ある日の埔里日記2017(18)豊原に新年のあいさつに行く

24日(土)
豊原に新年のあいさつに行く

 

とうとう完全に正月が終わった。それでも土曜日なので正月ムードは抜けてはいない。今日はこの2年ほど、折に触れてお世話になっているジョニーのところへ新年のあいさつに出掛けることにした。彼は通常は非常に忙しいのだが、正月明けなら少しはマシかと連絡を取ってみると、店にいるというので飛び出していく。

 

9時のバスで台中駅まで行き、そこから台鉄で豊原まで。もう慣れた道のりだ。豊原も昨年2晩泊まったので、ほぼ地理は把握できている。問題なく泉芳茶荘に辿り着く。相変わらず午前中、店の前は露店が立ち並び、人が多く出て、買い物している。そこを潜ると、店に入れる。この店はお母さんが仕切っており、常連さんがお茶を飲んでいた。

 

ジョニーが出てくる。とすぐに『早く行こう』と席を立つ。どこへ行くのかと思ってついていくと、近くの市場だった。そこでは新鮮な魚などが売られており、そのまま刺身でも食べられると言われたが、目的地は2階だった。そこは薄暗かったが、奥の方に人影があり、近寄ってみると屋台の周りには人が大勢いた。

 

なぜ急いできたのかはすぐに分かった。売り切れご免なのだ。基本的に午前中で閉店するらしい。注文も難しい。列に並ぶことなどもなく、店の人が1人ずつ注文を聞いていく。どんな順番だかさっぱりわからない。私ならイライラするだろうが、ここに来る人は皆辛抱強い。まずは席、いや椅子を何とか確保して、それから店員が来て、ようやく注文。当帰排骨湯と乾麺!

 

勿論出てくるまでにも時間が掛かるが、これまたみな辛抱!そこまでしてここへ来るのかとある意味食べないうちから感動する。そして麺を一口食べる頃にはもう全てが極楽!たれの味が抜群なのだ。ジョニーは小学生の頃からここに通っているという。そのままの味を保っているというからすごい。確かにここは一度来る価値のある場所だろう。しかし地元の人に連れられてくる以外、来ることは難しい。

 

午後は店に戻り、お茶を飲む。昨年は冬茶の出来が良いとは言えないと、方々で来ていたが、梨山も例外ではないかもしれない。折角なので、ちょっと違ったお茶を所望したところ出てきたのが、梨山の鉄観音茶。しかも2015年製造。これが私にはかなりフィットしており、即購入した。ジョニーのところは以前紅茶がヒットしたこともあるが、時々思わぬ物があったりする。それが老舗であり、懐が深いということだろうか。

 

お父さんがやってきて、色々と昔の話を聞かせてくれるのもよい。お父さんは1970年代に梨山に最初に茶樹を植えた人として知られており、先日訪問した湯さんも、台湾茶の生き証人としてインタビューした、と言っていた。今回は『凍頂烏龍茶の価格のピークは1984年だった』との話を聞き、大変興味深く勉強した。実際に商いをしている人は研究者とはまた違う、生の情報を持っているものだ。店には1984年と書かれた茶缶が残されていたが、勿論中身は入っていないとのこと。一体どんなお茶だったのだろうか。

 

ジョニーの奥さんが赤ちゃんを連れて入ってくると、店にいる全員がそちらに注目して、あやし始める。こういう大家族、近所の人々に小さい頃から育てられている人は、将来どうなるのだろうか。女の子だから、おばあちゃんのように店を仕切るのだろうか。孫を抱くおばあちゃんもいつもより相当に表情が柔らかい。

 

夕方、店を失礼した。廟東の夜市に寄って、何か食べたかったが、昼ご飯の食べ過ぎでお腹が一杯となり、断念した。ただその道だけを歩いて見ると、まだ日も出ているのに、既に大勢の人が屋台に群がり、食べ物を食べていた。その活気、本当にここの夜市は人気がある。豊原というところが、如何に豊かな土地であったかが、よくわかる。帰りはまた元来た道を引き返す。今日は腹が一杯で、夕飯すらも断念した。

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