ウラジオストクを歩く2019(3)モルグン先生と会って

9月19日(木)
モルグン先生と

前日早く寝たので、早めに起きた。気温が相当下がっている。厚手の服を着こんで、食堂に行く。広めのスペースにそれほど人はいない。簡単な食事を取って食べる。まあロシアはどこも同じようなメニューなのだろう。せめて、コーヒーや紅茶がもう少し熱いとよいのだが。

 

今日は今回のメインイベント、極東ロシア交流史に詳しい、ゾーヤ・モルグン先生と会うことになっていた。彼女も前回のハバロフスクでポボロツキーさんから紹介を受けた。モルグンさんには第2次大戦前までのウラジオストク在住日本人達に関する著書があり、その中で可徳については触れられていないが、日本人茶業者についても書かれているので、とても興味を持っていた。先生は日本とロシアの人的交流にも常に尽力している。

 

まずは海辺のホテルをチェックアウトする。やはり手続きになんでも時間を要する。手際よくやる、という感覚はない。ソ連時代の名残だろうか。それから荷物を持って、先日泊まったホテルの近くに歩いて行き、荷物を預かってもらった。こちらの方が良さそうには見えるが、それでも建物は国営時代そのものであり、その雰囲気をかなり残していた。

 

待ち合わせ場所はあの横浜正金が入っていた博物館だ。博物館とはご縁が深いモルグンさんはここに用事があり、まずはそれを済ませてから、カフェに移動する。だがちょうど斜め前に昨日見た可徳のオフィスと思われる建物があったので、まずはそこを見てもらう。にこやかだった先生の顔が厳しくなり、専門家に変身する。この建物については、別の専門家がもし分かれば、聞いてみるとのことだった。心強い。

 

現地の人が普通に飲む紅茶などを注文してもらう。甘いケーキも出てきた。そしてこちらが聞きたかったことをどんどん質問していく。長年研究を続けてきた人だけあって、当然ながら色々と詳しく、非常に勉強になる。ただ中にモルグンさんにとっても初耳だったこともあったようで、こちらの話にも非常に興味を持ってくれ、話が弾んで面白い。70歳を過ぎても現役で日本語を教えている(場所は昨日行った旧東洋学院)という先生は、やはりパワフルだ。

 

カフェを出て、少し散策した。観光客でにぎわう噴水通りを見て先生は『ここは100年前日本経営の女郎屋さんが多かった』というので驚いてしまう。今の我々には全く分からない残酷な歴史がそこには存在しているのだ。そして旧日本総領事館などの周辺を回り、更に色々と教えてもらう。NHKのファミリーヒストリーを見て、さだまさしの祖父がスパイだったことを思い出したが、何と先生はこの番組に出演していた。ゆっくりと先生は広場からバスで帰っていった。また教えを請いたいと思う。

 

戻って博物館を見学した。まずは建物のレトロ感がよい。そして土偶から甲冑まで、実に様々な展示がなされており、実に興味深い。日本との繋がりも十分に感じられる。先住民族の歴史もかなり展示されており、勉強になる。先住民族の地に、ロシア、中国、そして日本人も入って来て、街が形成されていった。

 

遅い昼ご飯は、近くの食堂へ行く。先日行ったところよりかなりきれいで客も多いのだが、店員の対応は更にひどい(店員の方も待遇などに不満があるのかな、とも思う)。観光客など外国人は来なくてよい、ということかもしれないが、観光で売り出す街としては、サービス業に弱点があるのではないか。モルグン先生と行ったきれいなカフェの店員もずっとスマホを触っていて、遊んでいるようにしか見えなかった。そしてスープも今一つだったのでがっかり。

 

今日のホテルに戻り、チェックイン。初日より高い料金を払ったが、設備などは良くない。昔の一流ホテル。だから部屋が空いていたのだと納得する。午後は裏側の海を見に行く。遊園地があり、船着き場がある。実にクリアーな天気で気持ちがよい。恐らくウラジオストクの秋、最高の季節なのだろう。平日だが多くの人々が午後の散歩をしている。ビーチがあり、何とこのひんやりとした中、水着で泳いで人、日光浴にいそしむ人もいた。

 

そのまま1時間ほど市内散歩を続け、宿に帰って休息する。ウラジオストクの歩ける範囲はほぼ歩いた気分になる。ちゃんとした机もない部屋で、PCを開いて今回の旅のまとめを始めるが、腰が痛くなる。夜までそうしていると、やはり腹が減るも、余り歩きたくなかったので、先日の食堂へ行き、まあまあだったスープを飲むことにした。急速に秋から冬になろうとしている雰囲気が嫌いではない。

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