鉄観音の故郷を訪ねる2013(3)安渓 村の抱える悪循環

5月6日(月)   朝もはよから

疲れていたせいか、与えられたベッドに横になると直ぐに寝付いてしまった。そして朝までぐっすり。鳥の囀りで目覚める。理想的な目覚めだ。時間は朝6時前、周囲は明るく、おばさん達は既に起きていた。そして7時前に朝食が始まる。食べ終わるとおばさん達はまた茶葉を取りだし仕分け作業を始める。本当に地道な作業だ。何がそこまでさせるかと思うほど、黙々とこなしていく。近所のおばさんもやってきた。

私は散歩に出た。道端ではアヒルが伸び伸びと歩いていた。霧雨が降っており、今日も茶摘みはないようだ。茶畑に人影はない。ずーっと歩いて行くと工場が見えてきた。台湾人が投資して建てたという。何のためにこんな所に工場を?ある人曰く「台湾人は鉄観音というブランドが欲しいだけで、ここで茶を作ろうとは考えていない」と。確かに工場が稼働している様子は無い。

工場の前の丘に登るとこの街が一望できた。茶畑があちこちにある。元来がお茶の街なのだが、近年は金儲けに走る安易な製法で評判を落としている。手で作る世界を捨て、何でも機械で行い、促成栽培製法で、大量生産に走る。何とも残念な話だ。

近くに廟があった。中に入ると「毛蟹の故郷」の文字が見えた。お婆さんがやって来て、まあ茶でも飲んでけ、とばかり杯を差し出した。お茶を飲むのが当たり前の世界。ただ数十年前は自分で作った茶を自分で飲むことが出来ない時代もあった。国営時代は厳しかったという。現在は個人経営だから、何をしても良いのだが、それが結果として茶をダメにした。地方政府は打つ手がないのだろうか。

午前中から張さんと茶を飲む。張さんはもう本当に春茶は作らないと決めたようだ。「雨のお蔭でゆっくり話が出来る」と余裕のコメント。確かに茶作りが本格的に行われていれば、朝から茶など飲んでいられない。2階で作業している女性陣も呼ばれて降りて来て茶を啜る。私というお客がいたから、良いお茶が飲めた、とケタケタ笑いながらまた作業に戻る。

午後もぼうっとしていたが、再度茶作りの作業場へ行って見る。するとなぜか途中の道で張さんが何かしていた。「たけのこ、採ってるんだ。美味いぞ」と笑う。そして近くに生えていた巨大な長芋?も掘り起し「今日は大量だ」と叫ぶ。今日のご飯はその辺で調達する、何と自然な動作なんだろうか、と感心した。

村の抱える問題

張さんには息子がいる。孫もいる。一緒に住んでもいる。だが息子は張さんのやって来た伝統製法を捨て、機械での茶作りを選んだ。確かにあれだけ大変な作業を子供の頃から見ていれば『もっと楽に儲けたい』と思うのも無理ないことだとは思う。

 

最近の促成栽培、促成製法は機械に頼っているうえ、どうしても作業工程を省略するなど、いわゆる手抜きが行われる。それで質の良いお茶が出来れば問題ないのかもしれないが、現実はそうはいかない。きちんとした作業をしないと質は低下していく。質が低下すると飲む人が減り、価格も下がって来る。価格が下がると収入を確保するため、更に大量に質の悪い茶が作り出され、市場に出回って行く。これはもう完全に悪循環。結果として農家も農村も疲弊していく。安渓だけの問題ではなく、中国の至る所で起きている問題ではなかろうか。

 

もう一つの大きな問題は収入が減ることによって、村を出ていく人が増えること。息子には嫁さんがいるはずだが、一度も見掛けない。聞けば泉州に出稼ぎに行ってしまったらしい。とっくに茶業に見切りをつけている。『この村の働き手で残っている者は普通話が下手なんだ』と言われたが、確かに村の方言だけでは余所の場所では通用しないので、村に残らざるを得ない人々もいる。

 

母親がいない寂しさか、孫は勉強もせずに遊びまわっており、時々父親と喧嘩になる。私がいた時も階下で怒鳴り声が聞こえてきた。この閉塞感の中で皆苦しんでいるように見える。かと言って、いまさら伝統製法には戻れないし、もし戻ったとしても、その価値を評価して適正な価格で買ってくれるお客さんがいなければ、どんなに品質が良い茶でも意味はない。

 

午後村を回ってみる。お婆さんたちが総出で茶葉の選別作業をしていた。遠目に見ても、きれいな緑の茶葉が並んでいる。しかし鉄観音本来の色はもう少し黒っぽい。手を抜くと緑茶に近くなるので緑が映えて来る。観光客には見栄えがいいし、手間が掛からないのでこちらが好まれる。だが何度も飲むわけにはいかない、そんなお茶である。

 

ホテルが出来た

高さんと村を歩く。今泊まっている所はご主人の実家。高さんの実家は歩いて15分ぐらい離れた別の村。ご主人の村は張姓、高さんの村は高姓が多いそうだ。確か台湾の木柵鉄観音の産地も張姓が多かったような。150年も前にこの辺りから茶の種でも持って移住した人々がいるのだろうか。興味深い。

高さんの村の方にホテルが出来たというので行って見た。村にホテルが出来る、というのは、外から人が来る、ということになるが、一体誰が来るのだろうか。ホテルは10階建てぐらいで立派に建っていたが、中に入っても客らしき人はおらず、従業員が皆で茶を飲んでおしゃべりしていた。1泊、160元。ネットは繋がる時は繋がる、と面倒くさそうに説明して、女性従業員はお茶の輪に戻って行った。ここは台湾系資本だというが、やはり郊外に出来た茶工場と関係あるのだろうか。

実は高さん達が今回私を受け入れてくれた要因の一つがこのホテルの存在だった。昨年このホテルが出来るまでは村に人を泊めるような場所は無かった。まして外国人がやって来て、もし普通の家の生活が難しいとなれば、どうしようもなくなる。農村の人はそんな所に気を使ってくれていた。勿論私の場合、張さんの家に入るなり、そこが気に入ってしまい、そのまま居ついてしまったのだから、心配は杞憂に終わっている。

村には役場があり、その前に広場へ行くと『毛蟹茶王賽』と書かれた看板が見えた。村では鉄観音だけではなく、新しいブランドを求めているようで、品評会などを開いている様子が伺われた。そもそも昔は市場でも鉄観音と毛蟹、本山、黄金桂などは区別されて売っていたのだが、数年前には本山や毛蟹という名称は姿を消しており、何でもかんでも有名ブランドである鉄観音にしてしまったきらいがある。名称を細かく分ければ何かが復活する訳ではないが、キチンと分けた方が良いかと思う。

村では雨も上がったので、方々で茶葉を路上に出して干していた。まるで近所を掃除するかのようにおばさんが箒で茶葉を掃いていた。何とも長閑な光景であった。家へ戻ると張さんが作った茶葉を天秤棒で運んできた。これでまた女性たちの仕事がやって来た。その日も遅くまで作業は続いた。私は環境のせいか、寝つきが良く、直ぐに寝てしまった。

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