《ベトナムお茶散歩 2008》ホーチミン(2)

4.バオロック 
(1) バオロックへ 
車は市内中心部を抜ける。土曜日の朝ということでそれ程混んではいない。しかしタオサンは『茶畑のあるバオラックまで217km、約4時間掛かります』という。217kmで4時間も掛かるの??先日行った南寧-ベトナム国境は約200kmを2時間で行ったのに??

沢木耕太郎に『国道1号線を北上せよ』という本がある。この国道1号線はベトナムの今私が走っている道なのである。沢木がこの道を通ったのには特段の理由はないが、私には茶畑訪問という大義名分がある。と偉そうに言っても実は沢木の本を読んで刺激された面はある。

15kmほど行くと工業団地が見える。日系企業や韓国企業が入居している。もう少し行くとコカコーラの工場がデカイ。タオサンに『ベトナム人はアメリカが嫌いなのでは??』と嫌な質問をすると『その通り、だからマクドナルドはない。』との答え。それでは何でコカコーラはあるの??『答えは安いから(1カン日本円30円)』だそうだ??

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因みにタオサンの故郷はメコン川のほとり。1975年のベトナム戦争終了時に被害を受けて疎開した。彼女も幼くして移住した。現在両親はその時の微々たる年金を貰っている。収入の1割に過ぎない。『日本は年金が沢山貰えてよい。それに医療保険があるから病気の心配もない。』という。日本人観光客から日本の情報を色々と仕入れている。ベトナムでは病気になっても病院には行かず、薬を買って飲むだけだそうだ。

タオサンはホーチミンの日本語専門学校で日本語を学んだ。卒業後日本語と関係ない仕事をしていたが、思い立って4年前に観光学校に行き、日本語ガイドとなる。就職では日本語かフランス語が出来ると有利だという。乾期の今はお客さんが多く仕事もあるが、雨季はお休み。安定した仕事ではない。この時期は日本円で3-5万円の収入が見込まれるが乾期は1万円などということもある。

タオサンの旦那さんはフランス語ガイド。ホーチミンに来る観光客はフランス人が一番多く、他のヨーロッパ人、韓国人、中国人その次が日本人だとか。宗主国を除けば韓国勢のプレゼンスが高い。日本人は市内の主要観光地かメコン川、クチトンネルなどほぼ全員が同じ所に行く。今回の茶畑訪問は彼女も初体験、ドライバーもビックリしたらしい。

それにしても車はなかなか進まない。中国に比べれば交通量は少ないのだが、何しろ片道一車線。もう一車線あるのだが、バイクが占拠。法律でも車の車線は1つだそうだ。違反すると最大200万ドン(14000円)の罰金だとか。そういえば、バイクの方も皆行儀よくヘルメットを被っている。本年1月から施行された法律で罰金は20万ドン。新品のヘルメットが買える金額ということで、皆新品を買い取り締まりに備えている。

尚ホーチミンの交通事情は最悪で朝日新聞の総局長は『世界で最も危険なのはアフガニスタンでもイラクでもなく、ホーチミンの道』と述べていた。その通り、アリの大群のような一団が物凄いスピードで迫ってくる。車でも勝てそうにない。ベトナムでは毎月1100人が交通事故の犠牲になっている。子供は特に死亡率が高い。

河を越えると市内を離れ県になる。この辺りから車が減る。しかし相変わらずバイクは多い。それとドライバーが極度に規則に神経質で絶対にバイク車線を走らない。これでは前ののろのろトラックの後塵を拝するだけ。いつまで経っても進まない。中国ではもっと安全運転しろ、とドライバーを呪っていたのに、逆にこれだけ遅いとやはり呪ってしまう。中国慣れは恐ろしい。

国道1号線、と言っても言われなければ分からない単なる道路。ゆっくり進んでよいことは『疲れない』。途中の町並みもじっくり見られる。驚くのは教会が多いこと。勿論キリスト教のお墓も見える。タオサンが『お墓地が見えます』という。墓にはおを付けるが墓地には付けない、と教えながら、なぜだろうかと悩む。彼女は素直に『勉強になりました』と。敬語は難しいとこぼす。

この付近に教会が多いのには理由がある。1954年にフランスからの独立を勝ち取ると共産化した北から大量のキリスト教徒が南へ非難(ジュネーブ協定)。この辺りに入植し、町を形成。それにしても教会の建物もそれぞれ個性的。個人の住宅にもマリア像が見えたりする。

沢木は1号線を北上し、海を目指した。私は茶畑を目指すため、70kmほど離れた分岐点でお別れ。国道20号線へと左折する。しかし70kmを2時間掛けて走行。確かに時間が掛かる。運転手に休みを取らせる。

道路脇に気になるハンモックが見える。バイクに乗っている人を中心に休む場所らしい。早速ハンモックに寝る、というか腰掛ける。考えてみればハンモックに寝たことなどない。バランスが取れない。隣のおじさん達は実に慣れた雰囲気で気持ちよさそうに寝転がる。

お茶を頼んだがタオサンが『お茶はありません、ペットボトルはどうですか??』と聞く。断って車の方に向かうと慌てて『今頼みました』??実はラオスと同じでお茶だけを売る習慣がない。運転手がコーヒーを頼み、その付け足しで何とかお茶を頼んだらしい。お茶は蓮茶であったが、品質はよくない。

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店の子供がハンモックで遊んでいる。女の子と2歳ぐらいの男の子。女の子はお客が来ると注文とりに出る。男の子は一人で遊ぶ。そっと近づいて写真に収める。何を食べたのか顔に付いている。その顔が幸せそうに見える。

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それから長い間20号線を行く。ゴムの木が生えている。ゴムは5年ほどで使えるようになり、また木の下のほうを切り、液を取る。プランテーションの名残か。木造の家も見える。

途中高校があった。土曜日半ドンということで大勢の学生が出て来た。物の本によく出ている制服がアオザイである。実に鮮やかにすそを翻して自転車を漕いで行く。バイクに乗って子もいるがこれは法律違反らしい。とは言ってもこの山の中で自転車はきつい。気持ちは十分分かる。

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山道に差し掛かる。いよいよ雰囲気が出て来た。山のカーブではドライバーはことの他慎重になる。バスもトラックも抜けないので相当に時間が掛かる。途中数ヶ所、観音堂があった。交通安全祈願のようだが、海の女神アマ信仰が山の中でも生きている。

休憩を除くとちょうど4時間、11時半にバオロックの街に入る。中心に池がある公園はなかなかきれい。こじんまりした清潔な街との印象。郊外のドラインブインといった雰囲気の所に駐車。昼食を取る。観光バスも数台横付けしている。ここはダラットへの昼食場所なのかもしれない。

食事は簡単な定食。豚角煮と卵とご飯、それに冬瓜のスープ。まあまあいける。向かい側の2階では結婚披露宴が行われていた。本日は大安の土曜日ということで道路沿いのレストランでもピンクの花輪に飾られた披露宴が随所に見られた。今では友人の結婚式に出るのにお祝いは20-30万ドンとか。かなりの出費になるがお付き合いで仕方がない。タオサンは先月3回も出席したらしい。

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ここの披露宴は盛大だった。遥か向こうに新郎新婦、そして両親が小さく見えた。どうやら誓いの言葉でも述べているらしい。新婦はウエディングドレス、新郎はタキシード、今やどこの国でも同じスタイルになってしまった。新婦にはアオザイを期待するのは外国人だからだろうか??

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(2)バオロックの茶畑 
そしていよいよ茶畑へ。街中を抜けるとそこは田舎。10分も行けば農村地帯となる。ドライバーは道順を確認していたが、やはり初めての道では聞くしかない。聞くと簡単な道らしい。

場所は直ぐに分かった。近くでは茶摘をしている婦人がいた。あのベトナム独特の笠を被って。かなり大きな建屋である。建物の前では摘んだ茶葉が天日干しされている。中は製茶工場であろう。

左端の事務所へ行くと如何にもベトナム人といった感じの痩せた男性が迎えてくれた。副社長だそうだ。早速この工場の概要を尋ね様としたが、『茶の木を見るなら別の場所だ』ということでまた車に乗る。前を若者が一人バイクで先導する。

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茶畑の中を数分進むとそこには建物が。眼下に大きな池、周りは殆ど茶畑という絶好のロケーションに建っている。中からこれもまた痩せた男性が出て来る。どうしてベトナムの男性はこうも痩せているのか??最近メタボが気になるこちらはどうしても腹回りに目が行く。昔は俺もベルトが腹に食い込むほど締め込んでいたのに??

男性はホーチミンの大学で経済を専攻、その後この地に12年、この農場には開業以来いるという。ようはこの地と茶が好きなのだ。建物の前のテーブルに腰を掛け、冷えた茶を飲みながら話す。単に冷ましたお茶をポットに入れているだけだが、このような場所で飲むと味わいがある。

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テーブルには心地よい風が吹いてくる。いつか潮州の山中で体験したあの気持ちよさである。暫くは浸る。そして問う。この農場は10年前までは桑畑だった。シルク産業が衰退し、地元の有力個人が茶畑を開発。技術は台湾から導入。2001年のことである。総面積80ha、広大な敷地。人工の池が眼前に見える。

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茶葉は年間5回摘む。台湾や日本、中国に向けて輸出していた(日本の商社も買い付けている)。しかし最近は人件費等のコストが上昇、逆に茶葉価格が低迷し、採算が悪化。今後は国内販売に注力していく。人件費は開業時に一日1ドルだったものが、最近は3-4ドルまで上昇、ホーチミン近郊の工場では月給が150-200ドルであるので対抗上やむをえない。

 

しかし都市の生活コストは高い。特にホーチミンの物価上昇を考慮すれば、実際には宿泊、食事の費用が出るこちらの方がお金は貯まるのではないか??そうだとすればやはり重労働なのである。ベトナムでもついにそうなったのか??世界の手摘みの危機である。

茶は台湾烏龍茶である。雨季はよい茶が採れない、いやよい発酵が望めない。乾季が掻きいれ時である。ここTam Chauは近隣で圧倒的に一番の茶葉会社である。あとは農家個々が緑茶などを細々と生産しているだけ。ベトナムでは中国国境で茶が採れる。生産量は多いが、高品質は少ない。

工場に戻るとちょうど天日干しした茶葉を片付けていた。中を案内して貰う。先ずは室温を下げた部屋で8時間ほど貯蔵。その間3回ほど揺青する。その後2時間乾燥。そして布袋に入れて揉む。最後に止める。

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工場内はかなり広く、まだまだ作業できるスペースがある。機械は台湾製であるが、一部自前で作ったものも出て来ている。将来は機械の国産化を目指す。外へ出ると副社長も混ざって収穫した茶葉の天日干しの準備中。あまり邪魔してもいけないので別れを告げる。そして最後に『茶葉を買って行きたい』と言うと、街中で買えとの指示。うーん。

仕方なく、先程昼食を取った場所へ引き返す。何とそこはあの茶葉会社所有の大規模コンプレックス。土産物屋で茶葉が売られていた。見ると日本円で100g 2-300円からあるが、どうせならばと一番よい茶葉を所望。すると『160gで60万ドン(日本円4000円)』というではないか??

ベトナムにもそんなに高い茶葉があるのか、と首を傾げると売り子が『試飲してみる』というので、してみることに。ちゃんと急須を使い、茶葉も8gずつ小分けされている。さて、お味は??残念ながら台湾にはこのクラスの茶葉はいくらでもある。ベトナムの物価を考えればこの値段は高過ぎる。国内販売に力を入れるにしてもこれでは??

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結局何も買わずに帰る。タオサンがアイスコーヒーを買ってくれる。こちらの方が甘くて美味しい??

(3)帰り道 
帰りはもと来た道を戻るだけ。特に目新しいことは無い。但し運転手は疲れたことだろう。何しろ小さな村を通るたびに時速を50kmに落とさなければならない。勿論村民は車など平気で、前に飛び出し、道を横切る。

国道1号線に戻った辺りで休息を取る。ちょうど夕陽が沈む時間。ドライブインの裏に回り、夕陽を撮影。かなり大きな太陽が足早に沈んでいく。国道沿いで最後の夕陽をボーっと眺める。全てがゆっくり、ゆっくり流れていく。

市内が近づいた頃から渋滞が始まる。何しろ1車線。なかなか進まない。他の車は容赦なくバイク車線に踏み込む。どうしても動かない場所に至る。前を良く見ると恐らく左に曲がる車が多く、動きようがなくなっている。

それでも運転手は気長に待っている。勿論いつかは通れるのだろうが、中国で鍛えられた私には到底耐えられず、とうとう『右車線に入れ』と命じてしまう。ビクンとした運転手は勢いよく飛び出す。

真っ暗な中、よく見ると左側には港があり、大型トラックが左折を繰り返している。しかし反対車線も頓着せずに直進するので埒が明かない。信号も無い。これがホーチミンの現実である。

急速なモータリゼーション、経済成長に全く着いていけていない。ホーチミンにとっては陸路は遮断されているに等しい(先程嫌というほど味わう)上、頼みの海路も皆と周辺がこの有様では、いよいよ心もとない。ハノイと異なり、このままではこの都市は陸の孤島になりかねない。危機感を感じているのだろうか??不安である。

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