ある日の埔里日記2018その1(7)廬山温泉で

1月30日(月)
台北最終日

今日は夕方埔里に戻るバスを予約していた。ちょうど午後に雑誌社に行く用事があったので、その前をどうしようかと考えていると、料理人のSさんを思い出し、会うことになった。場所は、午後の予定を考えて小巨蛋の近くにしてもらった。レストランはこぎれいな京鼎小館。昔鼎泰豊で働いていた人が開いたらしい。

 

午前11時なので、お客はまばらだったが、12時近くなるとほぼ満席になった。日本人観光客もガイドブックを抱えてやってくる。埔里では日本人に会うことは殆どないので、ちょっとした違和感がある。メニューにはもちろん日本語があり、ウエートレスも日本語を話すようだが、こちらは全て国語で注文する。

 

出てきた鶏スープは何となく懐かしかった。これが鼎泰豊のウリだったよな。チャーハンも満足できるものでよかった。デザートに豆沙小包を食べればもう完璧だった。今や日本人観光客で行列ができるあの店には行きたくないが、こういうこじんまりした店で、似たような味が食べられるのは悪くない。

 

まだ時間があったので、コーヒーショップを探して入る。カフェラテを頼むとラテアートが出てきて驚く。今や台北ではそんなにしゃれた店ではなくても、それなりにおしゃれなのだと実感する。コーヒー1杯が私の夕飯2回分の値段である。やはり台北には住めないな、とも思う。

 

午後訪ねる会社の住所を忘れてきてしまった。仕方なく、この辺と思われるビルを1つずつチェックしていったが、なかなか見つからず焦る。結局MRT駅にかなり近いところでようやく見つける。私に記憶もいよいよ末期症状だ。ここではN編集長と2時間も話し込んでしまった。何だか仕事の邪魔をしてしまったようで申し訳なかった。

 

それが終わると急いで宿へ取って返して荷物を取り、台北駅へ向かう。何とか5時のバスには間に合い、一安心。バスは一路埔里を目指して快調に走り、眠っている間に体を運んでくれるから有り難い。

 

1月31日(火)
霧社へ

翌朝はゆっくり起きる。実は昨日台北で会ったSさんが、休暇があるというので、埔里に遊びにくることになっていた。久しく会っていなかったのに、2日続けて会うのは何となく不思議な気分だ。バスターミナルで待ち合わせて、廬山温泉へ向かった。Sさんの希望で、今日は霧社事件関連を歩くことにする。

 

ちょうどバスが来たので乗り込む。清境農場行きなどは本数があるが、廬山温泉行は一日に数本しかないので、霧社を通り越してまずはこちらを目指す。相変わらずお客はあまりおらず、終点に着いた頃には我々だけになっていた。取り敢えず昼を過ぎていたので、ご飯を食べる。

 

一人だと入りにくい食堂も、二人だと入れるのは嬉しい。特にこのような人がいない場所ではそれは顕著だ。野菜は新鮮で山豚の肉は旨い。スープもイケており、満足できた。これを一人で払うと400元になるが、二人で割れば半分なので、旅の経済性は格段に向上する。

 

目の前に難敵の吊り橋が待っていたが、今日は他に誰もおらず、揺れる心配がないので、何とか渡り切った。ここを越えると少し店が並ぶがその後は閉鎖された温泉宿。その後に蒋介石が好んだという和風の家がある。そこを過ぎると上りになり、マヘボ社の石碑がある。ここが霧社事件のモーナルーダオの本拠地へ続く道だ。

 

実はこのルート、昨年一人で歩いて大雨に遭い、大変難儀した。1㎞ぐらい坂を上がると、モーナルーダオの石碑があり、廟もある。そしてその向こうには故居の表示もあるが、前回は雨で見付からなかった。取り敢えず歩いて探してみたが、やはり見付からず、民宿になっているので入って聞いてみると『昔はあったが、今はもうない』というではないか。しかもよく考えてみると、彼らの部落はもっと山奥にあるはずだと思えてきて、単なる観光客向けの看板にかなり嫌な気分になる。その民宿には温泉もあるが、自分でお湯を入れて入るのだという。まるでプールだな。

 

仕方なく山を下りると、別の道があったので歩いてみた。奥の方に源泉が湧き出ているような湯気が立っている。近づくとそれなりの建物が建っているが、中に入ると誰もいない。個室温泉があるようだが、今や利用者はないようだ。食堂もあるが、実に懐かしい孫燕姿のポスターが貼られており、タイムスリップ状態だった。

 

バス停まで戻りバスを待つ。だが予定時刻を過ぎてもバスは来ない。ちょっと遅れるのかと思っていたが、何とこのバスはついに来ず、次のバスが50分後の始発だったので、それに乗り霧社へ向かう。前のバスは廬山始発なので、この坂を下りて来ないで通過したらしい。何とも酷い対応だが、これも二人だから笑って過ごせた。

 

霧社までは20分もかからない。降りてすぐに、昔の神社跡に登り、景色を眺める。それから記念碑を訪ねる。そこも完全に観光地化しており、何とも言えない。更に下におり、事件の起こった公学校跡(現在の台湾電力)を通り、日本人墓地跡を見て帰路に就く。何だか妙に疲れた。

 

今度は幹線?なのでバスはすぐ来て1時間で埔里に戻る。夜はお客さんが来ると行く古月軒で、地元料理を食べる。Sさんは料理人なので、色々と試しては首を振ったり頷いたりしているのが面白い。

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