遥かハバロフスクに茶旅する2019(5)事件発生 飛行機に乗れない?

3月17日(日)
事件発生 飛行機に乗れない?

その事件が発覚したのは昨晩遅くだった。明日のフライトを確認しようと、ネットで検索したが、私の名前を入れても予約が出てこないのだ。そして初めて1か月前に届いていた予約確認書を見て驚いた。私の姓は合っているのだが、名前のスペルが違っていた。いや、スペルではなく、妙に長いのだ。MRなどという文字が混入しており、何だか分からない状態だった。恐らくこれは予約画面で自分の名前を打った時、MRなどが混在したものと思われる。

 

この航空会社には以前も何度か乗っているので、この間違いは私のせいではないと分かってくれるのではと思ったが、すぐに連絡を入れた方がよいというアドバイスもあり、電話番号を探す。ハバロフスク支店に今電話しても夜の10時過ぎで誰も出るはずはない。ソウルのコールセンターを探して電話しようとしたが、今度は私が買ったロシアシムでは何番を押せば国際電話が掛けられるのかが分からず、フロントへ駆け込む。

 

フロントの女性は話しを聞いたうえで『このホテル、国際電話無料サービスだから、部屋から掛ければ』というではないか。何と親切なホテルだろう。ところが部屋からはなぜか繋がらず、もう一度フロントへ行き、そこの電話でかけてもらってようやく繋がる。ハングルは出来ないので、英語サービスを押すと、ちゃんと英語で人が出たのだが『本日のサービスは終了しました』というではないか。そんなこと言っても、今英語で私の話を聞いているのだから、対応して欲しいというと、色々と言い訳を並べて結局対応してもらえず。

 

『翌朝8時にまたここにかけてください』という。仕方なく一度寝て、午前9時過ぎ(ソウルとも時差1時間)にまたフロントから掛けると、英語できちんと話を聞いてくれた。だが『話は分かったが、ここはアメリカのLAで電話を受けており、我々には修正する権限はない。後2時間したらソウルに切り替わるから、そこにかけて』というではないか。

 

一体どうなっているのだ、この航空会社は。そしてこちらの時間の11時過ぎにまた電話をすると『話は分かったが、発券したのはハバロフスク支店なので、そちらにコンタクトして欲しい』というので、さすがに怒りが爆発する。『私はおたくのHPでチケットを購入したのだ。しかしHPでは変更できないというから何度も電話しているのだ。ハバロフスク支店などは関係なのだ。しかも今日な日曜日だ。支店は対応してくれるのか』と畳みかけると、『とにかく明日の朝一で支店へ』と小声になる。

 

『では支店に行けば必ず修正してくれるのだな』と聞き返すと『それは各支店にポリシーがあり・・』と要領を得ない。もうこれで諦めた。このチケットはキャンセルしようと思うが、他に代替手段はあるのだろうか。何しろ東京へ戻るのではなく、中国の成都へ行かなければならない。電話を切りネットで検索したところ、明日の夜ハルピン行きに乗り、そこで1泊、翌朝早くに成都行きに乗り継ぐと、ちょうど東京から来る人々と合流できることが分かり、迷わずそのチケット予約する。料金は前のチケットとほぼ同じ。何だ、最初からこちらにすればよかったと思うが、後の祭り。

 

そして4回目の電話をしてキャンセルを告げた。すると『キャンセルの手続きをハバロフスク支店でやって欲しい』と言われ、もう限界を超えた。一体何を考えているのかというと、電話の向こうから『分りました。こちらで処理しますが、返金は4週間後になるかもしれません』という。返金?何とこのチケットのキャンセル料は僅か50ユーロでかなりの金額が返ってくることをここで初めて知り、愕然とする。それならこの1日は何だったのか。無駄な処理にどれだけの時間を費やしたというのか。余談だが返金は4週間どころか、2日後には完了している。もうこの航空会社の言うことなど聞かないぞ。

 

という騒動に巻き込まれ、昼ご飯もその辺でパンを買って食べる羽目になってしまい、ようやく今日の散策に出たのは午後だった。折角なので日曜日で閉まっているとは分っているが、例の航空会社のハバロフスク支店を見てみようと思い出掛けた。だがどうもスマホ地図が示す場所が正確ではない。かなり歩いてきたのに、結局見つけることは出来ず、立派な教会だけを見る。月曜日にここで処理をしなくて本当に良かった。昼ご飯、パンだけでは軽いので、カップ麺を買ってきて部屋で食べる。すごく美味しい訳ではないが、これまた3年前の味がして、懐かしい。

 

夕方、もう一度出掛ける。ハバロフスクには今も日本総領事館があるというので、何となく見に行った。そこは先ほど支店を探して彷徨った通りの1本向こう、港に近い場所にあった。ただ入り口は分かりにくく、階段を登ってやっとたどり着く。その建物は領事館とは思えないほど可愛らしいクラシックスタイル。こんな領事館なら、地元民からも愛されているかもしれない。

 

更には100年前に日本人会や商工会があった建物も残っていた。ここは現在空手道場になっており、往時を偲ばせる。また本願寺があった場所は特定できないが、古い木造建築も残っていて、この辺りかなと思わせるものはある。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です