大分茶旅2021(2)宇佐八幡から中津城へ

4月6日(火)宇佐神宮へ

朝も早めに起きた。宿の朝食を食べに行ったが、食べている人は殆どいなかった。やはり宿泊客は多くはないようだ。9時に駅前へ行き、観光案内所で情報収集する。だが宇佐八幡付近の様子はよくわからない。先ずは昨日のバスに乗って、宇佐八幡まで向かう。40分乗って910円、地方のバス料金は安くない(大分空港-中津は1550円)。補助金次第か。

このバスにも乗客は二人しかいない。この路線今後も続いていくのだろうか。宇佐八幡の一つ前、八幡の郷というところを過ぎると、何と県立博物館があった。なんだここで降りて、博物館を見た後、歩いて八幡へ行けばよかったと思ったが後の祭り。次で降りて観光案内所へ行く。ここで大体のルート計画を立て、神宮のお参りへ向かう。

宇佐八幡は広大な敷地を持っており、歩くのは大変だった。先ずは外側から攻めてみたが、何しろ記念碑などが多い。最澄が中国へ行く前にここにお参りし、天台宗を開いた後、また参拝したとか、宮本武蔵と関係があるとか、かつて宇佐参宮線で使われたSLなども置かれている。

広い境内に踏み込むと、木々がいい感じで生えており、雰囲気が良い。『仏様と神様が日本で初めて出会った場所』などと書かれており、面白い。きつい階段を上がると、立派な社殿が現れる。参拝者は殆どいないので、静かにお参りする。下宮もあり、大きな池やきれいな庭園もあり、その歴史に豊かさも見える。

更に少し外れた丘を登っていくと、和気清麻呂の碑があった。そうか、ここは奈良時代に起こった宇佐神託事件の場所だったか。「道鏡が皇位に就くべし」との託宣を受けて、朝廷が混乱し、和気清麻呂が派遣される。最終的に道鏡の政治的陰謀を阻止した和気清麻呂が「忠臣の鑑」として戦前の歴史教育において持ち上げられ、このような碑が建立されているのだろうが、史実はちょっと違うようだ。

道鏡は下野の国に流されており、栃木に住んでいたわが父は、道鏡についてかなり詳しく調べていたのを思い出す。だが残念ながら、その資料は既に私の手元には無く、結局何がどうなったという話も、上の空で聞いてしまい、今や記憶の片隅にもない。確か栃木では道鏡顕彰会などが、道鏡は悪くないという説を唱えていた。

観光案内所に戻るために歩いていると、敷地内には宮や寺の跡などもある。『日本書紀には、』のフレーズで始まる説明書きが多い。またきれいな橋が架かっていた。呉橋と呼ばれており、呉の人が架けたという。近くには夏目漱石の句碑などあるが何とも新しい。観光案内所でレンタサイクルを借りる。1日300円。何と電動自転車でちょっと困惑。初めて乗ったが、こんなラクチンなものとは知らなかった。

電動自転車は急坂もあっという間に上ってくれる。その勢いで3㎞先にあった県立博物館まで行った。バスは一日数本しかないのでとても助かる。そして何より天気が良い。博物館で宇佐八幡の歴史やこの地域のことなど、色々と学んだ。本当はもっと居たかったが、中津に戻るバスの時間を考えて、見学を制御した。

自転車を返した。昼ごはんを食べたかったが、バスを優先する。トイレの壁に『双葉山の里』というポスターがあった。あの69連勝の横綱もここの出身だったか。彼は絶頂期が太平洋戦争中で、昭和20年に相撲が再開された瞬間に引退した悲劇の人だったと聞いている。

バス停で待ったが、時刻表から20分遅れてようやくやってきた。それでも運転手は『遅れてすみません』などとは言わない。この路線は昨日空港から乗ったものだが、今日は飛行機でも遅れたのだろうか。やはりこの路線を使う人は殆どなく、中津駅までほぼ独占状態で戻る。

中津を歩く

駅前には福沢諭吉の像が建っていた。駅前から中津市博物館まで歩いて行く。ここで中津の歴史を学ぶ。中津といえば黒田官兵衛だが、その後は細川が入っているのが面白い。立派な中津城の石垣も見られ、説明も受ける。それから中津城に登る。このお城、かなり格好いい。一番上から見ると、市内も、そして海もよく見える。如何にも官兵衛、海に近く情報を取り易かったらしい。関ケ原の合戦の情報もいち早く得て、九州から天下を狙おうとしたとか。

中津の偉人として、解体新書の前野良沢なども登場している。また江戸期の城主、奥平家は、あの長篠、いや設楽原の戦いの際の、長篠城主だったと言い、そのエピソードなども語られている。それから転封を繰り返し、ここに落ち着いたらしい。お城の撮影スポットには、小さな官兵衛像があって、観光客は城をバックに写真を撮る。

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