ある日の台北日記2023その2(2)有記銘茶の出会いと客家文化

それから茶旅散歩を始める。私は何度も通った貴徳街をフラフラとご案内。徳記ビルが無くなっていたり、錦記茶行のビルの横に案内が張られたりと、ちょっとした変化がある。そして何となくKさんが行きたいというので有記銘茶まで歩いてみる。中に入ると、やはり奥の焙煎室を見学する。

そこになぜか子供が走ってきた。母親が追いかけてきたが、その言葉は日本語だった。観光客かと思ったら、何と有記の親族だという。ご主人がやってきたので華語で聞いてみると、何とバンコク王有記の息子だった。そして『バンコクの店に3回行ったが、オーナーには会えなかった』というと、『親父は今そこにいますよ』というではないか。

何ということだろうか。紹介されたバンコクオーナーは王有記の4代目の弟さんだった。理由は分からないが兄と一緒に台湾に来て、途中でバンコクに戻り、ヤワラーに店を開いたらしい。初めは不審に思っていたようだが、私がバンコクの茶荘のいくつかと接点があることを話すと『あそこのおじさんは元気かな』などと日本人の私に聞いてきて、周囲の人に笑われていた。

店に集まっていた10人ほどの人は実は全て有記の親族だった。彼がバンコクから来たので集まったのであろうか。一緒に写真を撮る。最後に老人が写真に入ってきた。それが有記の4代目だとは最初気が付かなかった。後で分かったことだが、この1か月後に4代目は亡くなった。親族が集まっていた、バンコクから弟が来た、というのは、4代目にお別れをするためだったのかもしれない。非常に劇的な場面にまた遭遇し、Kさんは目を白黒させていた。

そして夕飯を食べるべく、タクシーに乗る。頼さんのお知り合いの女性と和食屋で定食を頂く。何だかよく分からない展開になっている。今晩は彼女のサロンで鉄観音茶を飲む予定になっていて、それに参加する。鉄観音茶を持って現れたのは、木柵の鉄観音茶屋さんで働く人だった。台湾の鉄観音の歴史はもう少しやるべきかもしれない。

4月25日(火)

客家文化公園と紀州庵

午前中はお休みして、昼に銀行へ行く。両替が目的だが、意外と人が並んでおり、待たされる。台湾人は世界中に口座を持っているらしい。色々な話が断片的に聞こえてくるが、その内容は、アメリカやイギリスからアジアまで、かなりワールドワイドで面白い。私の番がようやく来て両替したが、やはり両替目的などを聞かれてうっとうしい。これからは空港ですべて両替しよう。

銀行の近くに客家文化会館という名称の建物があったので寄ってみた。てっきり客家関連の展示でもあるのだろうと思いキョロキョロしていると、受付の女性ににらまれる。聞けばここは事務所だけで、一般人が見学に来るところではないらしい。もう一人の女性が『客家文化公園』の場所を教えてくれたので、突然行ってみることにした。

MRTで台電大楼駅まで行く。歩いてすぐに客家文化主題公園が見えた。実に立派な建物だった。だが中に入っても人はいない。係の人がようやくやってきたので、『客家と茶』について聞いてみたが、2階に簡単な展示があるだけだという。取り敢えず2階に上がり展示を見てみると、客家文化の内容はありきたりで、スペースだけがやたらと広いと感じてしまった。

お茶についても東方美人のいつもの説明書きがあり、また客家擂茶など、客家と関連の薄いものが客家文化とされており、ちょっとびっくり。1階の係の人は『もし必要があれば専門家に聞いて返事します』というので名刺を置いてきたが、そのご返事はなかった。桃園のあたりには客家茶文化館というのも出来ているらしい。次回はそこを訪ねてみよう。

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