ラオスポンサリー茶旅2016(9)ラオ人の嫁をもらう中国人

ポンサリーの中国系

ソンテウに揺られて街に戻る。茶畑にいる間は元気だったのだが、戻ってくるとがっくりと疲れた。皆と別れて宿に戻り、休息した。だが水分が欲しい。お湯がない、という状態は続いていた。婆さんと交渉する気力がない。仕方なくまた例のレストランへ行き、熱いリプトン紅茶(5000k)を飲む。ゆっくりと水分補給する。

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このレストラン、従業員はラオ人だが、オーナーは中国系で奥さんは中国語が通じた。先代がここへ流れてきて、彼女は嫁に入ったらしい。『中国系は多いが、基本的にこの街は発展していない、静かなところだ』と笑っている。なんだか皆でうまそうなものを作っているので見てみると、鶏肉をご飯で包んだ弁当だった。大量注文でもあったのだろうか。忙しそうなので、早々に切り上げて宿へ戻った。

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宿代を払おうと婆さんに人民元を出してみると『ノー』と言われてしまう。さすがラオ人、キープしか受け取らないらしい。ラオキープが少ないので、ATMで引き出そう向かったが、お金は出てこなかった。ウドムサイではできたタイカードでの引き出し、ここではなぜできないのか。オランダ人が『僕のクレジットカードでも出なかった』というので、仕方なく銀行へ行く。銀行はこの街としては立派な建物だった。

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中に入ると警備員が『何の用だ』という顔をしたので、両替だと言ったが通じず窓口まで行き、その旨を伝えると『通貨は?』と聞かれたので、米ドルを出してみる。すると『まずあっちに行って』と指さされた部屋へ行く。そこでは米ドルが偽札かどうか、機械で鑑定していた。それから申請書を書いて窓口へ出す。2か所ぐらいでチェックされ、何とかラオキープが出てきたが、またさっきの部屋へ行けという。なんとラオキープまで、機械でチェックしている。いや、枚数を数えているのだろうか。それにしても厳重な両替だった。

 

小さな街をフラフラすると、ちょうど目が合った男性がいた。顔を見て中国人と判断し、中国語で話しかけるととても喜んだ。湖南省から来たという。『何を売っているのか?』と聞くと、『ここで売れるものは何でも』と答える。なるほど、確かに日用雑貨から農業用品まで様々なものが雑多に置かれていた。若くはみえるが、年齢は40歳近く。数年前に湖南省からここにやってきて、中国の物資を運び、小商いをしていて、住み着いたらしい。因みに物資の仕入れは人民元で、販売はラオキープだから、人民元の急上昇は堪えたに違いないが、本人は『価格に反映しているから問題ない』とはっきり言う。

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まあ、この建屋を建てたのだから、商売はそれなりにうまくいっているのだろう。『何しろ嫁をもらったしな』というのだが、『現在中国女は結婚条件が厳しすぎて、自分のような金のない人間は結婚できないのさ。でもここではちょっと商いしているだけで嫁が来る。子供も養える。中国よりずっといいよ』と説明してくれる。最近中国男性がこちらへ来て、ラオ人の嫁をもらうことが増えているらしい。中国側はそれでよいかもしれないが、ラオス側はどうなのだろうか?ラオスの中国化は進むのか!

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それから宿に戻り、ぐったりと休む。そして夕方昨日行った店にもう一度、ミッションの一部でもできないかと出掛けてみた。実は昨日英語のできる若者が『明日の夕方なら、時間があるかもしれない。茶畑に連れていくことも可能かも』と言っていたので、来てみたのだが、なんと彼は不在だった。まあ既に茶畑には行ってみ見てきたので問題はない。ただ紅茶のサンプルがもらえなかったのは残念だ。

 

夜7時ごろ、暗くなったところを見計らったように停電になった。完全に部屋が真っ暗になり、周囲を見てもどこにも灯りがない。これは困った、懐中電灯が部屋にあるかもわからない。昔インドで身に染みた『部屋に入った自分の荷物の位置は確実に頭に入れろ!』を怠っていた。仕方なく、そろそろと部屋の外へ出てみた。月明かりが多少ある。何とか前に進めたので、母屋の方へ行く。だが当たり前だが誰もいないし、誰も出てこない。

 

どうしようかと思っていると突然私が何かに照らされた。結構焦った。誰だ、と思ってみたが光ってよくわからない。『俺だよ、ヨセフだ』と声を聴いて、唖然。ここに居るはずのない彼がなぜかいた。彼は用意がよく、頭にライトを点けて歩いていたのだ。『ちょうど部屋が空いたというので、この宿に引っ越したばかりだ』という。そんな話をしていると、ちょうど電気が戻ってきた。『後ほどレストランで会おう』と彼は言ったが、私はたぶん行くことができない。彼は明日朝から3日間のトレッキングだというから、もう会うことはないだろう。

 

あたしの腹の具合は一向に良くならなかった。何かを食べれば下す、という状態だったので、食べないのが一番、という結論に達していた。何しろ明日は24時間バスに乗り続けるのだから、下手なことはできない。準備としてまたいつ停電になるかわからないのでカメラの充電をして、シャワーを急いで浴びて、ベッドに潜ってしまった。今晩は宴会もなく、トイレに行くこともなく、ぐっすりと眠ることができた。

 

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