バンコク滞在記2022 その2(2)老舗茶行を訪ねる

8月18日(木)午前のミーティング?

今や週に2回になってしまったYさんとの朝コーヒーの時間を楽しむ。毎日会わないので、聞きたいことが山ほどあるが、もうそれを覚えている力がなく、何とかいくつかの話題を切り出し、何らかのヒントを得る。『タイ人の高齢化』の話では、都市部のタイ人が親を老人ホームに入れようとしているという。これは2000年頃中国で起こった現象だ。それまでは『親を施設に入れるなんて日本人は何て親不孝なんだ』と言われていたのが、手のひらを返したよう、『いい老人ホームはないか』と切り替わった。今それがタイにも起きているらしい。

そんな話をしていると、スッとOさんが入ってきた。確か今日チェンマイから来ると聞いていたが、突然で驚く。Yさんが仕事に行くと、Oさんの席に移動して話し出す。彼は発酵のプロなので、どうしてもそちらの話が弾む。昨日もチェンマイ郊外でミエンの村へ行ったらしい。そしてこれからすぐにカンボジアへ移動するとか。ビジネスマンより忙しい。

集友茶行へ

昼、ヤワラーへ向かった。バスで行こうと思ったが相変わらずいつ来るか分からないので、MRTに切り替えて駅へ歩き出した1分後にバスが来た。間が悪すぎる。MRTでファランポーン駅まで行き、歩いて橋を渡る。茶行に行く前に腹ごしらえと思い、以前行ったことのある店に入る。相変わらず混んでいたが、座席数はかなり減らしたようだ。

『何番を食べる?』と聞かれたので適当に『6番』と答えたが、出てきた物が麺ではない。なんだろうか?これをラートナー(豚肉あんかけスープ)にかけて食べると実にうまい。だが名前は分からない。壁に貼ってあるメニューに中国語があったが、なぜか6番のところだけ見えない。まあ美味しいからいいか。

集友茶行の王さんは相変わらず元気そうだった。奥さんも私を覚えていてくれた。この2年間、コロナが酷い時は店を閉め、開けている時も茶の提供はせず、茶葉を売るだけだったというが、ようやく最近正常に戻ったらしく、今日は濃い目の岩茶を淹れてくれながら、岩茶の話を聞いた。改革開放後王さんはいち早く岩茶に目を付け、香港に流れてきた茶を買い付けたらしい。それはお父さんが戦前武夷山と縁があったことも関係している。

1時間ほどお話して、お茶を買ってお暇した。それからワット・トライミットの前を通ったが、人がほとんどいなかった。コロナ前はあれほどいた中国人観光客の姿が全くない。見事なほどだ。ファランポーン駅にも立ち寄る。確か駅は廃止されるとの話だったように思うが、昔と同じ駅舎があり、電車も停まっている。ただここも人が少ない。

8月19日(金)花市へ

朝起きるとすごくいい天気だった。掃除の人が早めにやってきたので、急いで外へ出た。昨日出掛けたヤワラーの余韻か、また外出したくなる。思い付くのは昨日王さんと話した花市の茶荘。言葉の壁があるとは思うが、一人で強行突破しようと出て行く。こういう時はちゃんとバイタクが待っていて、MRT駅まですんなり。そしてサナムチャイ駅まであっという間に到着した。

記憶を頼りに駅からの道を行く。花市場の近くなので、花屋ばかりが目に付く。何と2年半前はお茶屋だったところも1つは完全に花屋になっていた。だが目指す王陽春茶行は健在だった。しかし入り口には防御シートが張られ、お客も入り難い様子が見られる。それを乗り越えて思い切って入ってみる。前回はお茶が並んでいたが、今は一つもない。手に取って販売することも避けているようだ。

従業員の女性は華語も英語もできない。奥を指さしてみても、首を振るばかり。そして電話番号を書いてくれ、そこへ電話しろという。恐る恐る電話すると、女性が出た。華語も通じた。そして日本人だと名乗ると、2年半前のことを覚えていてくれた。何とも有難い。お母さまの都合を聞いて折り返すという。今日のところは大成功で店を出た。

そこからふらふらと歩いていくと、あの王有記のところまで来てしまった。もうインタビューしたのは3年も前か。ちょっと店を覗いてみたが4代目王さんは不在だったのでそのまま通り過ぎた。更に行くとあの2020年3月、最後にインタビューした王瑞珍の前に来たので中を覗き込んだが、ここは全く言葉が通じずに敢え無く退散した。まあ店が開いていてよかった。

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