大分茶旅2021(3)杵築から野津へ

その辺を歩いていると、和田豊治の看板がある。朝吹英二や中上川彦次郎らについで留学し、富士紡績を立て直した人。中津には福沢人脈があり、明治期の日本を支えた人物を多数輩出している。その福沢の旧宅も残されており、記念館もある。諭吉の母、順を主人公にした朝ドラ政策を嘆願する動きもあるという。記念館の展示も立派で、その家系と人脈の凄さはもっと勉強すべきだと思った。

宿に帰って一休み。それでも昼ご飯を抜いていたので、腹が減り、近所の食堂へ。生姜焼き定食600円、安い。満足。旅をしているとどうしてもご当地名物を食べようとするが、私は旅が日常なのだから、普通に食べたいものを食べるのが良い、という基本を思い出せてくれた。その後近所を散策して、腹ごなしをする。

4月7日(水)中津を歩く2

今日はOさんが迎えに来てくれ、茶産地へ行くことになっていた。だが佐賀から来るので到着は昼頃とのことで、朝ご飯をたくさん食べてから、午前中は引き続き中津を歩くことにした。黒田官兵衛が宇都宮氏をだまし討ちにした際、その家臣を襲って血塗られた元合寺の赤壁、河童の墓がある円応寺、中上川彦次郎生誕地などを歩き回る。

天気が良いと気持ちが良い。最後には江戸時代に本格的な中華料理の解説書を書いた田中信平なる人物まで発見して、ちょっとびっくり。中津というところは実に多彩で面白い。結構暑くなる中、トボトボ歩いて何とか宿に戻る。少し待つとOさんがやってきて、車に乗り込んだ。

先ずは中津市内のお茶屋さんにOさんの知り合いを訪ねた。創業100年を越える丹羽茶舗。看板には宇治茶と書かれ、店舗も由緒ある雰囲気だった。隣には喫茶部と書かれた建物もあり、ラテなどのドリンクテイクアウトにも対応しているが、かなりお店に格式がある。お茶の歴史の話をすると、奥の座敷に売茶翁関連の掛け軸があるというので、早速拝見した。老舗茶荘らしい、中庭も見える。ただ店舗内はかなりおしゃれな雰囲気もあり、そのバランスが良い。

中津から杵築に向かう。本日のメインは杵築紅茶の歴史を学ぶこと。大分の紅茶といえばきつき紅茶であり、きつき紅茶といえばAさんというぐらい、国産紅茶界では有名な方からお話を聞いた。とても気持ちの良い外のテーブルに紅茶と奥さんお手製のお菓子を頂き、とても良い気分でお話を聞く。マスクをしているので花粉症も気にならない。

医者であった奥さんのお祖父さんが戦後朝鮮半島から引き揚げてきて、無医村だったこの地に招かれ、村を豊かにするために奨励したのが、きつき紅茶の始まりだという。だが最終的に1971年の紅茶自由化で紅茶事業は頓挫してしまう。そしてAさんが奥さんと結婚して、この地にやってきて紅茶作りを始めたのは、それから20年以上経っており、実はお祖父さんともほとんど会ったことがなく、紅茶作りを教わったわけでもないらしい。これは意外な歴史だった。それにしてもべにふうきで作られた紅茶、すっきりした透明感があって美味しい。

お祖父さんの像が、元自宅付近に建っていた。やはりこの村に功績があったと讃えられている。茶工場があった場所にも行ってみたが、今やその痕跡はない。どこでも同じような状況なのだが、50年前に紅茶作りに投資した人々はそれなりに損失を出し、借財の清算に追われたようだ。

そこから車で約2時間、本日は佐伯に宿泊する。ここは魚などが美味しいとのことだったが、Oさんは夜、オンラインミーティングがあり、夕飯の時間が少なかったので、目についた中華食堂に入る。地方都市にはよくあることだが、ここも量が多い。というか、料理2品を選んで定食にする形式になっており、料金も高くない。かなり美味しく、コスパは抜群だったが、胃はもたれた。

4月8日(木)臼杵から木浦へ

翌朝はゆっくり起きて、ゆっくり朝ご飯を食べる。出発まで時間があったので、佐伯の街を歩いてみる。ここは海軍の街で、海軍航空隊の基地があった。港の近くに濃霧山という場所があり、基地はそこにあったらしいが、今は公園になっている。港は非常に穏やかな入り江になっている。

本日午前は臼杵野津町の茶農家を訪ねる。2代目のTさんにお話を聞く。こちらは煎茶ブームの頃に茶業を始め、この周辺でも20-25年前はかなりの茶農家があったが、今は減少傾向にあるという。最近は紅茶を作っていると言い、専門家であるOさんと色々な話をしていた。その後茶畑も見学する。北九州からやってきたMさんらが合流した。Mさんはバーテンダーだが、昼間は和紅茶を出すバーをやっている。

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