ある日の埔里日記2017(13)山中で大晦日を過ごす

127日(金)
山の中の大晦日

 

ついに除夕、大晦日がやって来た。午前中はゆっくりして、昼飯を食いに出たが、既に正月モードの街、店はかなり閉まっていた。特にこんばんはほとんどの店が休むと聞いている。ここからは食事難民を覚悟しなければならないということだ。何とか炒飯にあり付き、もう動くのを止めた。これまでの茶関係の資料を整理して過ごす。

 

夕方、葉さんから連絡があり、向かいのベトナム人がバイクで彼の家に連れて行ってくれた。葉さん一家が迎えてくれ、大晦日のご馳走を頂く。先日魚池でもらったバナナをお土産に持っていく。特に酒を飲むわけでもなく、紅白歌合戦があるわけでもない。ただただ食事を頬張る。こんな大晦日も悪くない。と思っていると、ベトナム人たちは、オーナーである葉さんからお年玉をもらって帰っていった。尚日本の年末ジャンボ宝くじに当たる彩票を葉さんからもらったが、残念ながら外れてしまった。台湾人はこの彩票が大好きだ。

 

私も道は分るので歩いて帰ろうかと思っていると『さあ、行こうか』と言われる。どこへ行くのか分からないが、葉一家ととともに車に乗る。そろそろ暗くなる中、車は山の方へ向かっていき、そしてかなり深い山の中へ入っていく。葉さんの故郷へ向かっているらしい。暗くても道はよくわかっているので安心だ。

 

途中で、人に出会うと皆挨拶している。この辺は皆知り合いらしい。そしてついに目的地に着いた。その家の庭ではたき火をしており、外にテーブルが出て、皆が酒を飲んだり、食べ物を食べたりしていた。ちょっと寒いが、何とも気持ちの良い風が吹いている。ここには葉家の親戚が毎年大晦日に集まり、新年を迎えるという。我々の後からも人がやってくる。

 

葉家の祖先は以前新竹の関西の方にいた客家で、戦争中にこの山に移り住んだと聞く。その時代には茶畑がかなりたくさんあり、多くが茶業に従事していたが、その後徐々に減っていき、人々も出稼ぎに出て行くようになり、埔里の街に住む者も増えている。ただその山中の家を守っている人もいて、年末には皆が顔を合わせることになっている。

 

食事を食べろ、酒を飲めと親切に勧めてくれるが、既に腹が一杯であり、酒は飲めないので手持ち無沙汰になる。親戚同士の会話にもついて行けないところがある。葉さんは子供のために花火を打ち上げ始める。たき火で焼き芋を焼いているのは、昔の日本を思い出す。焼き芋を食べていると、おじさんの一人が『うちはお茶を作っているから、家で茶を飲もう』と誘ってくれ、車で別の家に移った。おじさんには8歳の女の子が一緒だった。そういえばこの方、先日の尾牙の時も色々と親切にしてくれていた。

 

おじさんの家は、誰もいないのか、凄く静かだった。森々と山中の夜が更ける、という感じだった。何だか除夜の鐘がどこからともなく聞こえてくる。ゆく年くる年を思い出す。そこでおじさんが作った紅茶をしみじみ頂く。私は日本で新年を迎えたばかりだったが、お茶を飲みながら、今年も暮れたな、という感慨があったのは不思議だった。面白いものだ。

 

日付が変わる前に葉さんが車で迎えに来てくれ、この静かな家での時間は終わってしまった。夏なんか、ここに住んだらいいだろうな、と思ってしまう。いずれにしても葉さんのお陰で、印象に残る台湾の大晦日を経験できた。何とも有り難い。12時を過ぎると、ラインで一斉にあけおめメッセージが流れるのは、日本と同じだった。消音にして早々に眠りに就く。

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