ある日の埔里日記2018その2(4)西本願寺から華西街へ

3月24日(土)
台北散歩

翌日の土曜日はゆっくり起き上がり、昼近くになってフラフラと出掛けた。MRTに乗り中正紀念堂で降り、紀念堂には行かずにその周辺を散歩した。最近は台北に来ても余裕がなく、こんなあてずっぽうな旅は久しぶりだった。紀念堂の反対側には国家図書館があり、何か資料が見つかるかもしれないとは思ったが入る気分になく、そのまま抜けて台北賓館を横目に見ながら、総統府の方へ向かって歩を進める。

 

休日の昼時、この辺の人通りは少なく、天気は良いが暑くもなく、快適な散歩となった。愛国西路、そんな道があったんだ、知らなかった。そこには古めかしい建物が見えたが、なぜか立ち入りが制限されている。日本統治時代の専売局の跡らしい。このあたりは街路樹も生い茂り、雰囲気も良い。

 

ダラダラ歩いていくと、西門町まで出てきてしまった。ここから台北駅の方に向かうと、何といつの間にか、西本願寺が復元されているではないか。日本統治時代に建てられたが、光復後は跡形もなくなっていると思われたこの寺、本堂はなかったがその台座は残されており、周囲は公園のように整備され、小山の上には鐘撞堂まで復元されていた。1975年の大火で焼失したとされる本堂、5年ほど前に突然現れたらしいが、全く知らなかったので驚いた。今の日本ブームを象徴するような現象であり、そこには週末ということか、大勢の台湾人が家族で訪れていたのが印象的だった。

 

確か台北には西本願寺だけではなく、東本願寺もあったはずだが、こちらはどうなっているのだろうか。検索を頼りにその場所を探してみるが、全く見つからず。どうやらデパートになっており、西のように再建される雰囲気はないようだ。勿論でデパートの周囲のどこにも東本願寺跡、と言った表示すらない。東と西の明暗を分けたものは何だったのだろうか。

 

折角ここまで来たので、懐かしの萬華を歩いてみようと思い立つ。華西街、私が住んでいた1990年頃は仄かに赤線街が残り、夜はちょっと危険な香りがしたものだ。蛇の生き血を飲ませるショーが常に行われており、なぜかそこでは日本のプロレスのビデオが流れている、そんなオールドファッションな場所だった。

 

華西街観光夜市、昼間のせいか、昔とは全く違うのか、萬華付近は静寂を保ち、古い建物は散見されるものの、猥雑な雰囲気は全くなく、ただのきれいな道だった。華西街も家族連れや若いカップルが歩く、健全な雰囲気が漂い、あのけだるい光景は見られなくなっていた。何となくスーッと歩いて抜けてしまった。30年前、ここに来る時は身構えた思い出があるが、今はスーである。

 

そのまま歩き続けるとやはり観光スポットである龍山寺に辿り着いた。さすがにここまで歩いてくると暑い。何となく30年前を思い出し、木瓜牛乳が飲みたくなってしまう。昔はよく飲んだものだが、最近はとんとご無沙汰だった。周囲を見渡すと、何とか一軒のきれいな店を発見。そこで木瓜牛乳を注文したが、甘さをどうするとか、色々と聞かれて面倒。あの圧倒的な甘さがいいのでは?更には料金も随分と高くなっている気がする。ここにも古き良き台湾は無くなってしまったように感じてしまった。

 

龍山寺も34年前、初めて台湾に来て最初に観光した場所だった。あの頃も観光スポットではあったと思うが、もっと熱心な台湾人信者が一心に祈りを捧げており、かなり迫力があったことを覚えている。今は寺自体も何となくスッキリしており、MRTの駅まで目の前に出来ており、参拝者も外国人中心に変わっているようだ。さすがに疲れ果てたので、MRTに乗って帰る。

 

休息後、晩御飯を探して彷徨う。ちょうど海南チキンライスの看板が目に入り、思わず中へ進む。新しい店らしくきれいだが殺風景。蒸したチキンが載っているのは確かだが、どことなく海南チキンとは違うように感じられる。台北は埔里より物価が高い。これで120元、量的には満足だが、質的には厳しい。やはり台湾では、台湾のものを食べるべきかもしれない。

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