バラナシ伝説のGHへ行け2014(5)生きることを考える

暑さにバテて考える

午前中とはいえ、街を歩くとかなり体力を消耗した。昨晩よく眠れなかったせいもある。眠気はあるのだが、ベッドに横になっても寝入ることはできない。これは結構苦しい状況だ。ぐったりとしてただただダラダラする。まあ、これもインドかもしれない。昼を食べようという気も起らない。ニュークミコハウスでネットに目をやり、過ごす。

DSCN2273m

 

久美子さんとまた話をする。彼女にとっても、比較的年代の近い私は格好の話し相手だったかもしれない。彼女にとってインドとは何だろう、ぼんやり思うのだが、そんな愚問を発する気にもなれない。それほどにインドは厳しい所であり、そこで生活すること、それが生きることそのものだ、という以外ないように思う。かといって、いまさら日本に帰る気もない。実は日本に住んでいる誰しもが同じような状況であるのだが、日本が幸せすぎて?気づくことは少ない。いや、そんなことはない、日本だって厳しい社会だ。皆薄々感じていながら『日本はいい国だ』と思いたいだけ、かな。

DSCN2276m

 

夕方外へ出た。どうしても冷たい飲み物が欲しい。だがやはり冷蔵庫を備えた店は少ない。あっても電源を切っているか、中の飲み物は冷たくない。結局道端のチャイを飲む羽目になる。まあこれが一番安上がりで安心できる飲み物、と言う訳だ。

DSCN2271m

 

それにしてもバラナシにはなぜ人がこんなにいるのだろうか。勿論インド全体がそうなのであろうが、南インドの山中、ムナールから来た者には、この環境は過酷過ぎた。全てが死を待つ動物のように見える。そしてガンジスがある。生と死を見つめには絶好の場所ということだ。

DSCN2278m

 

バラナシ在住12年はひよっこ

夜はHさんの紹介で連絡を取った日本人女性Sさんと会う。Sさんはバラナシ在住12年、日本語の先生をしているという。このバラナシに12年、それだけでも凄い、と思ってしまうが、当人にはそんな自覚はないようだ。クミコハウスまで迎えに来てもらい、近くのカフェに入る。

 

ここはなんちゃって日本食も食べられるというので、オムライスを頼んでみる。バラナシにはこんな店がいくつもある。昔からバックパッカーが多く、ニーズも高かったようだ。私のオムライスがやってくると、背後から中国人が英語で『それは何だ』と聞いてきたので、中国語で蛋包飯だと伝えると、『美味そうだがコメが入っているのなら食べられない』という。彼は上海から来た名門復旦大学を卒業したという若者。お金はありそうだが、敢えてバックパッカーをしているようだ。

 

だが『インドのコメ』だけは胃腸が受け付けないらしい。そういえばクミコハウスでも電源のコンセントは全てガムテープが張られていた。久美子さんによれば『中国人は炊飯器を持ち込んで自炊する。その電気代はバカにならない』のだとか。中国人は金がないから自炊する、という人もいるのだろうが、実は現地のコメが食べられないから、という理由もあるのではないだろうか。確かにインドは古米を使うため、我々にはなじまない。

 

Sさんは12年前にバラナシにやって来て、日本語を教え、気が付いたら年月が経っていたというが、そんな簡単だろうか。インドで、しかもバラナシで10年以上生きていくのは私から見えれば至難の業だ。だがあるハードルを越えた後は、何とかなっていくのかもしれない。時々は日本に帰るようだが、やはり大変な苦労もあるのだろう。『久美子さんに比べればまだまだです』と笑っていた。

 

食事を終ると既に9時。この付近の店が閉まり始め、ちょっと道を歩くのが怖くなる時間だ。それでもSさんは全く平気な感じで、細い路地を歩いて行った。私にはこの夜道を歩くだけでも大丈夫だろうか、と思ってしまうのだが。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です