ある日の埔里日記2017その6(10)18度C巧克力工房

12月20日(水)
東邦紅茶へ

南部から帰った次の日、東邦紅茶の郭さんに連絡を入れた。トミーが『東邦紅茶には煎茶を作った機械があったはずだ』と言い出したからだ。ちょうど台湾緑茶の歴史を勉強中で、港口茶について話していたので、是非見てみたかった。台湾で日本向け煎茶が作られたという歴史は各地で聞いており、実際にその機械なども見たことがあった。だがここ埔里でも作られたとは意外だった。

 

工場内には古い機械が沢山置かれているが、更にその奥にはすでに使われなくなった機械が積まれていた。その中を掘り起こしてみると、僅かに『SHIZUOKA』という文字が見えるではないか。ここでは1960年代に数年だけ、日本向け緑茶を作ったことがあるらしい。ただその品質はそれほどではなかったようで、すぐに飲料茶の方向へ切り替えたようだ。

 

工場の庭にはほんの少し茶樹が植えられており、ちょうど花が咲いていた。茶の葉を見るとかなり大きい。郭さんは『緑茶はこの葉を使ってつくられたと聞いている。この葉っぱでは日本でいう番茶のようなものしかできなかったのでは』という。創業者である郭少三氏は煎茶製造の知識もあったのではないかともいうが、やはりこの地域で緑茶という選択はなかったのかもしれない。

 

12月22日(金)
牛耳で

金曜日の午前中はいつも黄先生のサロンへ行くことになっているが、今日は18度Cの茆さんの声掛けで、先日の珈琲イベントの打ち上げが行われるというので、Iさんの車に乗せてもらい、牛耳に向かう。牛耳はイベント当日の夜、北大関係者の歓迎会が行われた場所で、素晴らしい鉄板焼きをご馳走になった。

 

前回は夜だったが、昼の牛耳は観光バスでごった返していて驚いた。天気が良いのでこの高台から埔里郊外がよく見える。原住民のシンボルのようなモニュメントがある。敷地もかなり広く、建物もいくつもあり、どこで食べるのかが分からないほどだ。観光バスの団体さんは次々に大きな食堂へ吸い込まれていく。

 

我々は前回食事をした建物に案内されたが、鉄板焼きコーナーではなく、その横へ。我々日本人と黄先生は個室に入った。スペースの関係で茆さんたちは2階へ行ったようだ。今日の会は今回のイベントの反省と、次回の開催に向けての話し合いの場と聞いていたので、これはちょっと残念だったが仕方がない。私個人としては、皆さんの思いと現実の売り上げなどの状況を把握したかったが、それは叶わなかった。

 

目の前には沢山のご馳走が並んでいく。写真映えするきれいな盛り付けがよい。非常に食べ甲斐のある、刺身・焼き魚・巨大茶わん蒸しなど和食風のメニュー。まあ今日はこの料理を満喫するか。楽しいランチが終了する頃、茆さんから、今回のイベント参加者との話し合いの内容が一部伝えられた。どうやら皆さん、次回にも前向きのようでよかった。果たして次はどうなるのだろうか。

 

また日本好きの茆さんは、これを機会に北海道との結びつきも深めたいと考えている。埔里から訪問団を編成して北海道を訪れることを検討するという。そういえば日本の『道の駅』に感銘を受けた彼は、埔里でも道の駅を作りたいと言っている。話がすべて具体的なのがとてもよい。

 

一度部屋に帰って休んでから、18度C巧克力工房に向かった。実は明日からの台北行きのお土産に18度Cのバームクーヘンを持っていこうと考えたからだ。私が何かを少しばかり買ったからと言って、店の売り上げに貢献できるとは思えないが、今回イベントで茆さんから受けた様々な恩恵に少し報いたい気持ちがあった。更には埔里名物を台北にも広めたいという狙いもある。

 

部屋から始めて歩いて店に行ってみたが、こんなに近かったのかと驚く。どうして今まで来なかったのか不思議に思う。今年はイベント打ち合わせのために何度も来ており、その度にここのチョコレートやクッキーが出され、それを食べていた。それが楽しみだったとも言え、満足してしまっていた。

 

バームクーヘンの店に入り、商品を選ぶ。ただ生は日持ちがしないので、焼いたものを求める。すると店員さんが、『これは試供品ですので、是非食べてみてください』と別の味を渡される。更には『1000元以上購入ですので、あちらでチョコももらえますよ』というではないか。ジェラートも食べたかったが、その横でチョコを受け取る。お客さんの心をつかむサービス、なかなか見られないものだった。埔里でここだけが常に賑わっている理由が何となく分かった思いだ。

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