山口歴史旅2022(1)湯田温泉まで

《山口歴史旅2022》  2022年6月8₋11日

4月は茶旅したが、5月は東北へ茶旅ではない歴史旅をした。そろそろ海外へ出ても良いのではないか、との声が大きくなり始め、8月には東南アジアへ出掛けようかと考えている。その前にやっておくべき茶旅、それは九州紅茶の歴史を完成させることかもしれない。今回福岡に入るのに、まずは山口を訪れ、その歴史旅を楽しむことにした。

6月8日(水)山口まで

東京は早くも梅雨に入っていた。昨日は嵐のような雨が降っていたが、今朝は曇り、そして涼しい。京急は事故で少し遅れたが、随分早くに家を出たので、何の心配もなかった。羽田空港のフライトは実に半年ぶり。徐々に人が増えている印象で、乗客は6₋7割は埋まっていたかな。

山口宇部空港に定刻に到着。乗客はバスやタクシーに乗って皆去ってしまったが、私は一人、空港内をうろうろした。この空港、海辺にあって実に景色が良い。快晴の空、雲の形が良い。空港からテクテク歩き出す。何と空港を出た、道路の向こうに草江というJRのローカル線の駅がある。

空港から歩いて出て行くのは、タイのメーホーソン以来だろうか。空港と町が近いというのは何となく面白い。だがフライトと電車に何らの接続もなく、1時間以上来ない。駅舎は小さく、勿論無人。周囲を見回しても住宅があるだけなので、ここは諦めてただひたすら空を眺めて過ごす。向こうの方に空港の建物が見える。

単線の電車は定刻にのどかにやってきた。乗車は1両目の後ろから。そこで整理券を取って乗り込む。この整理券が実質的な乗車券なので重要だ。乗客は思ったよりは乗っている。取り敢えず前の方に陣取る。30分後新山口での乗り換え時間は僅か3分しかない。車掌さんに精算の仕方を聞いたが『とにかく降りる駅まで整理券を持って乗って行ってください』と一言だった。

草江から新山口へ。定刻に到着したが、何と乗り換え電車のホームは端と端でかなり遠く焦る。ダッシュして何とか山口行電車に滑り込む。何で1時間に一本もない電車の乗り換え時間がたった3分なんだ、と思わず毒づく。よく見るとGoogleでは乗り換え間に合わないとなっていた。切符をやはり買う暇はなく、整理券を持って湯田温泉まで走る。駅で駅員に引き渡され?駅員が自販機で切符を買ってくれ??無事に到着した。このローカル感はすごい。

この駅、駅前に大きな白狐のモニュメントがある。歩いて数分行くと温泉街へ。鄙びた旅館ではなく、立派な建物が多い。井上公園の向こうの宿に滑り込む。午後2時台でもチェックインOKで有難い。すぐに外へ出て、観光案内所で地図を貰った。『自転車で回るとよい』とアドバイスがあったが、現在体の関係で自転車を止められているので『自転車は乗れない』というと、係のおばさんにバカにしたように笑われた。無意識の差別とはこのような場面から来るのかもしれない。人にはそれぞれ事情があるのだ。

私は山口市に泊まりたかったので、当然山口駅近辺の普通の宿を探したのだが、出て来るのは湯田温泉ばかり。仕方なくここに宿を取ったのだが、それは正解だったようだ。歴史的な物がかなりこの周辺に集まっている。まずは立派な松田旅館。ここは薩長同盟の会談場所だと観光案内所で聞いた。宿の前にはその表示はないが、門構えは非常に由緒を感じる。旅館の裏は長州藩関連の建物の跡や坂本龍馬像など盛りだくさんだった。

またここには山頭火もしばらく逗留したらしく、句碑などもいくつか残っている。また詩人中原中也の生誕地もここであり、記念館が建っているほか、各所に句碑が建っている。中原は大学の大先輩ということで以前より注目していた(勿論その詩と生き方も)が、地元では予想以上の持ち上げようだった。

そこからかなり歩いて木戸神社へ向かった。山口市中心部に近づくが、周囲には何もなく驚く。木戸神社はその名から分かる通り、木戸孝允を祭っているが、説明書きに寄れば、この付近の土地を木戸が分け与えたことに対する地元民の感謝の神社らしい。維新の三傑などとも呼ばれるが、桂小五郎の幕末はとても興味深い。境内の石碑は三条実美が書いたようだ。

少し行くと普門寺という小さな寺があった。ここには大村益次郎が山口で宿泊した観音堂が残されていた。村田蔵六は医者だったが、幕末長州の軍事を作り上げ、維新に大いに貢献した。何となくその昔の大河ドラマ『花神』を思い出す。その先には山口市歴史民俗資料館があり、『獅子頭』の特別展示があるというので入ってみた。獅子頭という文字を見ると今や食べ物(上海料理)を思い出してしまうとは、どうしようもない。

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