ある日の埔里日記2017その6(2)林内という街を知る

12月4日(月)
林内へ

今日はベトナムのダラットで先日出会った張さんを訪ねるために林内に向かう。林内にはどうやって行けばよいか分からなかったが、『竹山まで来てくれれば迎えに行く』と言われ、それに従う。竹山は直線距離では遠くはないが、バスの便がないので、遠く感じる。埔里から高鐵台中駅へ出て、そこで南投客運に乗り換えるのがよいと言われた。駅に着いて聞いてみると、『あそこのバスに乗れ』と言われ、走って飛び乗る。間一髪間に合った。そこから30分で指定されたバス停、竹山秀傳医院に到着した。結構立派な病院が建っていて驚く。

 

そこから張さんに電話してもメールしても応答がないので、かなり焦る。ここに取り残されても、どうしようもない。10分待ったが、何の返事もないので、竹山の劉君に連絡を入れてみた。彼は若者だが、一度埔里で会っており、また会いたいと言われていたのを思い出した。ちょうど彼も竹山におり、これから迎えに行く、と言ってくれた。ちょうどその時、張さんから電話が入り、こちらに向かっているという。何と間の悪い。しかし連絡が取れたので、今日の目的を優先して、劉君に断りの連絡を入れた。本当に申し訳ない。病院の周囲をちょっと回っていると、張さんの車が近づいてきた。

 

林内は雲林県にあるが、南投県と彰化県の境に位置しており、昔は交通の要所だったことが分かる。車で5分位いくと橋を渡り、南投から雲林に入るので、その雰囲気が分かる。しかも林内は台鉄の駅があり、二水、田中と並ぶ茶の集積地だったようだ。そんなところがあろうとは、台湾は狭いと言いながら知らないことはいくらでもある。

張さんの家は街中にあり、林内駅はすぐそこだという。家に招かれると、張さんはお茶を淹れてくれ、奥さんは林内名物という、麺を買ってきてくれた。この麺、ちょっととろみがあり、煮卵が入っており、何とも言えない美味しさで驚く。食後に出された柿とリンゴも甘くてうまかった。台湾のフルーツは時々日本を越えている、と思うことがある。またデザートだと言って、名物の氷芋が出された。これはタロ芋かき氷とでも呼ぼうか。非常に冷たく腹に堪えた。

 

 

お土産の日本茶を渡していると、若者がやって来た。お茶好きらしい。彼は私が出したこーちゃん作成の茶のパッケージを見て、えらく驚き、『これは凄い、誰がこんなもの、作り出したんだ』と喜んだ。10分ぐらいして、そのこーちゃんから突然メッセージを受け取った。『今突然中国語でメッセージを受け取ったのだが、意味が分からないので翻訳して欲しい』と。その若者に、『これはお前が打ったのか』と聞くと、『何で知っているんだ、日本は狭いな』と笑う。今の時代の検索とスピードには脱帽だ。

 

張さんのテーブルの上には新聞記事など、過去の栄光が挟まっている。製茶師として色々と賞を取り、この辺ではけっこう有名なのかも知らない。そしてちょっと目を惹いたのが『世界緑茶コンテスト』という文字だった。これは日本の静岡で行われているものではないのか。何で張さんがこれに関わって賞を取るんだ。

 

すると意外な答えが返って来た。『実はタイで製茶指導をしていた時に、偶然出品の話があり、何で緑茶コンテスト、と思ったが、入賞したんだよ』というではないか。何だか聞いたことがある話だ。しかも2009年の受賞、まさか?タイ北部チェンライの茶園、チョイフォン?そこはバンコック茶会でお世話になっている日本人Mさんの関係先で、彼女がこのお茶を持ち込んでいたのだ。何とこんなところでまた繋がってしまった。茶縁恐るべし。しかもMさん、ちょうどご主人と台北旅行中!すぐにメッセージを送ると本当に驚いていた。ただMさんと張さん、直接の面識はないらしい。

 

 

この付近の茶作りの歴史を聞いてみた。1950-60年代にこの街の上、標高350mぐらいの坪頂で茶業が始まり、2-30軒の製茶場が作られたという。張さんの実家もそこにあり、茶作りをしていたことから、彼の今があるようだ。だが80年代には凍頂など、標高の高いところに茶畑が動いていく中、多くの製茶場が閉鎖されて行ったという。張さんは製茶技術を生かして、外で茶を作り、その茶を売るという商売になった。今では林内で茶業に関わる人がごくわずかだという。

 

 

その坪頂に登ってみる。眺めは良い。張さんの実家にはお母さんが住んでおり、天気が良いので、近所の人とおしゃべりしていた。近くには樹齢200年と言われるマンゴの木などが、高々と聳えている。この村の歴史は長いようだが、また長く困窮が続いていたとも歴史は述べていた。

 

 

夜は古坑に行こうという。古坑と言えば、コーヒー発祥の地などと呼ばれ、今やコーヒーで有名だ。私は行ったことがないので大歓迎だった。林内から車で30分ぐらい、かなり山を登り出す。着いたところは真っ暗。下は見えるが夜景という程の灯りがない。そこにはおしゃれな民宿があり、食事もできる。そこで鍋を食べる。夜はかなり涼しい。標高も高いのだろう。更にそこで古坑コーヒーを味わう。ちょっと酸味がある。

 

山を下りると、何と車で埔里まで送ってくれるというので恐縮した。約1時間半かけて、埔里に着いた。今日は一日張さんに世話になってしまった。ところがシャワーでも浴びようとしていると、何と張さんがすぐ近くのお茶屋に寄ったから来ないか、と聞いてきた。その店は知り合いだから、ちょっと顔を出すと、張さんとそこの許さんは福建で共に茶に関係していたらしい。何とも世界は狭い。更には改良場を引退して埔里に住む老人まで現れ、茶談義が華々しく繰り広げられた。解散したのは深夜12時、張さんは車を飛ばして林内に帰っていった。

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