京都、滋賀、兵庫茶旅2021(3)近江八幡を歩く

近江八幡

来た時と同じバスに乗り、また近江八幡まで戻る。既に結構歩いたので疲れてはいたが、天気も良かったので、そのまま近江八幡の街を歩いてみることにした。『近江商人発祥の地』の碑がある駅前から歩くと30分ほどのところに、歴史的風景地区があった。ここは江戸時代朝鮮通信使の通り道でもあったようで、朝鮮人街道という名前も見られた。

昔の図書館風の建物、資料館というのがあったので入ってみた。近江商人と茶について、何か展示はないかと探したが、特に見当たらない。一生懸命資料を見ていたら、話しかけてくる人物がいたので、茶について聞いてみると、『茶の歴史の観点で見る人がいないんですよ。大きな商家には必ず茶室があったのですが、誰も管理しないから昭和の中頃までにどんどん朽ちていきました』と説明してくれた。この方がここの館長さんだった。

木造家屋が立ち並ぶ一角は非常にきれいで、時代劇の撮影に使えそうだった。更に行くとメンタームと書かれたビルがある。ああ、近江兄弟社だ。資料館があるようだったが、コロナで閉まっていた。その前には、後に京都などでも多くの西洋建築を手がけたヴォーリズの像がある。

彼は英語教師として来日してここで生活を始めたと書かれている。終戦直後マッカーサーと近衛文麿との仲介工作をしたともいわれるヴォーリズという人物は実に多彩で、興味深い。機会があれば、もう少し調べてみよう。尚私が子供の頃から慣れ親しんだメンソレータムは今やロート製薬の商標になっているという。

景色の良い川を渡ると日牟禮八幡宮があった。何となく人がそちらに歩いていくので、吸い寄せられるように入っていく。何となく御利益がありそうに感じられる。その八幡宮の向かいには、白雲館という洋風の建物が建っていた。今は観光施設として使われているようだ。更に歩いていくと、ヴォーリズ学園があり、ヴォーリズ記念館もあるとのことだったが、残念ながら閉まっており、見学はできなかった。

さすがに歩き疲れた。そして腹も減った(今日もランチは食べていない)。歩きで駅前まで辛うじて戻るとエネルギー不足が顕著となるが、時刻はまだ4時半。こんな時間に食べられるところといえばラーメン屋ぐらいしかなかった。ラーメンだけでなく、ミニ丼までオーダーして、本当に腹いっぱいになるまで食べる。そしてまだ明るかったが部屋に戻り、あまりの疲労から倒れこむ。まあこんな日もある。

10月24日(日)但馬へ

今日は兵庫県の日本海側まで行く。そのルートを色々と検討したのだが、和田山という駅に特急などを使わずに行くのは京都から嵯峨野線で園部、そこから山陰本線で福知山経由というルートが一般的らしい。ところが検索サイトではもう一つ全く同じ料金で、姫路へ出て、そこから播但線で行くルートも表示されている。

せっかく行くのだから、面白いルートの方が良いと思ったが、確か姫路まで行くとSuicaは使えないだろうと駅で確認を取る。するとなんと、姫路経由だと料金は2000円ぐらい余計にかかるというのだ。確かにかなり遠回りであるから料金が同じという検索サイトの表示は不思議であったが、駅員はそこには一切触れずに、『京都経由ならSuica使えます』とだけ説明する。

本件については和田山駅を降りる時になって、そのカラクリをようやく理解したが、ここでは敢えて書かない。それにしてもJRのシステムは、相変わらず面倒な事が多い。こちらの質問にちゃんと答えず、最後は駅員の方が不機嫌になる、という態度は止めてほしいものだ(もしかすると私を鉄オタと勘違いして、わざとクレームしていると思ったのかもしれないが??)。

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