ある日の台北日記2019その2(10)高雄六亀のブヌン族を訪ねて

5月2日(木)
高雄六亀にブヌン族を訪ねる

翌朝は5時に起床、6時前にはホテルをチェックアウトした。今日はまた高雄に向かう。ホテルに朝食が付いていたが、食べる時間がないというと、ランチボックスを用意してくれていた。台湾もこういうサービスがあるのか。でも中味はパンと水だったので、もう少し何とかし欲しいとの欲も出る。

 

トミーの車でまずは高鐵台南駅へ行く。ここでトミーの姉、サニーと落ち合った。今日はサニーの同級生に案内を乞うており、彼女もわざわざ台北から駆け付けてくれた。前回の高雄も嘉義から入っていったが、今回も台南から現地に向かう。高雄はかなり広い地域で山が多いのは意外だった。

 

小雨の中、1時間ほどで六亀の街に着いた。ここでサニーの同級生、ブヌン族のアンドリューと合流して、早々に山の中に入る。アンドリューは大学卒業後アメリカに渡ったが、今はこの地の住民代表をしているという。今ちょうど山で茶の作業をしている親族がおり、午後は大雨かもしれないというので、急いで向かう。その山道はかなり細く、山に慣れているトミーも運転し辛らそうだった。

 

山の中に茶畑が見えた。アンドリューは携帯で親族の所在を確認しようとしたが繋がらず、車から降りて大声で呼び始める。如何にも原始的な風景にビックリ。そして何とか親族夫妻を見つけ出し、老茶樹を見ることができた。この付近には山茶と呼ばれる茶樹もあるが、後から植えられた烏龍などが多い。茶業はいつから始まったのだろうか。

 

 

 

実は日本時代末期、茶業試験所の谷村愛之助技師がこの地に踏み込み、アッサム原生種を発見した、との記事を目にしたことがあった。それは当時の京都帝国大学演習林内にあったようだが、この付近のことなのだろうか。それをどうやって確認すればよいのか、今やその術はないように思われた。

 

アンドリューが村にある一軒の家に入っていく。そこには94歳のブヌン族夫婦が待っていてくれた。アンドリューとは遠い親戚にあたる。何と二人ともほぼ完ぺきな日本語で話す。ここで出てきた話はかなり衝撃的だった。いつものように原住民は製茶にはほぼ関わっておらず、ここの茶作りは最近始まったという。だが日本時代、ここにも公学校が出来て、日本人の先生一家が住み込みで教えていた。当時小学生だった奥さんは、先生の家で子守をしていたそうだが、先生の奥さんが『茶の葉を摘んできて、それを自分であぶって揉んでいたのをよく覚えている』というのだ。当時の日本人は、一般人でも簡単な茶作りが出来た、という証拠かもしれない。それでブヌン族も茶の存在を認識し、飲むようになったというのは面白い。

 

肝心の原生種の話。新聞記事に載っている地名をいうと、『この近くだ』というではないか。更には『そういえば、当時は様々な調査をしに日本人が来ていた』というから、谷村もその一人だったかもしれない。ここで発見された茶樹を使い、紅茶生産が計画されたが、戦争によりとん挫したため、詳細はやはり不明のままだが、興味深い事例だと思う。

 

94歳の夫婦は、話し始めると色々なことを思い出していき、その思い出をどんどん話してくれる。親族は大体内容が分かっているようで、日本語にも拘らず、時々合いの手を入れているが、アンドリューやトミーは全く内容が分からない。通訳してくれと言われても、そのスピードと内容、難しい。最後に奥さんは日本語の歌を歌い始める。戦前の流行歌だと思うが何という曲かはわからない。小学校唱歌などではないから、先生の奥さんか教えられたものだろうか。その歌が何曲も続き、遠くを見ながら子供の頃を思い出し、あふれ出てくる姿に、日本統治の意味を考えた。因みにここの地名は『桃源郷宝山村』である。

 

街に戻り、林業試験場六亀分場に行ってみる。行けば京大関連の資料があるかもしれないとのことだったが、昼時だからかそこは閉まっており、聞くことは出来なかった。日本時代、なぜここに演習林が置かれたのか、その中で茶業については何か研究されたのか、など、興味深いテーマではあるが、調べる術が見つからない。

 

昼ご飯に麺を頂く。付け合わせで出てきた小菜が美味しいとお替りする。その後、先ほどの茶業夫婦の家に行き、お茶をご馳走になる。非常にシンプルな製茶設備があり、原始的な作りとなっている。紅茶と緑茶があるようだ。もう少し原生種の特色が分かるようなお茶だと、注目を集めるのではないだろうか。基本的に歴史的にはかなり意義のある茶産地なのだから、何とか発展してほしいと思う。

 

帰りも行きと全く同じルートを取る。台南高鐵でサニーを下ろし、私は台中高鐵まで乗せてもらう。サニーと一緒に台北に帰ればよいのだが、一つは台中から乗った方が安いこと、もう一つはトミーと車中で今日のまとめ、反省会をすることが目的だった。この短期間に2度も高雄山中に連れて行ってくれたトミーには感謝しかない。

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