沼田茶旅2020(2)真田の城跡を歩く

3年ほど前私は雑誌の連載で『台湾紅茶』について書き、その中で新井さんも取り上げた。新井さんと一緒の働いたことがある台湾人にも会った。数年前は誰も新井さんのことを知らなかった。だがその後凍頂烏龍茶の里であり、最近は日月潭紅茶で有名な南投県が新井さんを介してここ沼田市と姉妹都市になったと聞いた時には正直驚いた。

そして南投県長以下の訪問団が沼田を訪れ、ここにもやってきたというが、その時団に加わっていた台湾人の一人は『周囲に全く茶畑はなかったので驚いた。新井さんは北大農学部卒でそのまま台湾に赴任しているが、群馬、北海道共に茶とは無縁の土地なのに、なぜ彼は台湾で茶の研究をしたのか』という疑問をぶつけてきた。

全くもっともな疑問であり、現在その辺の調査(北大と台湾の繋がりなど)を進めているが、発表できる日は来るだろうか。少なくとも本日ここにやって来て、新井少年が地元のために農業の近代化を志して北大に進んだのでは、と思ってしまったがどうだろうか。村でも、秀才を支援して帝大まで行かせたのかもしれない。

ここまで見てしまうと、もうこの地に特別な用事はない。沼田駅に向かうバスが30分後にあることを確認しており、少し雨模様にもなってきたので、足早に先ほどの道を戻る。だがあの坂を今度は上るのだから、容易なことではなかった。自動車道まで喘ぎ喘ぎ上ったが、相当な時間を要した。それから小走りでバス停に向かい、何とか間に合った。やはり山は怖い。足はつりそうだった。

因みにバス代は30分走って1000円かかる。乗っている人も3-4人だ。ローカルバスは本当に高いが致し方ない。既に一度通った道なので、今度はリラックスして乗る。よく見ると、幟がはためいているが、『真田』という文字が見えた。そうか、沼田は真田の城、沼田城があったところか。真田信繁の兄、信幸が城主で、関ケ原の合戦を経て、江戸時代初期まで生き永らえていた。

急に思い立って、バスを降りた。沼田城は既になく、公園になっているとのことだったが、折角ここまで来たのだから、ちょっと散歩してみようという気分になる。7-8分歩くと沼田公園に着く。真田の里、とも書かれている。これもやはり大河ドラマの影響だろうか。数年前、信州上田に行った時、市長が『真田幸村を大河ドラマにするようにNHKに陳情してきた』と話していたのを思い出す。そして僅か3年後には『真田丸』をテレビで見ることになったのだから、陳情も案外効果があるものだ。

公園内はかなり広いが、本丸跡や石垣が少し残っているだけで、城として見るべきところはほぼない。天狗の面が収められている社があったり、記念碑がいくつかあり、そしてなぜか真田信繁夫妻の像などがある。公園の端からは、眼下に街が一望できて眺めは良い。まあ市民の憩いの場、という雰囲気が漂っている。

それから坂を下り駅へ向かった。バスだとあっという間だが、歩いて行くと結構時間がかかる。しかも下に降りてから、道が曲がっており、まっすぐ駅に行けなかったので、予想外に慌てる。何とか高崎行の列車に間に合ったが、夕方のこの時間は、下校の高校生の大集団に巻き込まれて難儀する。やはり高校生は蜜であり、マスクの装着も甘い。若干恐怖を覚える。

高崎まで戻り、湘南新宿ラインに乗ったが、これは東京駅経由の列車で新宿には行かない。長く乗っていると疲れることもあり、赤羽駅で降りることにした。ちょうど腹も減ったので、駅近くの餃子の王将に行ってみた。餃子の王将、昔はよく行ったのだが、ここ10年以上行ったという記憶はない。

店内は意外と混んでいて驚いたが、コロナ対策しています、と言った感じで、プラスティックボードなどで席がかなり仕切られていた。私はカウンターの一番端に座ったが、店員を呼ぶボタンがそこにはなく、大声で呼ぶこともできず、隣へ割り込むことも憚られ、仕切られたことによる不便を感じた。

そして懐かしい回鍋肉定食を頼んでみたのだが、ボリュームがかなり減っていて残念(意図的に量を減らしているらしい)。更には定食に付いていたのがポテトサラダ、中華スープではなく玉子スープ、これは中華の定食なのかと訝ってしまった。ああ、私が知っている王将で健在だったのは餃子だけだったか。満足感はなかった。これはコロナの影響ではないのだろう。まあ、久しぶりに外食できただけもマシだろうか。

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