滇越鉄道で茶旅2023(5)モン族の村の茶園

娘は薪で火を興している。窓際には干し肉が下がっている。如何にも旨そうだ。何人かでランチの準備が進む。お父さんは水たばこで一服する。運転手君はエプロンまで付けて張り切って調理に参加する。あっという間に数品の料理がテーブルに並ぶ。特にあの干し肉を炒めたものは絶品だった。何だか中国の湖北や湖南を思い出す。そういえばヤオ族は湖南あたりが発祥とも聞く。

いつの間にか隣家のおじさんが乱入する。しかも自分で作ったという酒を持ってきて、飲めと勧める。俺の酒が飲めないのか、状態だ。そしてこのおじさん、何と中国語を話し始める。そこで語られたことは驚愕の一言。『俺は10年位前、サウジアラビアへ出稼ぎに行き、そこからリビアに送られて、傭兵として戦った』というのだが、俄かには信じられない。ただおじさんとは書いたが、年齢は40歳代だろうから、10年前は十分兵士として機能しただろう。

この村から4人の男がリビアへ行き、みな生きて帰ってきたと胸を張られると、そうかもしれないと思ってしまう。確かに2010年以降、アラブの春の混乱があった時期とも重なる。モン族と言えば、ベトナム戦争後も紛争などに巻き込まれたと伝えられる民族だから、おじさんも若い頃から実は軍事訓練を受けていたのかもしれない。そんなことを思うと、このおじさんが果てしなく、すごい人に見えてしまう。

おじさんに連れられて隣家に入る。そこでは確かに醸造が行われており、樽から酒がほとばしり出ていた。聞けば何とおじさん、醸造の前は茶業をしていたという。そこでおじさんの元茶園に案内してもらって、また驚いた。斜面に数十本の大きな茶の木が植わっているではないか。

かなり整備されており、恐らくは中国資本が買い取ったのではないだろうか。こういったいわゆる古茶樹はプーアル茶の原料として、非常に高値で取引されている。おじさんが梯子をかけて茶摘みしようとしたが、少し酔っているので落ちそうになり、皆の笑いを誘う。代わりに女性が見事な茶摘みを披露してくれ、摘んだ茶葉はお土産に持たせてくれた。こんな茶園がこの辺にいくつかあるらしい。

村を回るときれいな幼稚園などもあり、子供たちはいるが、やはり若者の姿はない。これが今のベトナムの田舎の現状だろう。ラオカイに戻る途中、もう一つきれいな烏龍茶の茶園を見ることも出来た。ここも台湾資本の可能性はあるが、詳細は全く何も分からない。

ついに車はラオカイまで帰ってきた。この2日間予想を遥かに上回る、いや恐ろしいほどの成果を挙げた?のは、まさに運転手君のお陰だった。テレビ番組コーディネーターも務めるNさんをして、『この旅は仕込み、無いんですよね』と言わしめた(ドライバーをアレンジしたのはNさんでしょうに)恐るべき茶旅。運転手君との別れはちょっと辛かった。将来は旅行会社をやりたいという彼の前途に大いに期待しよう。

列車は夜9時半発なので、それまで夕飯を食べてゆっくり休むことに。だが駅前なのに、あまり食堂もなく、ちょっと歩いてみても、暗いエリアばかりが目立つ。仕方なく駅前のカフェに入る。この駅は外国人、特にヨーロッパ人などの利用が多いので、カフェがいくつかある。そこで紅茶を飲み、パスタを食べると眠くなる。

9時頃、駅のホームへ行き、また個室に入る。もう慣れたもので、すぐに定位置も決まり、寝る体制を取る。9時半定刻に車両は動き出す。室内の飾りはちょっと前とは違っているが、大筋同じ。すぐに飲み物販売などがあり、その後はもう寝るだけ。夜なかに一度トイレに起きたが、朝5時までぐっすり。さすがに疲れは出ていた。5時20分頃、列車は無事ハノイ駅に到着し、今回の濃密な旅は、あのけたたましいアザーンのような音声と共に終わりを告げた。

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