ハノイ茶旅2023 その1(3)ハイフォンを歩く

実はこの鉄道は、1902年にフランスが建設を始めたもので、昆明までの全線が開通したのは1910年らしい。滇越鉄道と呼ばれ、フランスの中国侵略、貿易などの目的をもって作られた植民地時代の産物だった。ただ残念ながら、現在はハノイで分断され、フランス時代の名残は、到着したハイフォン駅に僅かに見られるだけだった。

駅前から、タクシー運転手の勧誘を振り切って、街に歩き出す。まずは腹ごしらえとばかりに、名物の麺の店を目指す。「バインダークア」、さとうきびで色付けした茶色く平たい麺と海鮮風味のスープが特徴。もう一つの名物、大きくてカニ肉たっぷりな四角い揚げ春巻きを同時に食す。これは美味い。そして店は満席、超人気店だった。

ハイフォンには古い町並みが残り、その規模も歩くのにちょうどよい。フランス統治下時代に建てられたコロニアル建築、ハイフォン市民劇場は、何となくホーチミン廟の小型版のように見える。1912年建造。その前の広場では、反仏運動なども行われていただろう。そこから港までは1㎞ほど。古い建物がいくつも残っている。

だが案内された港の横には、螺旋状の新しい橋が架かっており、周囲を見ても古い港感はまるでない。川沿いに少し歩くと港湾管理局が見え、税関もあったが、フランス時代を想起させるものではなかった。その前には広場があり、市民の憩いの場となっていた。その向こうには近代的な高い建物も見えるが、近くにはフランス時代の建物が今も銀行などに利用されている。

歴史博物館にも寄ってみた。ここの展示は、ハイフォンの歴史が良く分かり、興味深い。ハイフォンの歴史的重要性が示され、今回私が興味を持っている滇越鉄道についても触れられ、100年以上前のハイフォン駅の写真も掲示されている。港町らしく、指導者らの往来も激しくあり、ベトナム現代史が身近に感じられた。入場無料は嬉しい。

どうやってハノイに戻るか。また鉄道に乗っても良いが夕方6時台しかない。ズンさんが『自宅まで送ってくれるバスサービスがある』というので、予約してもらった。料金は鉄道の2倍以上だが、ロンビエン駅から宿まで行く手間などを考えると存外安いのかもしれない。ピックアップの時間まで近所のカフェでマンゴージュースを飲んで待つ。

待ち合わせ場所に車が迎えてきた。その車でハイフォン郊外まで連れていかれ、そこでまた9人乗りのバンに乗る。このバンは車体がかなり良く、座席も快適だった。これで高速道路に乗ると1時間ちょっとでハノイ郊外まで来てしまう。車窓からは、旧市街地とは違い、高層ビルが建つハノイ郊外の発展ぶりが見られた。

高速を降りると、多くの車が停車している場所で停まる。ここに集められた乗客は、各自の家の方角により、また車を振り分けられていく。私とズンさんは同じ方向なので助かる。さすがにこのバスサービスを利用するにはベトナム語が必要だ。昔台湾の田舎へ行く時に乗った村人専用タクシーを思い出す。かなり効率の良いサービスだ。

午後6時台だが、ハノイは思いの外渋滞もなく、無事宿に着いた。一度宿に落ち着いたら、急に腹が減ったので近所で麺屋を探す。路地にひっそりと営業していた麺屋で、チキンフォーを食べる。ハノイの旧市街、どう見てもここを再開発することは難しいだろうから、この街はずっと私の思うハノイのまま残りそうだ。

3月1日(水)ハノイ初のメトロに乗る

本日はいよいよラオカイ行の列車に乗る日だが、その出発は夜の10時。それまでハノイの散策を続けることにした。そしてラオカイから山へ入るためには、ある程度の防寒装備がいるとNさんに言われたので、ヒートテックを買いにユニクロへ行くことにした。ただ歩いて行くのも詰らないので、ハノイ市内で初めてできた鉄道に乗ってみる。

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