ある日の埔里日記2017その6(11)猫空の鉄観音茶

12月23日(土)
猫空へ

朝荷物を持って埔里を出る。今年最後の滞在は何となく終わってしまった。また来年も来ればよい。いつものバスに乗り、いつものように台北駅に着く。ただいつもと違うのは、今日は昼間に着いたこと。土曜日なので葉さんも会社は休みなので、昼でも鍵が受け取れるという。そして折角なので、鉄観音茶の歴史調査に誘うと、車で連れて行ってくれるというから有り難い。

 

家に行くと葉さんはケーキを焼いている。どこかへ持っていくらしい。台湾でも自分でお菓子を焼くことが流行っていると聞いたが、かなり本格的だった。そろそろ出発の時間だったが、一向に出掛ける様子がないのが台湾的。こちらは一応相手と約束しているので、気が気ではないかが、行かないものは行かないのだ。

 

ご主人、林さんのお兄さんがアメリカから帰ってきており、彼を待っていたことが分かる。後で聞くとお兄さんは日本に何度もスキーに行っている。雪の質が良いのと便利だからだという。ようやく出発したが、台湾大学で開かれている農業博覧会に立ち寄る。そこに出店している農家に先ほどのケーキを差し入れるためだった。それが済んで、ついに動物園方面に車が動いていく。

 

今日会う予定の張さんに遅れるとメッセージを入れると、『それなら先に博物館に寄ってから来てくれ』と言われる。確かに午後2時を過ぎており、張さんのところに先に行くと博物館が閉まってしまうらしい。葉さんにお願いして、そちらに連れて行ってもらう。ところが週末の猫空は観光客で混みあっていて車も渋滞気味だ。私一人で来たら、バスに乗るのも大変だっただろう。

 

何とか上まで上がるが、駐車場がなく、車が入れないエリアも多く、随分下の方に車を停めて歩いて向かう。途中ほんの少し茶畑が見えたが、基本的にはこのあたりではもう茶は植えられていないことを確認した。到着したところは『台北市包種茶鉄観音茶研発推広中心』という名前だった。

 

何とも驚くのは包種茶という文字が入っていたこと。ここは木柵から続く鉄観音の産地のはずだがなぜ包種茶の名前があるのか。中に入ると、鉄観音茶の歴史の展示があったが、それはほんの少しだけ。やはりこのお茶はマイナーでその歴史は重視されているようには見えない。更にはこの地でも鉄観音の前に包種茶を作っていたという事実が語られている。だからその名前があるのだ。お茶の歴史なんて、そんなものだ。思い込みや刷り込みで語ってはならない。

 

一応事務室に行って、案内を乞うたが、ここには歴史に詳しい方はいないようだった。もう一つ博物館があるので、そちらへ行くとよいと言われたが、今回は時間が無いので断念した。そうか、博物館を間違えてしまったのだ。この建物の一角ではお茶の試飲が無料で、多くの人はそちらへ流れていき、美味しいと思えば購入して帰るようだった。

 

我々は張さんの工房へ向かうべく、車に戻り、出発した。だが週末は一部通行止めもあり、真っすぐに向かうことは出来なかった。何と一度下へ降り、また違う道を登っていくことになる。何とかたどり着いたそこは、賑わいとはかけ離れた静かな場所で、景色もよい。だが張さんは不在だった。

 

連絡するとバイクで来てくれた。どうやら今は焙煎作業中、作業の合間に木柵の店に戻り、別の作業をしているらしい。12月だが、意外と忙しい。思えば、10月末に張さんの店を訪ねた時は、それほど忙しいそうではなかった。我々が前回彼を訪ねたのは、実は葉さんの紹介だった。だが彼女も張さんに会ったことはない、というので、またご縁が繋がっていく。

 

焙煎室も見せてもらった。そこには、温度管理や焙煎方法など様々な工夫が凝らされており、実に繊細な作業が行われていた。安渓の鉄観音に比べても、木柵鉄観音茶を作るのは本当に大変なことだと感じる。焙煎が命の鉄観音、心して飲む必要があるが、その数量は極めて少ない。代金が高いのも頷けるが、今や木柵鉄観音茶は風前の灯火だろうか。

 

張さんが夕飯を食べに行こうと誘ってくれた。猫空の夜、張さん行きつけのレストランのお客さんは多かった。夜景はハッキリとは見えなかったが、やはり週末は人が多いらしい。蒸し鶏がぷりぷりしていて絶品だった。他の料理もなぜか美味しい。やはり地元の人と行くと違うのだろうか。最後は張さんがバイクで先導してくれて、山を下りた。

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