ウラジオストクを歩く2019(4)ウラジオふらふら

9月20日(金)
ウラジオふらふら

今日は実質ウラジオ最終日だが、もう大体行くべきところには行ってしまっていた。さてどうするか、と考えながら、ホテルの朝食を食べる。これまでは韓国人か中国人が多かったが、このホテルには日本人も泊っていた。食事内容はどこも同じような物だった。この辺はヨーロッパ的?

 

取り敢えず多くの観光客が訪れるという鷹の台展望台を目指す。基本は歩きで、ケーブルカーに乗る気もない。スマホ地図を見ながら、途中までは昨日歩いた旧東洋学院方面を行く。その辺から登り始め、高台の住宅地を抜けていく。だがどうも道がない。住宅の警備員に聞いたが、言葉は通じない。でも行きたい場所は分かったらしく、住宅内を突っ切って行けるよ、と笑顔でジェスチャーをしてくれた。しかし残念ながら、その入り口は閉ざされており、元に戻らざるを得なかった。

 

地図で見ると今来た道を一度下まで降りて、更に道路をぐるっと回って行かなければならなかった。その道路は広い自動車道で、歩くのは大変。何とか入り口に辿り着くと観光客が沢山いるではないか。上に登ると、確かに手前の黄金橋からウラジオストクの港がよく見えた。

 

帰り道をトボトボと行くとまた古い建物に出くわす。特に気になった建物があったのだが、果たしてこれが元々なんであったか、それはロシア語でしか書かれておらず、判然としない。また近所の壁には古い建物の写真が貼られており、ちょっと興味深いものも混ざっていた。この近くに骨董屋があるに違いないが、場所が分からなかった。

 

更に歩いていると、腹が減ってくる。ちょうどカフェが見えたのでメニューを見ると英語があった。しかもペリメニと書かれていたので、迷わず入ってみる。何とこのカフェのメインはペリメニであり、10種類ものペリメニが用意されていて迷う。ゆっくり茹でて出てみたペリメニはかなり美味だったので、じっくり味わった。カフェなので食後にコーヒーを飲むと、何だか新しい感覚になる。

 

 

最後に噴水通りの周辺を丹念に歩いてみた。この通りはとてもきれいなのだが、そこから一歩裏に入ると、昔の雰囲気がいくらか残っている。勿論ここにも観光客目当ての店が出てはいるが、何だかここらあたりを100年前に日本人が歩いていたかな、と思うと複雑な気分になる。

 

一度宿に帰り休む。なぜかまた腹が減り、早めに夕飯を食べてしまう。それから夕陽が落ちてくるのが見えたので、ビーチの方に向かう。先日のホテルと違って、ここからは夕陽がよく眺められたので、しばしそれに見とれる。周囲ではビールを飲みながら騒ぐロシア人たちがいた。

 

宿へ帰り、部屋にあるLG製のブラウン管テレビを点けてみる。普通テレビなど見ないのだが、今日はラグビーワールドカップの開幕戦、日本対ロシアの試合が日本である。もしやと思い探すと、ロシアでもちゃんと注目されており、生放送されているではないか。その実況にはかなりの熱が入っていたが、試合はガチガチの日本が勝利したので、かなりがっかりしているようだった。まあそれにしても、ブラウン管テレビはこんなにも見難かったかと実感する。

 

9月21日(土)
ウラジオストクを離れる

ついに日本へ帰る日が来た。本当は空港まで列車に乗って行きたかったが、昨日駅で確認してみて、私のフライトにちょうど合う列車はなかった。朝7時の列車に乗れば確実なのは分かっていたが、空港に着いても3時間半、何もやることがない。それならばホテルで朝食を食べてから、またバスで行くことにした。

 

バスは特に混んでおらず、時刻表通りに出発した。終点だから寝過ごすこともないので目をつぶる。途中で何人かが乗ってくる。そしてある程度行ったところで渋滞になる。よく見ると斜め前の方で煙が上がっている。何と火事に遭遇した。それもかなり大きな火事だ。後で検索した放送局だったらしい。日本語のニュースにもなるほどの規模だったので、驚いた。

 

1時間ちょっとで空港に到着したが、まだチェックインは開始されていなかった。20分後に開始という表示になっており、皆並び始めたが、いつになっても始まらない。その前に韓国行きの便が終わらないからだろうか。そこへ後から来た子供連れの家族がカウンターに何か言うと、なぜか彼らの処理が始まったので、後ろのロシア人が怒り出す。

 

すると横のカウンターが開き、私の後ろのロシア人がそこへ滑り込み、手続きを始めた。それなら私の方が先だろうと、そのカウンターへ行くと『ここはビジネスクラスだけ』というではないか。何の表示もなく、外国人は勿論、ロシア人にも不可解な処理が行われて困る。

 

まあそんなこともあったが、今回のウラジオストクの旅は順調だったと言ってよい。何より天気が素晴らしく、気持ちがよかった。これからここを訪れる日本人も増えていくだろうが、出来れば歴史にももう少し目を向けてもらいたいと思った。確かに日本から最も近いロシアだから、歴史的繋がりは相当ある。

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