ある日のバンコック日記2020(24)緊張状態で帰国したが

花屋が並ぶ一角、よくよく見てみると、その合間に茶を売る店が2軒は見つかった。王陽春という店などは、あの安渓華僑誌にも名前が記されているので、ある意味では大発見だった。パイナップルの商標が何ともかわいらしい。店員はタイ人(いやカンボジア人?)だったが、奥から華人女性が出てきてくれた。店や一族の詳しい歴史は母親に聞いてほしいと言われたが、生憎今日は不在だった。

彼女とは華語で話せたので、後日再訪すると伝えたが、何とこれが今回最後の茶旅となり、コロナ避難となってしまった。このお店の歴史、非常に興味深いのに、何とも残念だが、既に外出制限がかかりそうで、無理して訪ねる訳にも行かなかった。とにかくバンコックにもまだまだ隠れた茶荘があり、その歴史に踏み込む余地はある、ということだろう。

それからMRTに乗って、ファランポーンまで行き、ランチを探す。汁なしワンタンメンがうまいと評判の店に入ったが、いつも満員の店内がガラガラ。すでに外国人観光客の姿は激減しており、チャイナタウンもひっそりとしていた。この麺、美味いが量が少ない。次回は大盛りやら、汁麺やらを食べてみたいと思うのだが、それが叶うのはいつのことやら。

3月22日(日)帰国

帰国の便が決まり、急に慌ただしくなってきた。2か月半も同じところにいると、なんだかんだで物も溜まり、捨てるか持って帰るかの決断を迫られてしまう。今回は予想外の成果もあり、資料や本なども多く持ち帰ることとなる。この宿には1か月分の家賃を納付済みだったが、最後は半月で出るになってしまった。もったいないとは思うが、まさに自己都合、文句は言えないし、宿の方も収入減で困っているはずだから、ある種の支援と考える。

そんな中で、借りていた本を発見し、前日急遽返しに行ったりもした。バスでアソークへ出たが、人が本当に歩いていなかった。週末だが閉まっている店も増えてきている。いよいよバンコックのロックダウンの噂も本格化し、不要不急の外出はしなくなっているようだった。

私は2日分の食料を買い込み、部屋で食事をしていたのだが、買い置いたサンドイッチかおにぎりが悪くなっていたようで、急に腹痛を起こしたのにはかなり焦ってしまった。何しろ発熱は致命的、飛行機にも乗れなければ、この宿にいることもできなくなるのだから、絶対に避けなければならない。

幸い熱は出なかったのでホッとしながら相撲を見ていた。白鵬が勝ってしまい、つまらない幕引きであった。こんな時期でも日本のニュースではまだ『東京五輪』が開催できるかのような論調が流れており、狂っているとしか思えない。世界のアスリートが東京に集まるわけがないだろう。プロ野球もJリーグも開催延期となっているにもかかわらず、オリンピックは開催するというのだから、恐ろしい国だと言わざるを得ない。

フライトは今日の深夜発なので、時間はたっぷりあったし、ホテルで1泊しているわけではないので、チェックアウトは午後9時にしてもらった。空港まで行くタクシーがあるのか心配したが、すぐにやってきた。運転手は厳重にマスクしており、我々より彼らの方がよほど高いリスクの中で仕事をしていると感じられた。

空港に入っても(入り口で体温チェック)人影はまばらだった。ヨーロッパ線のどこかの航空会社のカウンターの前にだけ、白人の団体がいたが、その他は基本的に人が少なく、蜜の状態はなかった。出国手続きもいつものような混雑はなく、スムーズ過ぎる。免税店には少しだけ人がいた。私と同じように帰国する人々が最後に土産を買っている。

時間が余ったので、ラウンジを使おうと思ったが、多くのラウンジは閉鎖されていた。タイ航空のラウンジも一番端の一か所に絞られており、そこに入るとかなりの人がいたので、緊張してしまった。体調もそれほど良くはないので、何も食べずに紅茶だけを飲んでいたが、居心地も悪く、すぐに出てしまった。空港内のベンチの方が人はいなくてよい。

フライトは定刻に出発。乗客は半分ぐらいだろうか。白人が意外と多いのは、バンコックのロックダウンに備えて東京へ移動するのか、いや東京経由で帰国するのか。深夜なので機内ではお茶が一杯出ただけですぐに暗くなる。そして朝日が射しこんで起き上がると到着だった。思いの外眠れたのは良かった。

羽田空港もさぞや緊張しているだろうと思っていたが、何と飛行機を降りても、検疫所カウンターもノーチェック。入国審査も自動で、どこから帰国したのかも尋ねたれることはなかった。どうやら特定国から来た乗客だけ別扱いにしていたようだが、あまりにあっけなく、驚いてしまい、そしてバンコック入国とのあまりの違いに、怖いと感じてしまう。

朝早いこともあるが、新宿行きリムジンバスの乗客は4人でホッとする。新宿からも普通に電車に乗って帰った。こんなことで良いのだろうかと思ったが、翌日帰国した人への対応はかなり厳しかったという。バンコックは翌日ロックダウンとなり、空港便の減便も続いていった。私の帰国は全てがギリギリだったのかもしれない。ここから約2か月半、週に一度1時間以内の買い物以外全く外へ出ない完全籠城生活が始まった。

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