ある日の台北日記2019その3(12)茶業関係者の末裔と

11月7日(木)
茶業関係者の末裔と会う

2日間、中部に行ったので、今日はゆっくりしようと思っていた。ところが突然微信で連絡が入る。1年以上前に茶商公会の紹介で知り合った呉さんだった。彼は当時上海で働いているということで、会う機会はなく、その後私も上海に行くことが全くなかったので、完全に忘れていたのだ。

 

メッセージでは今台北にいるとのことだったので、急遽会うことになり、30分後には部屋を飛び出した。待ち合わせ場所は大稲埕に近い地下鉄の駅だった。現れたのは、私の息子と同じ歳の青年だったので、ちょっと驚いた。そして茶商公会からは『日本時代初期に有名だった茶商、呉文秀の末裔』とのことだったが、聞いてみると少し違っていて、これまた驚く。

 

彼の案内で迪化街にある同安楽という名の店に入った。店名からして厦門の向こうにある同安である。店は最近はやりのきれいなものだが、奥行きがあり、かなり心地よい空間になっていた。よく見ると以前はお茶屋だったようで、『陳悦記』という文字も見える。店の女性も我々の歴史話に興味を示し、自らの一族の歴史を少し話す。店には日本時代、悦記が大稲埕で包種茶の茶商として活動していたことを示す新聞記事もあった。

 

呉さんの先祖は呉文秀ではなかったが、やはり茶業界の人で、100年ほど前に茶商公会で働いていたらしい。彼もその辺の歴史が知りたくて以前茶商公会を訪ねていたのだ。ちょうど私が持って行った茶商公会の本の中にも、ちゃんと彼のご先祖の名前はあった。1922年の茶業コンテストの際の実行委員会のメンバーだった。

 

そしてその息子は、台湾茶共同販売所に関連しており、日本時代は茶業を中心に発展した一族だと思われた。元は福建の泉州付近から出てきたようで、これまでは安渓中心に調べてきたので、これを機会に泉州茶商の足跡も当たってみたい。何しろ現在調べている林馥泉も泉州出身であり、呉さんの親戚はまだそこに住んでいるようなので、訪ねてみたいと思うようになる。

 

それにしても、若者が自分の一族の歴史に興味を持つことはとても良いことであり、また彼は予想以上に調べていた。そしてこういう話はいくら話も尽きることはない。茶を飲みながら話していたが、昼食もそこで取る。同安の昔の料理が定食で出てくる。なかなかうまい。そしてまた話し続け、結局初対面にも拘らず4時間以上にもなってしまった。

 

それでも別れがたくて、一緒に新芳春の博物館まで行った。ここも大稲埕の大茶商だったが、今は立派な博物館だ。これまで何度か来ていたが、いつの間にか完全リニューアルされており、展示内容は格段に分かりやすく、そして興味深

 

呉さんの一族に歴史に更に興味が沸いてきた。今回はここまでだが、ネタはいくらでもあるだろう。その後も彼からは、様々な資料が送られてきて、それを眺めている。直接的なものではなくても、いずれは役に立つ物だ。再会と新たな発見に期待している。年齢は異なるが、同じ話題で盛り上がれる同士は得難いものだ。

 

一度帰り、疲れをとる。若者と長時間話していたら、やはり疲れてしまった。夜はTさんからのお誘いで、四川の会に行ってみる。これは四川ゆかりの人が集まり、四川料理を食べる会らしい。私も今年、久しぶりに四川に行き、茶旅したばかりだったので、入れてもらった。

 

中山にある四川料理屋、何となく日本的な雰囲気があった。当然ながらそこまで激しい四川料理は出て来ない。なぜか他のお客も日本人ばかりで、店員も日本語で応対する。昔の台北の料理屋の雰囲気がある。参加者も急用などで、4人だけとなっており、和やかな雰囲気で、食事をした。

 

80年代の四川を知る大先輩と、懐かしい話に花が咲く。あの頃は本当に痺れる辛さで、日本人はとても食べられない四川料理が沢山あったことを思い出す。泊まれるホテルは錦江賓館だけ。そして言葉の訛りも強く、何を言っているのか分からないことも多かった。全てが既に歴史の域に入っている。

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