ある日の埔里日記2018その3(8)烏山頭ダムで

5月8日(火)
烏山頭へ

朝は早く起きた。昨日は小雨だったが、今日も日差しはなかった。このホテル、朝食が付いているとのことだったが、何とセブンで買うための食券(60元)2枚とコーヒー券2枚が渡されていた。朝7時過ぎにセブンに行くと既に長蛇の列。取り敢えず食べたい物を確保して並ぶ。だが隣の珈琲は8時からしか提供されない。何ともちぐはぐで面白い。

 

9時半にホテルをチェックアウトして、駅に向かう。何しろ目の前だから便利。Kさんと落ち合って電車に乗り込むはずだったが、何と昨晩行った茶荘のオーナーから『明日烏山頭ダムは行事のため一日閉鎖』との情報がもたらされ、Kさんは行くのを断念した。私は台北からSさんが来るので、取り敢えず隆田という駅へ行ってみることにした。

 

昨日行った新栄の方に向かって走る。これなら新栄に泊まってもよかったな。駅に着くと駅員に烏山頭の状況を聞いてみるが『分らない』との回答。そこへSさんと嘉義の大学で勉強している日本の若者がやってきたので、どうなるか分からないが駅前のタクシーに乗ってみることになる。タクシー代は片道300元、まあ3人で割ればたいしたことはない。

 

田舎道を20分ほど走ると烏山頭という門が見えた。今日は命日の行事(追思会)があり、一般観光客の入場は制限されていたが、中に入れてもらうことができたので、タクシーでそのまま進む。小山の上にホテルがあり、その脇で降ろしてもらう。電話でこのタクシーを呼べば帰れることが分かり安心。

 

まだ午前中だったが、追思会は午後にあるというので、それまで付近を散策することにした。会の準備が進む会場、花が沢山飾られたお墓、そして修復された八田与一像をみて、それからダム?湖?の方へ歩く。この付近の灌漑用水の確保のため、1920年に着工されて10年後に完成したという。

 

ちょうど天気が良くなってきてきれいな景色が見える。人も歩いていないので、この景色を独り占めしている感覚になる。なんとなくいい風も吹いてきて、思わず手を広げてしまった。今から90年も前に、ここで日々格闘していた人々がおり、その後のこの地域の農業の繁栄をもたらし、そして今もそれが残されていることが、何とも素晴らしい。

 

紀念碑があり、ヘリポートがあり、そして北京の天壇を模したような建物が見える。周囲をウロウロしているのも疲れてくると、座るところを探して、無駄話をして過ごした。それにも飽きると、記念館を覗き、八田与一とこのダムの歴史を改めてみてみる。会場の方に戻ってみると午後1時半を回り、大勢の参加者が既に椅子に座っていた。

 

この慰霊祭、日本からお孫さんなどのご遺族及び出身地金沢の関係者が日本から来ている。台湾側も地元の顕彰会などから多くの人が参列している。マスコミ関係者もかなりいるようでしきりに写真を撮っている。さっき見たヘリポートの方にヘリが降りてきたような音がした。誰が来るのかと思っていると、何と行政院長の頼清徳氏が歩いて来るではないか。これにはちょっと驚いた。

 

式典が始まり、僧侶による法要、関係者の挨拶が続いた。皆がそれぞれの立場から思いを述べ、日台の交流を語っていた。だが主役であるはずの行政院長はなかなか呼ばれない。何と最後に頼氏は立ち上がり『昨年まで7年間、台南市長として参加していたが、今年も何があっても参加するつもりでいた』と言い始める。一市長と国のトップでは立場が大きく違う。それでもやってくる頼氏に対する信頼、期待は大きいだろう。また行政のトップとしては『日台関係は好転している』とし、相互の災害支援などでも関係が強まっていることを告げながらも、金沢から来た日本人とも親しげに交流している。如何にも台湾らしい光景だった。

 

その後参列者が献花するなど式は続いていたが、我々は先に失礼することにした。タクシーを呼んで、出口に方に向かって歩いていく。ところが門を出てもタクシーは一向に来ない。どうやら駐車場で待っていたようで、行き違ったらしい。『門から駅までなら250元』と言われ、何だかよく分からなかった。

 

電車に乗り、まず嘉義へ、そこでSさんたちと別れ、一人台中を目指す。何だか速い列車だなと思っていたらプユマ号で、1時間ちょっとで台中駅に着いてしまった。そこからバスで埔里に戻り、旅は無事に終了した。

 

5月9日(水)
埔里を去る

実はこれまで1年半、使わせてもらっていた埔里の部屋が、次回から使えないと数日前に通告されていた。私の勝手な都合で借りていた場所なので、残念ではあるがここを退去することになった。ただ荷物は非常に多いので、一度に持ち出すことは出来ず、一部は預かってもらうことをお願いし、昨夜は荷物の整理に追われた。特に茶の歴史調査の資料が多く、色々と思い出すこともあった。

 

朝ご飯は最近気に入っているクラブサンドイッチを食べたが、店の人には特に挨拶しなかった。これまでも旅人であり、また戻って来るつもりもあったからだが、寂しさは否めない。私の心を反映してか、朝からかなり強い雨が降り出した。バスに乗る時間が近づいても雨は止まず、最後は仕方なくスーツケース2つを両手で持って、バスターミナルまで疾走?した。まるで青春が終わったかのように感じた。

 

バスで台北まで行き、午後松山空港から羽田へ向かった。実は僅か1週間でまた戻ることになっていたのだが、いつもとは違う感情が沸いて来ていた。さあ、これからの私の台湾旅は、どう展開していくのか、楽しみでもあり、ちょっと面倒でもある。

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