ミャンマー紀行2005(11)交通の要所 ラショー

(6)学校

ソーボアハウスを後にする。もうティボーには用はないということで、そのままラショーに向かう。これは私に希望だ。中国国境に近いこと、第二次大戦中の援蒋ルートの一端を見てみたいということ、そして温泉があること。ラショーに向かう道は昨日来た道の続きを行く。直ぐに検問があり、通行料を支払う。するとその先に椅子に座った老人が坪を持っている。椅子には旗が立ててある。運転手は窓からお金を投げたようだ。どうやらこれはドネーション(寄付)を募っているらしい。独立運動デモでもするのだろうか?

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聞くところに寄れば、シャン州には長く反政府勢力が存在した。先程のパンロン協定を反故にされ、ソーボアが連れ去られ、独立は失われたのだから当然といえば当然では有るが、長い歴史である。現在は停戦協定が締結されているが、停戦しているだけで、決して戦闘を放棄したわけではないようだ。

 

寄付の為に車が停まった際、ふと目に入ったものがある。学校である。広い校庭に机を出して、小さな子供達が勉強しているように見える。私は咄嗟に車を降りて、歩き出してしまった。TAMが後を追う。特に咎める様子もない。我々二人は1年半前、南シャン州で山の学校を訪れたことがある。その時の記憶が蘇る。校舎の近くで1年生が青空授業をしていた。先生と思われる女性が警戒したように近づいてきた。TAMが話し掛ける。その内先生の表情が和んできた。学校の写真を撮ることは政府の法令で禁止されているが、話はしてくれるという。

 

この学校は近くの村の子供を集めている。シャン人もいるが、バロン人など少数民族も多い。先生自身は北のカチン族だという。何故ここにきたのかは分からなかった。もう一人の先生はワ族だと言う。ワといえば、タイとの国境に住み、昔はアヘンの交易を担っていた人々ではないか?カチン族の先生の話でビックリしたのは、この付近の村では日本人は非常に評判がよいということ。何でも戦争中にこの辺りを敗走した元日本兵が戦後この地を訪れて、恩返しを申し出たという。水の確保が必要だということを聞き、小さなダム(貯水池??)を建設した。これにより、村では大いに助かった。それでTAMが先生に話した時、先生の表情が緩んだのであろう。日本人の先輩に感謝しなくては。

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先生と大分打ち解けてきた。子供達はミャンマー文字の練習をしている。SSは熱心にその様子を見ている。突然先生が『うちに来ませんか?お茶でも飲みましょう。』と誘ってくれた。是非行ってお茶を飲んでみたかったが、さすがに子供たちを放って行こうとは言えない。TAMも先を急いで、断ってしまった。残念。子供たちに手を振り、学校を後にした。

 

5.ラショー

(1)ラショーの市場

ラショーまでは2時間。昨日の12時間を経験してしまうと大した距離に思えないところが人間不思議である。車に弱いSSにも良かったのではないか?この辺りの道にはあまり変化もなく、外を見ても面白いものを拾うことは難しい。ラショーの街は大きいようだ。マーケットのある場所はラショーレイと呼ばれ、所謂ラショーである。北には新しい街ラショージーがあるが、バスターミナルがあるだけ。

 

車はマーケット近くに停車。緩やかな坂を上っていく。『電脳培訓班』と書かれた看板を掲げるビルがある。ビルの前にはバイクが沢山停まっている。どうやら中国系のためのコンピューター教室のようだ。街のあちこちに漢字が目に付く。本当にここはミャンマーであろうか?坂の途中には旧正月の飾りを売る店もある。香港で売っている福の字を逆さにした物や、財弁天の絵が描かれた物、宝船が描かれている物など掛け軸が多い。

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食べ物を売る店も多い。見ると何とてんぷらを売っている。ちょっと油っぽそうだが、紛れもなく野菜てんぷら(かき揚げ)である。餅やのりを揚げたものもある。食べてみるとなかなか美味しい。隣ではキムチを売っている。こちらはかなり辛くて食べ難いほど。ここでは中国も日本も朝鮮も混ざり合っている。

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建物も混ざり合っている。くすんだ洋館が見えると思えば、白い塔を配するモスクもある。一体ここはどこなんだ?文明の交流地点と言うのであろうか?日中戦争の最中、連合軍はこの街から昆明まで所謂ビルマロードを建設した。全長1153km。日本軍はこの街を通って、中国国境へ進み、そこで大敗する。運命の道なのである。元日本兵でここラショーを懐かしがる人は多い。

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更に行くと両側に建物が並ぶ狭い路地がある。ここにも露店が出ている。TAMが突然花を買い、早く写真を撮れと目で合図してくる。後で聞くと、花売りの彼女はバロン族だそうで、珍しい民族衣装を着ている。滅多に会えないのだそうだ。お茶を道端で売っている。大きな竹で編んだ籠に入っている。三種類あるが、どれが良いのか見た目では分からない。小さな手秤に載せて重さを量る。緑茶を乾燥させただけのようだ。売っているおばさんは中国系に見えるが。この辺りの少数民族が売りに来ているのかもしれない。

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干し柿も売っている。煎餅も売っている。日本の伝統的な食べ物がそこら中にある。やはり、やはりミャンマーは、いやこの辺りは日本のルーツではないのだろうか?ここは交通の要所ではあるが、特に観光資源はない。それでも日本人も一度は訪れてみると良いのではないだろうか。

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