」と思ってしまう。ただ暖かいというだけで体が脱力する幸せ、噛み締めた。

そしてそんなダラダラの気分の中、突然「茶会でもしよう」と思い付く。これまでMさん主催のバンコック茶会は既に3回開催されており、定着してきたが、平日来られない人の為に土日開催の茶会をしたい、もっとラフな会をしたい、という希望が心にあったようだ。まずはBTSチョンノンシー駅近くでお茶屋をやっているポーラに電話し、場所を確保した。

だがこの年末に、しかも僅か3日目の通知では、「既に帰省している」「先約がある」との当然すぎる回答を貰う。それでもめげずにいると、先日ヨーガ合宿で一緒だったIさんがお友達を連れて参加するという。最終人数2人と明記したので、これで会は成立した。そしてやはりヨーガで一緒だったKさんも参加。更には2日前に一緒に飲んだSさん、Kさんを引き込み、前日にはバンコック茶会に来てくれたT夫妻も参加となり、なんとなく会の形が整う。

当日、殆ど準備もせずに、会を始める。持っているお茶が全て詰まった袋を持参。まさに話の流れで、またその時の気分でお茶を出し、話をした。プロジェクターが無いのでPCの小さな画面を見せることになり、申し訳なかった。

トルコの緑茶に始まり、湖南省安化の紅茶、福建の白茶と続き、阿里山高山茶、タイチェンライ県の金萱茶と飲み続けた。話もトルコが注目の国であること、反日のこと、台湾茶が足りないこと、果ては杭州のお寺のお茶まで話がどんどん飛んで行った。

そして2時間半が過ぎ、ようやくポーラのプーアール茶講座が始まった。生茶と熟茶の違い、そして今回は彼女の故郷、広西壮族自治区で作られる黒茶、六保茶の由来などまで話が及び気が付けば、6時近くになっていた。主催者は楽しかったが参加者はどうだったろうか??

その後4名でポーラお勧めの本格四川料理屋へ。本当に中国人しか働いていない、中国人を対象としたお店だった。お客は多く、殆どが普通話を話していた。その付近にある中国料理店の多くが、行き成り中国語で話し掛けてくるタイプの店。うーん、バンコックは広い。料理のあまりの美味さに?写真を撮ることすら忘れた夜だった。場所はナラワティロード ソイ24らしい。

12月30日(日) ノックエアーに乗ってみた

今年の残すところあと2日。日本では年賀状書いたり、大掃除したり、帰省ラッシュに巻き込まれたりしているかもしれないが、既に1年9か月の放浪生活を続けていると、年末とか年の瀬とかいう言葉は正直ピンとこない。ただ年末年始に時間が出来たので、どこかへ行こうと考えた。

初めは12月の東京報告会でご縁を得た関係でマレーシアのサバ州へ行こうとしたが、現地の紅茶工場がクローズということで断念。次にチェンマイ郊外の少数民族の村へ行こうかと思ったが、こちらもご縁を得た方と会えずに、結局行く機会を失った。そして、何故か、タイ南部ハジャイとソンクラーへ行くこととなった。

マレーシアへ行けばよいのだが、最近の円安は私の旅行資金をかなり圧迫しており、節約したかった。鉄道やバスは年末年始の休暇移動でかなり大変だと言われ、それではLCCで行くことにした。ところが、エアアジアの料金とノックエアーの料金がさほど変わらない。座席料金だけなら確かにエアアジアは安いが、荷物を1つ預けると300バーツ(15㎏まで)取られるので、往復で600バーツ加算すると合計料金は200バーツも変わらなくなる。

そうなると、荷物の重さを気にしなくてよい、座席指定が事前に出来る、簡単な飲み物が出る、というノックエアーが良く見えてくる。更にはタイエアーの子会社であるという安心感、CAの笑顔にも定評あり、と聞くと乗ってみたくなるのが人情??レガシーとLCCの中間ニーズを補足するノックのような航空会社が好まれてきているように感じる。

バンコックのLCCはドムアン空港に集められていてこれは不便(ノックもLCC扱い)。ドムアンに行って時刻表を見ると当たり前だが、KL起点のエアアジアよりバンコック拠点のノックの方がはるかに多くの便を運航している。お客も多いようで、チェックインには時間が掛かる。飛行機の到着が遅れて出発は30分ディレー。でも、ノックエアーの乗客であれば、空港内フリーWIFIは嬉しい。予約番号がパスワードになっているので、何と予約したPCを使うと予約番号が出て来て直ぐに繋がった。いいぞ、これは。

機体は比較的新しく、清潔。CAさんの黄色の制服もなかなかよい。知り合いで「あの制服に萌える」という人もいるようだが、そこまではどうか。でも確かに笑顔の接客があり、好感は持てる。

僅か1時間のフライトなので、何もいらないのだが、甘いパンと水が配られた。何もないよりは良い。風邪気味のせいか、冷房が寒く感じたが、毛布は無いようだった、残念。基本的にはエアアジアと大きく違うわけではないが、ほんのちょっとしたところの違いが意外と大きいのかもしれない。気持ちの問題だが、その問題は影響が大きい。帰りも乗ってみて観察を続けよう。

12月30日(日) ハジャイの街

ノックエアーを降りると、そこはハジャイの空港。先ずはどうやって街へ行くのか。またトゥクトゥク野郎と料金交渉するのか、嫌だな、と思っていると、エアポートタクシーなる看板が。見ると市内まで一人100バーツ。更には白タクや白トゥクの姿はなく、迎えが無い人は基本的にこれに乗るらしい。タクシー1台は300バーツ。

タクシーというか、ロットー(ミニバス)。お客は女性二人と私。市内までは10㎞ちょっとか。直ぐに着いた。予約したホテルは昔の一流ホテルという触れ込み。確かにそうだった。ロビーは立派で広いし、部屋も広かった。だがホテルキーを差し込むと電気が入るのだが、エアコンはどうやっても止まらない。とても寒い中、タオルを被ってPCに向かう。PCの充電をするためには私が部屋に居なければならず、エアコンも点いているのである。風邪ひいた。おまけに小さな虫がいてかまれて痒い。こりゃいかん。

ハジャイの街は小さい。ホテルは中心から少し離れており、散歩しながら中心へ。中国的な寺がある。中国系と思われる人々が歩いている。ここはタイか、中国か。更に中心部の屋台ではイスラム系の女性が中華系料理を作って売っている。混沌とした街、ハジャイ。マレーシア華人が年末年始を過ごしにやって来ているようだ。

中心のデパート、ホテル街付近は車両通行禁止で警備の警官が大勢出ている。実はテロの予告があるようだ。以前よりタイ南部はイスラム系のテロが頻発しており、特に危ない所へ行かない日本人には敬遠されている。私にも知らせてくれた方がいたが、最近の気分は「そこでテロに会ったら、それは私の人生の定め」と割り切ってしまっている。実際観光客がいない場所は、何とものんびりしており、いい感じなのだ。

ハジャイ駅へ向かう。私が今回ハジャイへ来た目的は殆ど何もないが、唯一あるとすれば「深夜特急」で沢木耕太郎が訪れたハジャイを見ること。彼はスラタニーから夜行でハジャイ駅へ降り立ち、乗り合いタクシーでソンクラーへいく。そしてまたハジャイ駅へ戻り、ダッシュして列車に乗り、マレーシアへ抜けて行った。

駅も警戒厳重のように見えたが、タイの他の駅同様、出入り自由。誰にも咎められない。駅前には機関車が置かれ、国王の写真が飾られていた。ハジャイはこの駅を中心にとても小さな街を形成している。

夕飯は中心街のローカル市場で食べた。本当は中華系の食堂に入り、中国語を使って話を聞いてみたかったが、適当な店が無かったことと、おばさんが作っていた物が美味しそうだったので、ふらふら頼んでしまった。それはマレーシアで昔食べた卵を入れた焼きそばに思えたが、実際に食べてみると何と麺は無く、ジャガイモと思っていたのが、お餅だったのだ。そこにもやしとにらを入れて炒めただけだが、美味い。僅か30バーツ、2日前に正月が来た気分だ。ついでに豚と鶏を揚げた物も買った。塩味が効いていて美味かった。極楽、極楽。

12月31日(月) ハジャイの大晦日

夜中に大雨が降った。結構大きな雨音にビックリ。そして朝になってもしとしとと霧雨が降る。タイでこの季節に雨が降るなんて、と思っていたが、天気予報を見るとKLも雨。ここハジャイはタイではなく、マレーシアなのかもしれない。朝ごはんはビュッフェだったが、カオトーンというお粥が美味しく、そればかり食べる。雨が止まないため、部屋にこもる。することもなく、「深夜特急」を読み返す。文庫2冊目のマレー半島編、結構切ない。特にペナン島の売春宿で働く女とそのヒモの話、何とも言い難い。

何とか雨が止んだが、時刻は既に11時。今泊まっているホテルはイマイチなので、ホテルを変えることにし、予約を入れたので、移動を開始。ところが、何と再び雨が降り出し、ずぶ濡れになる。歩いて10分ぐらいと思っていた新しいホテルまで何と20分以上掛かったし、その間に雨脚はどんどん強くなり、背中のバックにあるPCが心配になるほど、濡れてしまった。

雨に濡れながら、車が水を跳ねるのを気にしながら歩いていると、「何故私はこんな所に居るのだろう」と思ってしまう。日本人なら日本に帰り、紅白歌合戦や駅伝を見る方が普通ではないのか。確かにその通りだが、最近は「それが定め」で片づけている。来年は「少しスピードを落とし、考えながら行動しようかな」と弱気になる。

今度のホテル、見た目は新しく、清潔感がある。それでも部屋のドアはきちんと閉まらず、毎回強引に開け閉め。またバスタブが広くてよかったが、お湯を流そうとしても、出来ず。こういう細かい?ところがきちんとできないと日本ではフラストレーションが溜まるが、こちらでは見た目が大事、ということだろうか。まあ、暮の31日に足を伸ばしてゆっくりと湯に浸かったのだから、大満足なのだが。


   

午後2時ごろ雨が止み、昼ごはんへ。直ぐ近くにバスターミナルがあり、そこで年越しそばならぬ、年越しクイッティオ。きしめんのような太くて平べったい麺で大好物。どこで食べても美味しい。沢木耕太郎も深夜特急で食べていたので、つい手が出た。沢木はこれをバンコックの駅で食べるのだが、そこの6-7歳の子供の行動を疑ってしまい、後悔している。まさに最近、中国に住んで覚えてしまった「性悪説」になっている私にも、痛い話題だった。そしてまた雨。ここは完全に雨季だ。夕方までシトシト。このホテルは街から結構離れているので、もう一度濡れ鼠になって歩く気分ではない。テレビはNHKワールドしかないので、紅白も楽しめない。どうするんだ、この年の瀬に。

ようやく晴れてきたのは午後6時頃。また昨日と同じ街へ出た。それしか行く所が無かった。そして美味しそうな海鮮オムレツを買ったが、食べることが無く、持ち帰ってホテルの部屋で食べた。たれを付けるとバカウマ。今年もいい年だったと思えた。夜は方々で花火や爆竹の音が鳴り響いた。テロの危険が言われていたが、正直こんな中で発砲や爆発があっても誰も気が付かないだろう。そういえば、街中では警備の警官が観光客の記念撮影に応じていた。何とも長閑だな。せめてもの救いは街から離れていたこと。直ぐに眠りに落ちた。今年は呆気なく終わった。

1月1日(火) ソンクラーのビーチリゾートホテル

新しい年が始まった、という実感はまるでない。単に一日が過ぎ、また一日が始まったに過ぎない。昨晩のカウントダウンはどこへやら、街はひっそりしている。朝食を軽く食べ、チェックアウト。今日はハジャイからソンクラーへ移動。

直ぐ近くのバスターミナルまで歩き、ソンクラー行きのロットーが出ているので乗る。乗客は私しかいないと思ったが、後ろの女性が一人乗っていて、突然携帯でしゃべり始めたのには運転手もビックリ。この車、16人乗り。快調に進むかと思ったが、その後街中で乗客待ち。私は始発駅で乗ったにすぎず、30分は街を出なかった。そして街を出る時は満員。

料金は28バーツ、何と運転手が籠を回し、客が料金を入れる仕組み。何だか田舎芝居を思い出す。街を出ると急にスピードを上げる。20分もしない内に客が降りはじめる。香港のミニバスと同じで、降りたい所で声を掛ける。最後まで乗っていたのは私ともう一人の若者だけ。このバスは地元の人が使うものだった。だから運転手が何度も「お前はどこへ行くのか」と聞いてきたのが分かる。

バスはサミナビーチでキチンと停まった。ホテルは目の前。古いが大きかった。ロビーは更にだだっ広い。フロントは笑顔でよいが、WIFIが使えるかと聞くと何とロビーだけ、と言われ驚く。部屋へ行くと完全なSea View。気分は一気に晴れやかに。何故かWIFIも問題なく繋がり、良いお正月になる。

直ぐにビーチへ出る。正月休みか、ビーチは多くの観光客及び地元の人で賑わっていた。ここの波は非常に激しい。しかも浜に対して斜めに押し寄せてくる。近くに島が2つ見える。その景色がなかなか良い。

昼ご飯を食べようとしたが、適当な所が無く、焼鶏肉を買って部屋で食べる。ウマいが量が多過ぎた。食べたら眠くなる。昼寝をすると夜になる。まだ腹が減らないので、風呂に入る。ここの湯船も深くて、ゆったり。いい気分だ。

このホテルは沢木耕太郎の深夜特急で沢木が泊まったというホテル。ここで日本人夫婦と会い、遅くまでラウンジで語らったという。だが、今日来てみると、その面影はそれほどない。40年も前の話、途中で改装や増築などもあったかもしれない。それでもこの環境で思ったほど高くはない料金、悪くはない。

1月2日(水) ソンクラーのフェリー

朝早く、波の音で目覚める。だが、強烈な雨が降ってきた。出掛けることが出来ない。ようやく雨が止んだのは午前10時半、そそくさと外へ出る。昨日の混雑はどこへ行ったのか、殆ど人がいないビーチ。既に正月休みは終わっていた。

急に日差しが強くなってきたが、何とも心地よい。足に任せて歩いて行くと、フェリーターミナルの表示があった。何気なく見ると、ちょうどフェリーが接岸され、多くの車やバイクが降りてきた。ふらふらっとフェリーに乗りこんでしまう。どこへ行くのだろうか、この船は。どこでもいいや、という気分になる。

このフェリー、単に対岸へ車やバイクを運ぶための渡し船だった。5分で到着。徒歩の人間もぞろぞろ降りていく。しかも無料。まさに地元民の足、いや橋だった。しかしどこへ行く当てもない。直ぐ近くに観音廟があり、手を合わせて見たりする。

車はかなりの数が列を作ってフェリーを待っていた。そこで果物や卵を売る人々がいた。一日いくつ売れるのだろうか?その女性の脇で子供達が纏わりついていたが、私が通り過ぎるといきなり手を出し、「マネー」という。やはり貧しいのだろうか。イスラム系の人々が住む村のようだ。

もう少し歩いて行くと空き地にイヌが三匹、ごろりと寝ていた。すると一人の少年がいきなり石を投げつけ、犬は驚いて起き上がる。何とひどいことを、と思ったが、遠い昔自分も同じようなことをしていたような気がする。これは一種のあそびなのだ、と思って気に留めずにやっていたが、本当は遊びだったのか、不満のはけ口だったのか、いじめ、とはそんなことから始めるのかもしれない。

帰りもまたフェリーに乗る。そして歩き出す。暑い。ロイヤルパゴダ、という名称が見えたので、近づいたが、このパゴダ、山の上に有り、リフトで上るという。リフトと言えば、昨年湖南省長沙で恐ろしいリフトに30分も乗ったトラウマがあり(高所恐怖症)、直ぐに諦めて去る。サルが沢山いた。

パレス、と書かれた場所がある。この地の王の住処だったのだろう。面白いのはその両脇がインドネシア領事館と中国領事館だったこと。中国がこんな田舎に領事館を開いている意味は何だろうか。この街は何か特殊のだろうか。確かに華人は多そうだが、それは理由ではない。

ホテルに帰り、汗でぬれた体にシャワーを浴びさせ、寝入る。夕方少し腹が減り、ビーチへ。ホテルの横にゴルフ場があるが、その脇では多くの食べ物屋台が出ており、竹製の小屋?で食事ができる。メニューはどこも同じで、焼魚、焼き鳥、など。ビーチなどに座り込み、買い込んだつまみをあてに、ビールを飲む若者グループもいる。少女たちの楽しそうな笑い声が聞こえる。

屋台のおばさんと目が合った。野菜炒めでも作ってよ、というジェスチャーをすると分かったという表情で懸命に作り始める。出来たのは海鮮チャーハン、それに焼き鳥。思いっきり食べたが、食べ切れない。それでも使命感で食べる。食べ終わるとおばさんに「アロイ」といって支払いをする。お互い笑顔になる。この店、旦那は適当に皿などを片付けるだけ、もしかすると障害があるかもしれない息子におばさんが根気よく仕事を言い付けていた。一生懸命働いても大した儲けにはならないように思えるが、このおばさん、頑張っているな、と感心してしまう。そして人間の生き様、について少し思いを巡らせる。

夜ある人のツイッターを読んでいたら、「マスコミは天皇陛下の新年の言葉を全文掲載せよ」というのがあった。こういう文章は直ぐに右翼で片づけられてしまうかもしれないが、実は大切な気がする。天皇の言葉が「国民の幸せを祈ります」とだけ新聞紙面に載っていても、それは何だ、と思ってしまう。マスコミは一国の象徴である人の言葉を自分の都合で表現せずに、全文を掲載し、国民自身に考えさせるべきだと思う。因みにバンコックポストの2日の紙面トップはやはり王様の写真。これって当たり前のことだろう。

1月3日(木) ソンクラーからバンコックへ戻るには

ソンクラーのビーチホテル最終日。今日はさらに激しい雨に見舞われる。外出すらままならず、ベランダから荒れた海を眺めるのみ。仕方なく、部屋の大きな湯船に浸かり、足を思いっきり伸ばして休む。

午後2時になっても雨は断続的に降っている。雨が止んだ瞬間を捉え、ホテルをチェックアウトして、ハジャイ空港へ向かう。ホテルからタクシーをチャーターすると700バーツと言われたが、時間はあるので自力で行って見る。ホテル前にはトゥクトゥクすらいない。どうするんだ?少し歩いて行くと学校があり、その前にはトゥクトゥクが数台いたが、私が「ハジャイ」と告げると、皆困った顔で「お前行けよ」という雰囲気で誰も乗って来ない。するとトゥクトゥクに乗っていた高校生が「バイタク」と叫び、皆が「そうだ」と安堵して、バイタクが呼ばれる。ハジャイ行きのロットー乗り場まで連れて行くらしい。高校生、ナイス。

バイタクに乗るとまた雨が降り出した。かなり強くなり、濡れる。困ったと思っているともう到着。20バーツ払う。そしてロットーに乗り込む。直ぐ出発し、順調。行きと同様、お客を拾いながらゆっくり進む。もう慣れた、と思ったが、ハジャイまでの道は見慣れない道。本当にハジャイ行きか心配したが、何とか市内に入る。30バーツ。

全員が降りたが、私はどうするんだ?運転手は何も言わない。とうとうバスターミナルまで戻る。ここでタクシーを拾えという。だが時間は3時半、私にフライトは7時なので、先ずは食事。麺を食べる。相変わらず美味い。40バーツ。この店、旅行社を兼ねているらしい。おじさんが「どこ行くんだ」と聞くので「空港」と答えると興味なさそうな顔。

別のおじさんが、400バーツだ、というので驚く。そんなに高いのか、何故。確かにハジャイ空港から市内のタクシーは1台300バーツだった。どうやらこれが基本、そしてタクシー以外にバスなどは全くないという。飛行機に乗る人間はお金持ち、ということだろうか。「高い」と訴えると、トゥクトゥクは300バーツという。それも本当にボロボロの車だ。きっと空港へ行く旅行者が集まる場所は他にあり、そこでタクシーをシェアするのだろうが、今は探すすべもない。結局このボロトゥクで空港へ。それでもソンクラーのホテルからタクシーに乗ると700バーツだから、ちょうど半額で来た。

空港にはすぐに着いてしまった。あまりに早いので、もう1つ前のフライトに乗ろうと思ったが、何と「キャンセル」だった。仕方なく、WIFIでも、と思うと、この空港はドムアンと違い、ノックエアーのWIFIはないとのこと。残念。コーヒーショップでも「今日は繋がらない」と言われたが、レストランでは何故か使えた。ここのトーストは何故かうまい。コーヒーもコンデンスミルク入りで甘いが良い。そして中国茶?も登場。

ノックエアーはほぼ定刻に出て定刻に着いた。CAの笑顔は相変わらずよい。ドムアンでは前回タクシー待ちの列、そしてタクシー運転手の騙し、に会い、嫌だったが、今回は初めから空港の外へ出た。バスに乗ろうかと思ったが、バスの番号を忘れてしまい、そこにやって来たタクシーに乗る。高速を走ることもなく30分、175バーツで宿泊先に到着。これならいいか。

今回は何もない所へ行き、何もせずに、そして何かを考えた。年の初めとしては良い旅だったかもしれない。さあ、これから鬼門のインドだ。やはり緊張する。






 

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