ある日の台北日記2019その3(11)車埕から鹿嵩へ

11月6日(水)
水里から魚池へ

何だかかなりよく眠れた。急いで宿をチェックアウト。台湾人の団体さんが大勢ロビーにおり、道路にも大型バスが数台停まっている。そこを掻い潜ってトミーの車に乗り込んだ。元々台中に泊まる気はなかったのだが、ちょうど魚池の石さんと連絡を取ったところ、有益な情報があったので、寄っていくことにした。

 

訪問は午後だったので、午前中はトミーの案内で動くことになった。まず高鐵台中駅へ行き、トミーの知り合いを拾う。洪さんは、実は有名人。企業向けのコンサル業をする傍ら、台湾ローカルの良い物を掘り出し、町興しなどに繋げる活動をしているという。その一環で茶も出てくるらしい。突然こういう人物と知り合うのも面白い。

 

以前トミーから聞いていた、水里へ行く。集集線というローカル鉄道の終点、車埕駅に着く。2年ぐらい前に一度、この鉄道に全区間乗ってみたことがあり、その際車埕駅にも10分ほど降りたことがある。何となくテーマパークのような施設があったので気にはなっていた。

 

駅は行き止まり。その先は山に囲まれ、木々が茂り、池があり、見事な自然が広がっていた。平日で人もいないので、ここを散策するだけでも良い。紅葉のシーズンがあれば、是非歩いてみたい光景だ。ここは日本時代、木材の集積所だったらしい。その輸送のために鉄道も敷かれている訳だ。近所にダムもでき、水力発電も行われた。

 

古い駅舎が建っている。日本人でここに来る多くは、鉄道ファンだという。駅前には木業展示館もある。明治神宮の鳥居にも使われた、いわゆる台湾ヒノキはここから運び出されたらしい。日本時代の展示はあまりないが、光復後も日本企業の係わりは大きかったようだ。日本家屋もいくつか保存されているが、これは再建されたものだろうか。

 

池の横にお茶が飲める場所がある。雰囲気の良いここでゆったりとお茶を頂くのもよい。いい風が吹いているので、外で飲めるのも良い。洪さんは過去ここをすでに取材しており、その変化などを計りながら、盛んに写真を撮っている。お土産物屋も地元の物を使って、充実してきているという。ランチもここの食堂で頂く。ファミリーで1日遊べる場所となっていた。

 

水里から日月潭を経由して、魚池の鹿嵩に向かった。先日も伺った和果森林に着いた。入口で石さんと出会った。同席して話をしてくれるのかと思ったら、泳ぎに行くのだという。水泳とジョギング、それによって91歳の石さんは益々若返って、元気になっている。お茶の影響もあるとは思うが、これはすごいことだ。

 

店内には、石さんのお嬢さんと旦那さんが待っていてくれた。彼らとは8年前に知り合ったが、その後はご縁がなく、最近茶の歴史の件で、連絡が復活した。今回も、何と二日前に、日本時代に魚池で紅茶を作った持木家の子孫が訪ねてきたというので、その状況を聞きにやってきたわけだ。石お父さんは、光復後台湾茶業に接収された持木茶廠で工場長を務めたご縁がある。

 

来訪したのは、持木家の次男の娘さんとその子供、孫らしい。台湾から引き上げた後は、茶業にはかかわらなかったという。最近大学生の孫が自分の祖先に関心を持ち、湾生だった祖母と共にやってきたということらしい。私の台湾茶の歴史調査にとっても大変役に立つ話なので、今後繋いでいけると良いな、と思う。

 

和果森林はこの辺りでは先駆的に個人旅行者向けDIY(紅茶作り体験)などを取り入れて、日月潭紅茶を売り出してきたが、ここにきて、少し状況が変わっているようだ。茶の卸しや、新しい茶の飲み方などを指向し、それを他業者にも伝えていく方向性を持っているように見えた。こういう話は洪さんの得意分野であり、かなり突っ込んだ話が行われていた。が、商売の話に関心のない私は、外を眺めていた。

 

現在『日本時代、魚池でアッサム紅茶に投資した日本人』について調べを進めている。その中の一人が、持木壮造であり、これまで知られてこなかった日月潭紅茶のルーツを含めて興味深い歴史が浮かび上がってきている。まずは持木、渡辺、中村三氏について、勉強を深めたい。

 

帰りはトミーの車で高鐵台中駅まで運んでもらい、洪さんと一緒に高鐵で台北に帰った。車中ゆっくり話を聞こうかと考えていたが、何と高鐵は満員で、隣に座ることはできなかった。彼は実は非常に忙しい人であり、講演や企業とのミーティングが詰まっているという。次回いつ会えるのかは分からないまま、台北駅で分かれた。

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