ハノイ茶旅2023 その2(1)ハノイに華人の痕跡を探すも

《ハノイ茶旅2023 その2》  2023年3月4₋6日

3月4日(土)ハノイ街歩き

ラオカイから無事に戻った朝。また駅の横のホテルに入り、そこでNさんと別れた。今回Nさんには本当にお世話になり、実に実りある旅が出来た。持つべきものはやはり友(特にアレンジ力があり、語学に堪能)である。早朝ながらホテルは何の問題もなくチェックインできたのだが、朝ご飯を食べていいかと聞くと、『ちょっと待て、確認する』と言ったきり、何の返事もない。

こちらはひと眠りしたいので、また降りて行って『いいよね』と念押しして食事を始める。まあ確かに普通朝6時にチェックインとか、あり得ない世界かもしれないが、私はミャンマーで経験済みだったので違和感はない。いや、ここは鉄道ホテルだから、本来それに対応すべきだろう。そういえば部屋は道路側から反対側に替わったので、音は随分と和らいだ。そこで少し仮眠をとる。

昼前に起き上がり、旧市街地に散歩に出掛けた。ハノイには昔はかなりの華人がいたが、1970年代末の中越戦争前に殆どの華人が退去したとのことで、現在ハノイにはチャイナタウンはない(ホーチミンにはショロンがある)。それでちょっと歩いてみて、少しでも華人の痕跡を探してみたくなる。

ホアンキエム湖まで20分ほど歩いて、そこを起点に北にハンガン通りを歩いて行く。植民地時代の建物だろうか、ほんのチラチラ漢字表記が見えるが、今や観光客が行き交う通りになっている。そこからハンボー通りに進む。元々広東系が多かったといい、その歴史もかなり古い。布屋や雑貨屋などが多く並んでいる。骨董屋で工夫茶のセットを見たが、それほど古いものはない。

ランオン通りにやってくると、昔の店舗の名残がそこかしこに見えた。基本的にベトナムは漢字禁止とも聞いていたので、これはそのまま放置して黙認されているのだろうか。漢方薬屋などが今も営業している。そんな中に埋もれるように福建会館があった。現在は小学校で中には入れない。ここが今回唯一見付けた同郷会館跡だったが、普通のベトナム人にとっては何の意味もない場所なのだろう。周囲はバイクで埋め尽くされていた。

少し腹が減った。見ていると腸粉を蒸している店があり、そこに粥と書かれているような文字があった。そして鍋を探して指をさすと何とか粥が食べられた。肉まんも一つ加えた。お茶が欲しいと思っていると、向こうで茶碗に何か入れていたので、私にも頂戴と言うと手を振って断られる。なんとそれは腸粉に掛けるタレだった。言葉が通じないのは何とも愉快だ。

それからどこの道だか分からないが、適当に歩いてみる。立派な門を入ると奥にお屋敷があったが、そこは恐らく数家族が住んでいるだろう。中国でも見られたが、金持ちから取り上げた家を人民で分けたようだ。その金持ちはほぼ間違いなく華人だっただろう。近所には立派な寺もあった。

更にずっと歩いて行くと、レーニン像がある公園まで出た。ここまで来たらホーチミン廟にも寄ってみる。その周辺はフランス時代の建物、教会などが色濃く残り、また仏教寺院などもある風景区。外国人はまだ少ないとはいえ、カフェでコーヒーなどを飲みながら、寛いでいる。私は湖を突っ切り、仏塔がある寺へ行ったが、ちょうど時間が悪く閉まっていた。仕方なくまたフラフラと歩いて宿まで戻る。

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