鉈先生と行く雲南ラオス茨の道2016(9)10年ぶりに易武へ

《鉈先生と行く雲南ラオス茨の道2016》  2016年4月7日-4月15日

 4月12日(火)
6.易武まで
銀行は休みだった

モーハンの国境を越えて中国に帰ってきた。ここからすぐに西双版納に向かうこともできるのだが、それでは面白くないので、私のリクエストにより、易武方面へ向かう。ラオス側のお茶事情が少しわかったので、今度は雲南側の状況を知りたいと思った。易武はちょうど10年前、何のツテもなく突撃を試みて、バスの切符売りのお姐さんに止められるといういわくつきの場所だった。

 

10年前の易武はそれほどまでに田舎だった。ちょうどプーアール茶ブームが起こり始めていた時期であり、茶工場が作られていた。だがその後、原料となる茶葉が確保できないことなどから、大規模工場は他へ移動したと聞いている。今回の目的は現在の易武がどうなっているのかを知ることであった。

 

国境を越えて中国側に入ると、鉈先生が『人民元を調達しよう』と言い出し、近くの銀行へ向かった。だがどこの銀行も閉まっている。実は本日から4日間は、水かけ祭りで祝日になっていた。これは完全なローカルルールだ。中国は広いのでこのような地域性のある休みが時々見られる。特に少数民族への対応として、各民族の祭りには気を使っている。というか、それで漢族も休んでいる。

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銀行のATMで現金を下ろそうとしたが、すでに機械の中に現金はなかった。あまり多額の現金を入れておくのは危険だということだろうか。勿論なくなれば補充などはない。おじさんが『あっちのATMには現金があるぞ。但し手数料が高いけどな』と教えてくれる。なるほど、手数料もばかにならないため、皆よく考えた上で、機械に向かっているらしい。我々にはその余裕はなく、即座に手数料の高い機械から現金を取り出した。確かに他行ATMで1回あたり20元も30元も取られるのは辛い。

 

道路はラオスに比べればかなりよくなっている。そして山の中に入っていっても、道は良い。望天樹という、景観区が近くにある。その付近のレストランに入り、ランチを取ることにした。何とそこに『野象の出没に注意』との看板があったのには、驚いた。本当にいるのだろうか、野象が。結局象を発見する機会はなかったが、この付近は野生動物の宝庫であることには間違いはない。

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レストランの形式はラオスでも雲南でも変わらなかったが、プレハブの小型体育館にテーブルがまばらに置かれているは、ちょっと不思議だった。そしてその地で採れた新鮮な野菜や肉を出すのが売りだった。では地鶏をぜひ食べたい、というと、今から絞めるのでちょっと時間が掛かるし、1羽単位だよ、と言われて、仕方なく断念する。それは美味しそうで、豪快だったのだが。

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7.易武
宿探し

そこから2時間以上走り、ついに易武に到達した。10年前の易武はここが街かというほど、閑散とした、実にのんびりした印象だったが、今では建物もそれなりに建っており、人もそこそこ歩いている。それでも大きな街という印象ではない。メインロードを中心にこじんまりした山間の村、といった感じだろうか。

 

まずは今日泊まる宿を探す。実は水掛け祭りが始まるということは、故郷に帰る人、観光に来る人で、多少込み合うことが予想されていたので、急いで探し始めた。だが、元々大きなホテルなどもなく、小さな宿がいくつかしか見えない。そしてそこは皆、今日は予約でいっぱいだよ、と断られてしまった。これはちょっと意外だったが、今の中国の観光シーズンとはこんなものなのだろう。

 

ちょっと坂道を上ったあたりの小さな宿にふらっと入り、聞いてみると、『今ちょうどキャンセルが出たから泊まれるよ』との答えだったので、部屋も見ずにそこに泊まることに決めた。その宿の名は茶友賓館だった。まあ、これも1つの茶縁だろうか。荷物を置いて、すぐに出発となる。

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茶馬古道の起点

どこへ行くのか分らなかった。前にも来たことがあるという鉈先生だったが、『なんかさっき茶馬古道の起点、と書かれた表示があったが、あれは何だろう』という。ここ易武が雲南から北京やチベットへ馬で茶葉を運んだいわゆる茶馬古道の起点であることを知らないのだろうか。いや、彼らはそれを歴史として知っていても、茶葉の買付に来るだけなので、そのような観光的要素は頭から排除され、見学などすることもないようだ。商売人とは元来そのようなものだろう。

 

道路標示通りに行くと、ちょっと古い家などが見えてきて、その奥が広場になっていた。博物館があるはずだったが、大規模改修中で見ることはできなかった。広場には摘んだばかりの茶が天日干しされていた。如何にも茶産地といった風景が見えて喜ばしい。その先の小道はかなり古そうな雰囲気を醸し出していた。石畳の古道、そこに同興号など、古い茶荘の名前がかかっている。

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その古道を歩き始めると、すぐ下に、復元されたとみられる福元昌号なる茶荘があった。きっと歴史上有名な茶荘なのだろう。ここもまだ改修中。この付近によく写真で見る『茶馬古道の起点』という碑が立っているはずなのだが、どこにもそれは見えない。探しているうちに鉈先生とははぐれてしまった。取り敢えず意地になり、その碑を探す。地元の人に聞いてみたが、かなり訛りの強い普通話が返ってきた。

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