鉈先生と行く雲南ラオス茨の道2016(2)こんな所にもシルクロードが

西双版納

空港に着いくと、荷物がなかなか出てこない。私の荷物は何と一番最後に出てきた。なぜだろうか。それにしても深夜に大勢の人が空港に居るものだ。空港には鉈先生のパートナーである中国人王さんが迎えに来ていた。彼ら2人の中国語での会話は微妙に食い違っていたが、なぜかそれでも通じ合い、意思疎通ができていたのはなんとも不思議だった。語学は通じることが一番だ。この日はホテルへ送ってもらい、明日の出発時間だけを決めて、鉈先生をしり目に、すぐに寝込んだ。

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4月8日(金)

翌朝は7時に起き、ホテルで朝食。雲南らしく、麺線があり、麺を茹でてもらったら、後は自分で好きな具を入れ、味付けして食べる。朝から食べ過ぎになってしまった。このホテルは雲南の農墾集団が経営していた。農墾といえば、中国各地に存在するかつての屯田兵。戦後余った兵士の行き場として、辺境の防御と開墾に従事した一団で、今では豊富な土地と資金で、大規模な開発などを手掛けている。

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8時にはチェックアウトして、銀行を探した。実は私は前回のシベリア鉄道の旅で中国の銀行カードを曲げてしまっていた。160時間も列車に乗っていれば、そんなことも起こるだろう。ATMに入れてもし引っかかって出てこないと文無しになってしまうので、銀行窓口で現金を下ろしたかった。だが私の銀行口座は北京が本店の銀行で、何と西双版納には支店は1つもなかった。鉈先生には、人民元は私が払います、などと大きなことを言ってしまったのだが、それは出来なくなってしまった。仕方なく鉈先生が現金を下ろし、出発した。ラオスでも取引は人民元なのである。

 

それから3時間、高速道路だと言われながらも、人が歩いていたり、車が脇から突っ込んでくる道を制限時速100㎞で走っていく。いくつもの長い橋が架かっているのは、元々このあたりに山や谷が多いからだろう。きっと難工事だったに違いない。しかしこの道の脇には、更に本当の高速道路を建設している。これが出来るとラオス国境までは2時間で行くようになるというのだが、現在の道をちゃんと整備すれば済む話のようにも思える。とにかく未だに、中国はインフラ建設ラッシュなのである。特に国境は予算が付きやすいのだろう。

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国境の街 モーハン

モーハンはタイやラオスの田舎によく見られるダラッとした街並みだった。東盟大道(アセアン大通り)というのがメインストリート。取り敢えず昼飯を食べるために入ったレストランは清真飯店だった。ヒジャブを被った女性が調理場に立っていた。回族なのだろうか?周囲を散策すると、西安とか蘭州とか、かつてのシルクロードの地名がいくつも張られていた。なぜかトラックのナンバーも西安のある陝西省から来るものが多いように見えたのは、ただの気のせいなのだろうか。

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シルクロードと一口に言っても、我々が普通に思い描く道は、いわゆる新疆ウイグルを通るオアシスロードであるが、その他にも北上したステップロードや海の道でもシルクは運ばれた。そして全く注目されてはいないが、恐らくは西安から南下して、雲南経由でビルマへ抜けたルートも存在していたはずだ。そしてそれは今でも健在だという証がここに見られる。この辺境の地に来て、ロマンを掻き立てられるのはなんともうれしい。

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車は国境で停まった。ここからは歩いて国境を潜る。何とも緊張感のない出国だった。入口のところでは、両替屋さんが何人か立っていた。人民元をラオキープに替えるところがないため、このような商売が成り立つらしい。ラオスに入ると人民元を受け取らない店もあるだろうから、これは必要悪だと言える。

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中国側を出たところには免税店もある。かなりきれいな店内には、酒やたばこなど、ラオスにもっていく土産がたくさん売られていた。そもそもこの国境、分不相応に立派である。中国の国境にはよくあることがだが、相手国に対するこけおどし、ということだろうか。人間は早く出てきたが、車はそうはいかない。チェックが厳しいようで、そこで結構な時間を待つ。その間にも、トラックがどんどん通っていく。ラオスに向かうトラックの荷台は空が多い。ラオスから帰るトラックには、バナナが積まれているものが多くみられた。ラオスでバナナが作られているのだろうか。

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ラオス側も相応に立派な建物だった。ラオス人や中国人はイミグレでお金を渡していた。一瞬賄賂なのかと思ったら、パスポートでなく通行証(両国人のみ有効)の場合、1万kの支払いが義務付けられていた。私たち外国人はすんなり通過した。そこは早かったのだが、その先に税関があり、車が集中していた。作業効率も相当悪いようで、いつまで経っても車は出発できない。もうすぐ水かけ祭りなので、その影響もあるのだろうか。ただボーとするしかない。

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結局昼前にはモーハンの国境についていたのだが、食事をして国境を越えるのに3時間かかり、出発したのは午後3時になってしまった。走り始めてすぐに車が停まる。何と車両保険を買いに行っている。ラオスでは保険加入が義務付けられており、入らないで走っていると相当罰金を取られるらしい。その保険は外資系であり、ラオスではどういう仕組みが働いているのか、よくわからない。

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