《ベトナムお茶散歩 2008》ホーチミン(3)

5.ホーチミン2
(1)マジェスティックホテル

午後7時半、ようやくホテルに到着。茶畑にいたのは僅か1時間半程度、後の大半は車の中。最後のイライラも重なりかなり疲れる。ガイドのタオサンに教えられるまま、ホテル付近のファーストフード店、フォー24で夕食を取る。このお店、地球の歩き方にも紹介されており、一人でも気楽に入れる。24はスープを24時間煮込むからとか??

やはりベトナムと言えばフォー、しかし昨日とは様子が違う。所謂ファーストフード店。店は綺麗でメニューがあり、何とセットメニューが整っている。ビーフヌードル、ベトナム春巻き、ペプシコーラのセット67000ドン(原価72000が割引)を注文。

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生野菜もついてまあまあの味。それにしても古きよきベトナムが遠くへ行った気分。勿論お客の外国人にとっては便利になったということだが。うーん、これは。

食事後少し元気が出て、街を散策。またドンコイ通りを歩いて行くとサイゴン川に突き当たる。そこに輝くばかりのライトアップされたホテルがあった。マジェスティックホテル、1925年に建造された重厚な造り。このホテルには是非来て見たかった。沢木耕太郎の『国道1号線を北上せよ』の中で、彼はこのホテルに泊まり、ここのバーで酒を飲んでいる。『香港から見た九龍のような派手さは無いが、ここから見えるサイゴン川の夜景は見ている者の心に静かに深くしみって来る』と述べている。

私も最上階ブリーズ・スカイ・バーに行ってみた。西洋人が沢山オープンテラスで食事をしていた。ドリンクだけと言うとウエートレスが上を指した。階段を上がるとそこにはサイゴン川を見るためだけにあるテラスがあった。ここから薄暗い川を眺める。風が心地よい。

飲み物も沢木と同じミスサイゴンを注文。このカクテルはウオッカ、ライムジュースとガリアーノ(イタリア原産のリキュール、19世紀後半のイタリア・エチオピア戦争で活躍したガリアーノ将軍の名前)が含まれている。ちょっと甘い。6.2ドル。ナッツがついており、その塩気がここの風とよく合う。

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沢木がこのホテルに泊まった理由は簡単。産経の記者だった近藤紘一が泊まったことを読んでいたからだ。近藤さんの『サイゴンから来た妻と娘』は実に愉快で、しかもベトナム人の考え方がよくわかる本だが、近藤さんがマジェスティクに泊まったのは、亡くなった前妻とのことだった。

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近藤は前妻と死別後、サイゴンに赴任。そこでベトナム人女性と出会い一緒に暮らす。その様子からベトナム人の行動様式が分かり、また驚く。沢木も言っている。彼女をミスサイゴンにしなかった近藤は偉いと。

サイゴン川には食事の出来る大型遊覧船が停泊しており、そのネオンサインが揺ら揺ら揺れている。ベトナム戦争から30年以上が経過したが、未だに1975年サイゴン陥落直前にこの川岸に群がる人々の亡霊が見えるようだ。

3月30日(日) 
(2)朝の博物館巡りで 
最後の朝がやって来た。午前中は予定が無かったので、適当に歩くことに。取り敢えず地図を見て、歴史博物館に向かう。途中の街並みは相変わらずバイクが多いが、所々フランス風の建物がある。どうやら政府機関が入っているらしい。

歩いて行くと戦車やミサイルが見える。これが歴史博物館??ベトナム語しか書いていないが、どう見ても軍事博物館。後にガイドブックで調べるとここはホーチミン作戦博物館。何と1975年4月30日のサイゴン解放を行った作戦を中心に展示されているらしい。如何にも共産主義国家、自らの功績を誇示している。全てベトナム語なのでよく分からず、中には入らなかった。

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その直ぐ横に大きな建物が見えた。入場料1.5万ドンを支払い、門を潜ると綺麗な中庭がある。コロニアル風の窓が開いており、気持ちが良い。入り口を入るとホーチミンの胸像が真ん中にある。先史時代から現代までのベトナムの歴史が展示、解説されている。

中国から輸入された茶器が展示されていた。天目茶碗もあった。唐の時代には阿倍仲麻呂が派遣されて(帰国途中に流されて??)ベトナムを統治したこともあった。やはり中国の影響は大きい。

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外へ出ると外国人の一団が人力車に乗り込んでいた。これもツアーの一つだろうか??更に行くとお寺がある。その横では青年ボランティアといった感じの一団が芝生でミーティングしている。

博物館の外は公園なのか、敷地はかなり広い。が、特に見るべきものはなさそうだったのでここを去る。西に歩いて行くとフランス領事館など趣のある建物が見える。夏ではあるが幸い雲が出ており、何とか歩ける。

戦争証跡博物館、何となく不思議な名前の博物館がある。外には先程の作戦博物館同様、戦車や飛行機、ヘリコプターなどベトナム戦争当時の兵器が展示されている。中に入ると西洋人が熱心に展示物に見入っている。

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何気なく見てみると、ベトナム戦争の悲惨な写真が続々続いている。惨たらしい遺体、泣き叫ぶ子供、ベトナム人を処刑するアメリカ人など。何だか、南京の虐殺記念館に来た気分になる。そして驚くことは西洋人が子供も含めて熱心に内容を見ていること。

日本人なら目を背けてしまう場面でもしっかり見ている。これが歴史認識の違いか??それとも第三者として単に冷静に見ているだけなのか??ベトナム人はどんな心境なのだろうか??恐らくこの体験をしている人々はこの場所を訪れることはないのだろう。正視するには堪えがたいものがある。戦争とは本当にむごいものであることを教えている。

その後横の統一会堂に行くが、11時までしか入れないとのことで、外から眺める。旧大統領官邸。外観もかなり立派だが、中は豪華だそうだ。ベトナム戦争終結の場所(無血開城)。中を見たかったが午後1時からと言われ断念。

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統一会堂の前の並木道を行く。両側には休日を楽しむ人々が日差しを避けて座り込む。冷たい飲み物を飲んでいる。正面横にサイゴン大教会がある。正面に回ると新婚さんが写真撮影。どこの国でもポーズを決めるのは同じ。

2つの尖塔を持つ綺麗な外観。前にはマリア像が立つ。正式名称を聖母マリア教会という。19世紀末に建てられたという赤レンガの建物はこの街の中で優雅に存在している。

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その横には駅が見える、と思ったが、ここは中央郵便局であった。1890年前後に建造されたこの建物も一見の価値あり。中に入ると見事なアーチ型の天井があり、やはり駅舎のよう。奥には大きなホーチミンの肖像画が掲げられている。ここから絵葉書を出せば、気分はコロニアル??

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(3)昼飯 
ホテルに戻り、シャワーを浴びる。ここの風呂は何故かジャグジー付で浴槽が広い。但し時間が無いので、びしょびしょになった体をさっと流すのみ。ホテルは6時のレイトチェックアウトにしておいてよかった。

Kさんがホテルに来てくれ、昼食へ。今回はホーチミンの日本料理を食べることに。ホテル近くには日本料理屋街(日本人街)があり、その1軒へ。この付近には日本料理屋が数十軒あり、その周辺には韓国料理屋が数十軒ある。面白い構造である。日本と韓国は群れ易いということか。

司馬遼太郎はベトナムと韓国を『たがいにその歴史も地理的環境も酷似している。似ているというより、ある面では瓜二つといっていい。』(人間の集団について)と解説している。双方とも中国と陸続き、唐時代には都護府が置かれ、儒教文化の色も濃い。そして中国の力が弱まれば植民地化されている。この2国がベトナム戦争でまた出会う。歴史の皮肉か、必然か??

その料理屋もベトナム式建築を改造。洒落た湾曲した階段を持つ。バーのようなカウンターもあり、壁には浮世絵が掛かっている。から揚げ定食を頼む。普通の味である。今回初めて鶏肉を食べた気がする??

Kさんにはベトナム人の奥さんがいる。ホーチミン在住8年。この間、まるで近藤紘一が体験したベトナムを同じようにしている。奥さん一族との微妙な関係、お金のある人に当然のように頼る体質、目を掛けてあげても報いない親族、そして昨今のバブルで急に金持ちになった長屋の人間、など生のベトナムが語られていく。

昨年とうとう長屋生活を離れて奥さんと二人で暮らしているとか。それでも家長のお母さんを気遣ったり、親戚の動向は気にしている。ベトナム人と等距離で付き合うことはよほど難しいらしい。

もう一つ気になるのは、ホーチミンのバブル。急速な建設ラッシュ、追いつかないホテル、人件費、物価の急上昇、どれを見ても危険信号だらけ。この中で踊っている人々には報いが来そうだ。一般庶民には関係ないかもしれないが、なぜか気に掛かる。

ベトナムブームという日系企業にも警鐘を鳴らす必要がある。既にコストインテンシブな中国企業などはカンボジア、ラオスに移転。日系には行くところがない。どうするんだろうか??政府の賄賂体質と相俟って、ベトナム進出は容易ではない。

(4)ベンダイン市場 
まだ時間がある。次回のお茶会のためにもベトナム茶を探さなければならない。どこに行ってよいか分からず、取り敢えず一番有名なベンダインという名前の市場へ行ってみる。

ホテルから歩くこと20分、汗が流れ落ちる。ホーチミンの昼下がりに外を歩くのはやはり無謀だったか??ベンダイン市場は巨大な体育館のような所。一体どこに何があるのか??

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野菜や南国フルーツが山盛りになっている。人々はいすに座り、ゆったりと商売している。ここは観光地だからだろうか??近藤紘一のベトナム人奥さんは『市場の交渉は真剣勝負。一度舐められたらカモられる。』とあったが、ここはどうだろう。

ようやくお茶売り場に辿り着く。ジャスミン茶、緑茶に混ざってハス花茶もある。高級なお茶には烏龍茶との表記もあるが、これはベトナム産だろう。葉っぱを見せてもらったが、正直高級なものはない。

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少し歩いて行くと店の看板に日本語のある所が。声を掛けると若い女性が日本語で返してきた。聞けば学校で日本語を習ったか。普通は日本語が出来れば日本人に愛想よくして、高い茶を買わせようとするのだが、彼女は実にそっけなく、私の質問にも適当に答えてくる。

その姿が気に入る。外国人に迎合しない、バブルもまるで関係ない、そんな雰囲気がある。よく見るとイアリングが光、顔立ちもしっかりしている。勝手にいすを占拠し、その場で彼女を見ていた。

その時近藤紘一の文章を思い出す。『結局のところ、ベトナム人の価値観のドンずまりは、その日を生き延びるためなら全ては善』彼女とは全く無関係なはずのこの言葉が何故か、出て来る。戦後30年以上が経過しているが、未だに全ては敵、という感覚がどこかにある気がしてならない。

結局一番高い緑茶とハス花、ジャスミンの3種類を購入。値段は高いといっても1.5‐2.5万ドン。敢えて値引きを求めずに去る。私にしては極めて珍しい買い物の仕方である。その後何軒ものお茶屋を見た。中には漢字で『龍珠茶』などと書かれているところもあったが、概してしっくりするところはなく、市場を後にした。

(5)Tさんと 
バーンタオ氏が紹介してくれたのはKさんだけではなかった。日本人女性のTさんとも会うことになった。彼女は昨日までホーチミン郊外に行っていたとのことで、何とか出発前に捕まえた。3時にケンタッキー横で待ち合わせ。ケンタッキーは韓国からの出店らしい。流石にアメリカはまずいのか??若者や親子連れが中で食べたり飲んだりしている。

Tさんがやって来た。直ぐ横のアーチを潜り、カフェに案内される。リファイナリーという名前のそのカフェは、大きな敷地内にあり、外の喧騒を忘れさせた。オープンスペースにはいすとパラソルが用意されており、花が咲き、如何にもフランス風、気持ちがよさそう。

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我々は中に入り、奥に席を取る。Tさんは食品関係を中心にしたコーディネーター。近年のベトナムブームで雑誌の取材などの仕事もかなりあるらしい。ベトナム食材の紹介などもある。ベトナムはカンボジア、ラオスと違って食いしん坊の国である。

Tさんは元々日本でOLをしていたそうだ。食いしん坊でベトナムに旅行で通ううちにいつの間にか住み着いてしまったと言う。極めて自然に話すが、相当苦労があったことだろう。

しかし彼女から出た言葉は今のこの地を象徴していた。『そろそろ潮時かな。拠点を移そうと思って。』やはりKさん同様ホーチミン在住8年のTさんにしても、昨今のバブル的な現象はかなり衝撃であるらしい。取材先や取引先の態度が急激に強気になっている。その要求も合理的とは言えず、仕事で苦労することが多くなった。食事は美味しいが、物価の上がり方が尋常ではない。何よりも人の心がおかしくなってきているらしい。

お茶はハス花茶を頼んだ。透明のカップに小さなクッキーが付いていた。なかなかお洒落。お茶の味はあのハス花独特の臭みがなく、飲みやすかったが、印象に残るものではなかった。

Tさんが『行き付けのお茶屋さんに行きましょう』というので付いて行く。タクシーに乗ったが、彼女は運転手の動作に極めて神経質。道をごまかしている、メーターがおかしい、などなど。私も気持ちは分かる。海外にいるとこの様なことが起きる。特に人の心が信じられなくなっている状況では、なおさらだ。今まで信じてきたものに裏切られた時にショック。彼女は確かにこの地を離れた方が良いのかもしれない。

お茶屋さんは車で10分ほど離れた場所にあった。『ティエン・ダ』と言う名前か??天井の高い、奥行きのある店構え。中国的である。中に入るとお茶がふんだんにある。さっきの市場と違い、種類も多いし、値段も高い。

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烏龍茶、ハス花茶、を購入。秤が昔風。香港の上環を思い出す。そうだ、ここはチャイナタウンではないが、お茶を飲む習慣はやはり中国のものだ。奥にはお茶が飲めるスペース(極めて中国的な)もあったが、今日はオーナーがいないと言うことで試飲は出来なかった。茶器も中国から持ち込んだと思われるものが並ぶ。お茶を選んでいるとお客が次々に入ってきた。やはりベトナムではお茶を飲むのだ。それが分かっただけでも収穫だ。

Tさんが直ぐそこにスイーツ屋さんがあるので行かないか、と誘う。スイーツにはあまり興味はないが、飛行機の時間までまだ少し余裕があるので歩き出す。その店は如何にも地元の人が行く所であった。低いテーブルといす、所狭しと人々が座って何か食べている。彼女が勧めるスイーツとはあんことフルーツ、氷が入った飲み物。これはかなり甘いが、暑くて疲れた体にはよい。

隣の人との距離が極めて近いこともあり、何を食べているのか見ると美味しそうなものが。Tさんによれば、この店の名物らしい。鳥おこわご飯、この名前を聞いてどうしても頼みたくなる。夕飯はどうせないのだし、4時だが、ちょっと早い夕飯とすることに。

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このご飯、かなり美味かった。鳥が揚げてあり、野菜も付いて、上に載っている。ご飯はもち米、歯ごたえがあり、一気に食べる。周りの人々も何となく楽しそうに食べている。これはよい。

勘定をしようとTさんが店員に声を掛けるが、忙しいのでなかなか取りに来ない。そろそろ時間が迫っていた。Tさんも何だか必死になり、呼び止めている。すると周りのカップルが『払わないでいいんじゃない』なんて言い出す。みんな笑っている。店員もやってきて笑っている。

ここには古きよきアジアがあった。バブルに浮かれるホーチミン、しかしまだまだ奥は深い。次回は是非長期滞在しよう。でもこれ以上ホテル代が上がると泊まれないな。

その後ホテルまでタクシーで送ってもらい、そして6時半にはホテルをチェックアウト。Kさんアレンジの車で空港へ。正直タクシーでよいと思ったが、先程のTさんからもタクシーはメーターを誤魔化す、と聞き、Kさんのアレンジに感謝。30分ほどで空港に着き、何の揉め事もなく、すんなりチェックインできた。

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