ある日の埔里日記2017その4(1)坪林 包種茶の歴史調査

《ある日の埔里日記2017その4》

今年4回目の台湾行。もうかなり慣れてきたが、3か月ぶりとなると、ちょっと懐かしい気分になる。今回もまた色々な出会いがあり、様々な情報・知識を習得して有意義だった。日常の中で新たなものに出会い、ワクワクできるのはなんとも好ましい。

 

9月6日(水)
泊まる所がない

今回もエバ航空に乗って、桃園空港に行く。エバ航空、今年はじめぐらいまでは、本当に安いチケットが手に入ったのだが、現在は徐々に値上がりしている。台湾人の日本観光が凄い勢いであり、LCCすらだいぶん高くなっているので、当然のことかもしれない。困ったものだ。

 

いつも着く第2ターミナルではなく、LCCが多い第1ターミナルに到着したとアナウンスがある。そんなことは時々起こるらしい。折角先頭の方を歩いてきたのに、電車に乗ることになる。ホームは狭く人でごった返している。天気はいいようだ。第2ターミナルから出て、新設の地下鉄に乗るかとも思ったが、慣れ親しんだバスの方に進んでしまう。これは仕方がないことかもしれない。

 

台北駅前に着く。今晩はお知り合いのHさんが宿を用意してくれるというので、そちらに向かう。ところがそこへ行ってみると、日本人女性が出てきたが『宿泊の話は聞いていない』と言われてしまう。Hさんに連絡してみても繋がらない。その内この宿のオーナーがやって来た。台湾人女性だ。彼女と話すと『今日はバンコックのKさんが泊っている』と言い、その部屋しか今は使っていないのだという。話が全く分からずに困ってしまう。

 

ようやくHさんたちがやってきたが、結局今晩はKさんと同室で寝ることになった。ここは今後宿屋をやる予定だが、今はただの家だと分かって驚いた。Kさんには何とも申し訳ないし、Hさんには正直違和感を覚えた。それでも皆知り合いなので、3人でご飯を食べに行く。それでも今日のことがなぜ起こったのか判然としない。牛肉麺を食べ、マックでコーヒーを飲みながらKさんと近況について話した。

 

宿に戻るとなぜかHさんも一緒にやってきて、ここに泊まるという。オーナーの台湾人女性もいるし、日本人女性も住んでいる中で、強引にリビングのソファーに寝てしまった。私もかなり疲れていたので、ベッドへ潜り込むと全てを忘れて寝込む。何とも不可解な1日だった。

 

9月7日(木)
坪林へ

翌朝は8時前に目覚めて、荷物を預けたまま、すぐに出掛ける。地下鉄で新店まで行き、そこからバスに乗ろうとしたが、何と時間を間違えてしまい、相当に時間が余る。仕方なく、新店駅付近を散策する。すぐ横には川が流れており、きれいな橋も架かっている。散歩する老人などがおり、実にゆったりした空気が流れていた。

 

朝ご飯も食べていなかったので、サンドイッチセットを注文する。50元で、温かいものが食べられるのだから、安いと言える。ようやくバスが来て乗車。しかしよく見るとこのバス、全体の3分の1は優先席になっている。乗っている人も老人が多い。いっそのこと、全席優先席にした方がよいのではないだろうか。因みにバスは高速道路を走るため、立って乗ることは出来ならしい。運賃30元、乗車時間40分。

 

今日坪林に来たのは他でもない。包種茶の歴史調査だった。まずは馴染みの祥泰茶荘を訪ねる。親しくしている長男は、何とチェコに出張中で不在だったが、歴史のことならお父さんだろう、ということで、相手をしてもらった。沢山の資料を見せてもらい、昔話も聞き、何と紙に包まれた73年前の包種茶まで登場し、調査は上々の成果を上げた。お父さんに感謝!

 

この店には引っ切り無しにお客が入ってくる。家族連れは何と横浜から来た華僑だった。元々ここの出身、横浜でレストランをやっているらしい。里帰りのそのおじさんが『台湾へのみやげはこれが一番だ』と言って煎餅をくれた。確かに台湾人には甘いものより煎餅かもしれない。更にお父さんの知り合いが集まってきたので、昼ご飯に混ぜてもらった。全て台湾語で話しているので内容は分からないが、皆懐かしそうだったので遠くから来たのだろう。

 

午後は坪林博物館へ向かう。ここに行けば包種茶の歴史は簡単に分かるだろうと思ったが、そうではなかった。確かに一通りに展示はあったが、核心は分からない。更には包装の特別展もあり、こちらには色々と参考になるものがあったが、もっと資料が欲しいと欲をかき、ちょうど雨が降ってきたので休憩方々、博物館の人に尋ねる。

 

雨が上がったので坪林の図書館へ向かう。この建物、ちょっと古そうでよい。そこに包種茶関連の本があると聞いたのだが、係員に聞くと『誰かが借りて行ってしまったらしい』と言い、見つけることは出来なかった。また近所の茶荘オーナーも紹介され、訪ねてみた。彼は台湾茶の歴史全般を調べているようで、パワーポイントで説明してくれたが、包種茶の詳細な歴史資料を持っているのかは分からなかった。

 

台北に戻り、荷物を引き取って、定宿に向かう。Kさんとはもっと話したかったが、狭い部屋で一緒に寝るのは申し訳ないので、宿を移った。それから歩いて旧知のS氏のオフォスに向かう。すると突然後輩のSさんからメッセージが入った。元々は彼と会うつもりだったのだが、返事がなかったので、S氏を誘ったのだ。

何とこの二人、同業でオフィスも隣同士という偶然。これは一緒に食事をしようと話し、三人で楽しく夕飯を食べた。あまり意図していなかったのだが、こういう結びつきもあるのだな、と気づく。台湾は狭い、そして面白い。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です