ある日の埔里日記2018その2(5)茶の歴史談義

3月25日(日)
茶の歴史談義

埔里ではいつも朝昼兼用で10時半頃クラブサンドを食べる習慣になっているが、この宿泊先付近にはそういうお店はあるのだろうか。駅の方に歩いていくと見付からないが、駅と反対方向にはあったので入ってみた。ちゃんとクラブサンドと書かれていたので注文したが、出てきたのは三角のトーストにハムや卵を挟んだだけ。私はこれを手抜きと呼んでいるが、コストの高い台北ではこれが一般的らしい。あの埔里の丁寧に作られた安くてうまいクラブサンドが恋しい。

 

台北に来てから気になっていたことがある。今の宿泊先のすぐ近く、歩いていける距離にこだわりの茶人、小楊の家があったはずだ。もう2年以上も連絡を取っていないが、まだ健在だろうかと。そして恐る恐る昔の携帯番号を探し出し、電話してみると、『おー、今どこにいるんだ。遊びに来い』という話になり、嬉しい限りの再会となる。

 

宿泊先から歩いて10分もかからない。MRTなら一駅以内の距離に、懐かしい家がある。普通の家なので、看板もなく、一見さんは入ることすら出来ない小楊のお店がそこにある。階段で5階まで上がると、奥さんが迎えてくれた。二人とも特に変わった様子もなく、室内も大きくは変化していないように見えた。

 

小楊はいつものように飄々として湯を沸かし、いい感じの急須を使って、美味しいお茶を淹れてくれる。これもいつものように私には買えないような高価な茶を。この落ち着いた空間、懐かしいというか、斬新というか、まったり過ごせる。取り敢えず長いご無沙汰の時間を埋めるために、近況などを報告する。

 

その報告の中に、『最近台湾茶の歴史を学んでいる』と話すと、いつもはあまり話をしない奥さんが乗り出してきて、包種茶、紅茶、高山茶などについて、色々と説明をしてくれた。彼女は台北近郊の茶農家の娘だそうだが、実は茶の歴史をかなり深く勉強しているようで、一般的に言われている歴史+自らの体験+先祖の話を合わせてしてくれ、とても参考になるので、驚いてしまった。史実はネット上で語られているだけではないのだ。

 

どんどん話が深くなっていく。私は興味津々で来ているが、その内どうしても資料が欲しくなる。『資料に書いているようなこと、資料があるようなものが果たして真実か』とは思うものの、物を書く場合、どうしても何らかの根拠が必要だと感じてしまうのだ。それは仕方がないことだが、また資料がないのも仕方がないと思うのだ。

 

小楊が『そういえば最近知り合いが本を出したよ。彼の本なら何か歴史にも参考になるかもしれない』というので、どこで買えるのかと聞くと、急に電話を掛けて、『今から買いに行こう』というではないか。意外性の小楊というべきだろうか。面白い。3人で急ぎ外へ出て、タクシーを拾う。

 

どこまで行くのかと訝っていると、到着した場所は何と西門町近くの中山堂。昨日久しぶりにこの地区を歩いていて、中山堂は今どうなっているのだろうかと思ったので、ちょうどよい機会となる。古風な建物の中に入り、エレベーターで4階に進むと、予想していなかった茶館?があり、お茶を飲んでいる人がいた。廊下にも茶を飲むスペースがあり、かなり静かなので、ゆったりできそう。

 

小楊とここの老板は知り合いのようで、早速先ほど問い合わせた本を取り出してくれ、ゲットできた。この本は茶の雑学全般が書かれているようだが、著者の体験も多く、参考になりそうだ。小楊と老板は何か商談をしているようだったので、この4階を見て回る。何と茶に関する講演会もここで月1回程度行われており、かなり有名な人々が登壇するらしい。チャンスがあれば一度聞いてみたい。また畳の部屋なども用意され、茶芸を楽しむこともできるようだった。今度は休息のためにここに来よう。

 

中山堂を出ると小楊がご飯を食べていこうという。結構時間は早かったが、私は今日1食しか食べていないのでその提案に従い、西門町の駅の方へ向かう。今日は週末でその付近は人で溢れていたが、まだ早かったせいか、彼が入りたかった鴨肉の店に何とか席を確保した。ここでは麺を頼み、なぜか鴨ではなくガチョウの肉を食べる。料理自体は美味しいのだが、老舗だというのに、何とも不思議な構図だった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です