ある日の台北日記2018その3(7)杉林渓へ

台中を出て、竹山方面へ向かった。これは慣れた道、1時間もかからずに竹山に着く。今日は杉林渓に行くのではなかったのか、と思ったが、車は竹山の茶荘に入っていく。何とここに、杉林渓で3番目ぐらいに茶業を始めた人が待っていてくれた。彼から一通り杉林渓の歴史を聞く。

 

やはり杉林渓の高山茶は少し後に始められていた。鹿谷の凍頂烏龍茶が全盛期にわざわざ高山茶を売りだす必要はなかったようだ。だが時は流れて高山茶がブームになると、杉林渓に茶を植えて、製茶は鹿谷で行う人が増えてくる。最初はほんの小さな茶畑が杉林渓と呼ばれたが、今ではかなり広範囲になっているという。

 

奥さんが淹れてくれたお茶を飲みながら話を聞く。実はこの奥さん、茶の世界では有名な方だという。この茶荘も独特で、何だか骨董品屋かと思うほど、色々な茶道具などが置かれている。しかもよく見ると、日本の物が非常に多い。茶道の道具などの収集家のようだ。日本にも何度も行っているという。ふと置かれていたいた建水、その昔爺さんが煙草盆の代わりに使っていた物にとても良く似ていて驚いた。

 

一通り話しを聞き終え、店を出た。杉林渓については、他の高山茶産地に追加するような歴史はあまり見られないことが分かる。だが何しろ一度もきちんと茶畑を見ていなかったので、1時間かけて山を登ることにした。ただその前に腹ごしらえ。昼ご飯は、トミーの知り合いがやっているレストランで食べることになる。

 

そのレストラン、ちょっとおしゃれ。そして食事の内容が、魚の煮込みや唐揚げなど、かなり和のテイストが入っており驚くほど、ウマい。オーナーは奥さんで、常に料理を研究しており、体に優しく、美味しい物を作り続けているという。台湾ではこんな地方にもこのような店がどんどん増えていると感じる。

 

この日もランチタイムのお店は満員の盛況、今や台北などへ行かなくても、いいものが食べられる時代なのだろう。因みにこの店の横には、茶の包装材などで有名な会社の本社+倉庫が建設中であり、今後はお茶好きの日本人などが立ち寄ることもあるかもしれない。そんな時はここでご飯を食べるのもいいかな、と思う。

 

それから車は山登りを始めた。懐かしい鹿谷を一気に駆け上がり、更に進んでいく。渓頭のホテルには一度来たことがあったが、そこから先は未知の世界。子供たちが干支にちなんだ絵を描いて、それが看板になっているのは面白い。何度カーブを曲がったことだろう。1時間ほどで杉林渓に着いた。

 

かなりの傾斜のある場所に茶樹が植えられている。茶工場もいくつか目に入ってくる。ちょうど天気が曇りとなり、高山の雰囲気が出てきていた。茶摘みをしている人々も、その作業を止め、次々に摘み取った茶葉を渡して、トラックの荷台に収容されていく。茶摘みのために下から上がってきた女性達だ。平均年齢は高そうだった。

 

それにしてもかなりの急斜面。先ほど聞いた話では、茶業が始まった頃、傾斜度30度以上の場所には茶樹を植えてはいけない、というルールがあったと聞いた気がするが、標高約1700m、ここの傾斜はどのくらいなのだろうか。ボーっとそんなことを考えていると、雨が降り出し、すぐに退散となった。

 

車は鹿谷に向けて降りて行く。山から直接竹山に降りる道もあったが、もう一軒寄り道するらしい。街道から離れ、ちょっと分り難い道を行くと、いきなり茶工場が見えてきた。その付近には少しだけ茶畑も残っている。工場には摘まれた茶葉が持ち込まれ、先進的な機械で、室内萎凋が始まっていた。

 

連山というこちらの茶農家では、1960年代から茶作りをしており、ずっと凍頂烏龍茶を作って来たというので、凍頂烏龍茶の歴史をじっくりと聞いていた。天仁などとのかかわりも出てきて面白い。伝統的な凍頂烏龍茶の味を守ってきており、2000年代に入るまで、高山茶には手を出さなかったが、最近は杉林渓高山茶も作るようになっている。

 

実は朝台中で訪ねた茶屋は、ここの娘さんが開業したもので、消費者のニーズなども考慮しているようだ。近年茶農家は減る傾向にあるが、茶畑は増えていくようで、ちょっと危機感がある様子だった。陽が沈む中、茶の香りがしている中、ここを後にして、一路台中に向かう。

 

高鐵台中駅まで送ってもらい、夕飯を一緒に食べようというトミーの誘いを断り、高鐵に乗ろうとしたが、金曜日の退勤後ということか、1時間先まで指定席が取れず、立って帰るのも何なので、丸亀製麺で一人夕飯を食べてから列車に乗る。何となく疲れたなと思ったら台北に着いた。

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