11月16日(金) 10.コロンボ Tea Board
翌朝はいつもの通り、パンを焼いて食べる。ゆで卵が付いた。昨晩遅くまでテレビを見ていた運転手は寝坊。スマは彼らを本当に自由にしている。基本的に若手のお坊さんもそうだが、「不必要に規則で縛らない」として、放任している。それをスマは「自分が彼らの側に居ることが大切」という言い方をする。確かに口では「あなたの味方だ」と言っても、本当に相手の立場に立っている人は少ない。どこで線を引くかかなり難しいと思うが、その点、スマは凄い。
8時にコロンボに向けて出発。スマの大学のスタッフも同乗。コーヒーを飲むかと質問すると「スリランカではコーヒーは薬でした。レモンを入れて飲みます」というではないか。レモンを入れて飲むのが紅茶ではなくコーヒー。初めて聞いた。コーヒーと言えばネスカフェのようだが、タイのようなめちゃくちゃ甘い缶コーヒーなどはまだ出ていない。
朝のコロンボは渋滞だ。市内に入る前から混んでいる。途中、ここが国会議事堂、と言われる。そう、スリランカはブラジルやオーストラリアのように政治行政機能が分離されており、コーティと呼ばれるコロンボ郊外が国の首都となっている。コロンボはスリランカ最大の都市、と呼ばれる。
ようやくスマの大学の関係機関に到着。ここもまだ市内中心ではない。私はここから歩いて市内を目指す。横は海軍の施設、その先を行くとHSBCなどの看板が目に入り、ゴールロードへ到達。ここから少し北へ歩いて行くとTea Boardがある。観光客にとってはお土産に紅茶を買う場所である。スリランカ各地の紅茶が売られており、特に買いやすいようにパッケージされていたり、5大産地の茶を1つずつ入れた箱が売られていたりする。
売り場の女性に紅茶の歴史の本はないか、と聞いてみると、それなら図書室へ行け、と言う。売り場の裏手がオフィスになっており、更にその後ろには実験室がある。ここでも紅茶の研究開発が行われているようだ。その上の階にひっそりと図書室があった。意外とあっさりと部外者でも入ることが出来る。マネージャーに来意を告げると親切にも関係の本を取り出してくれた。ようやく歴史の本に巡り合えた。そして実に貴重な内容がそこには書かれていた。2時間以上、そこで調べ物をして、退散した。
コラム⇒ http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/5534
ホテル探し
もう一つの用事は今晩の宿探し。スマから3時までに探して、大学機関へ戻るようにとの指示。どこへ行けばあるんだ、ホテル。仕方なく、北上し、湖の畔へ出る。ベイラ湖、かなり大きい。その畔にレイクロッジというホテルがあることをガイドブックで知り訪ねる。
そのホテルは湖から少し離れた閑静な所に有った。ガイドブックだと50-60ドルと書かれていたが、見ただけでそんなに安くないことを知る。従業員に聞いてみると95ドルからだと言う。流石にちょっと高いな、と思っていると、それを見透かしたように「高いね」と日本語を使う。きっと多くの日本人がここへ来て値段を聞いて帰って行くのだろう。そうであればこのおじさん、もう少し安い宿を知っているかもしれない。
「ゴールロード、ランムトゥー」、そうおじさんは書いてくれた。兎に角そこを目指す。途中にYWCAがあった。ここは女子と名が付くが、ガイドブックに寄れば、男性もOKとあったので、一応聞いてみると「女子のみです」とあっけなく言われ、向こうの方でまた来たか、という顔をしたオジサンが居たので、ここもガイドブックのせいで迷惑している様子が分かる。
ゴールロードに出ると、シナモングランドホテルが目の前、少し北にはゴールフェイスホテルというコロンボの代表的な豪華ホテルが並んでいる。こんな環境の中に安ホテルなどあるはずがない、と思った時、道の向こう側に、如何にも古い建物を発見。行って見ると紹介されたホテルだった。
ルームレートを聞くとエアコン付。ホットシャワー付き、ロビーWIFI無料で3500ルピー。30ドルにもならない。こんなロケーションでそれはないだろうと思い、部屋を見せてもらう。と何と何と、確かに部屋は綺麗とは言い難いが、目の前にインド洋がドーンと現れた。小さなバルコニーから一日眺めることもできる。ここに決めた。スマに相談するまでもなく、チェックインする。
スマには電話で連絡し、荷物を運んできてもらう。彼も忙しいようなので、荷物を受け取り、分かれる。スマとの10日間の旅はこうして終わりを告げた。
ゴールロードを彷徨う
あまりに高級ホテルが並び、南側には首相官邸、アメリカ大使館などもあり、食事をするところが無い。飲み物を買う所すら見つからない。これは失敗だったかと思う。仕方なく、両替に行く。スリランカの両替レートは銀行によりかなりの差があるので、良く選ばないといけない。今回はセイラン銀行へ行ったが、対応は悪くなかった。ただ3回の両替で分かったことはセイロン銀行が手数料も安く、結果的にレートが一番良いということ。
さらに北上すると、ゴールフェイスホテルの前に、突然ゴールフェイスグリーンと言う広場が広がっている。インド洋が目の前だ。ここに観光客向けのスタンドが並び、飲み物が買える。普通の店の10%増し程度だから良心的か。それでも冷たい飲み物を置いている所と置いていない所がある。何とか冷たいスプライトを探し出し、口に含むと本当に爽快だった。それにしても最近水分を抑えて来たな、と感じる。
夜はゴールロードを南へ行って見るが、どうしても美味そうな店がない。思い余って、やけくそで、シナモングランドホテルに向かう。するとホテルの横にショッピングモールがあった。中を覗いていると地下に何とフードコートがあった。10軒ほどの店が並んでおり、食欲が涌いてきた。
食べたいと思って立ち止まった所、そこは何とタイ料理屋だった。そこのチキンチャーハンにのっていた野菜炒め、懐かしかった。バンコックから来て態々コロンボでタイ料理。それが今の私かもしれない。おじさんは中華系に見える。流暢な英語を話し、新入りかと思われるスリランカの若者に一生懸命何かを伝えている。その若者の姿と自分の息子たちがだぶる。
11月17日(土) フォート周辺
部屋にばかりいても仕方がないので、出掛けてみる。フォートと呼ばれる港があるエリア、旧市街地へ行く。歩いていると鉄道線路の脇に恐ろしく古そうな建物が見えた。Castle Hotelと書かれており、ホテルのようだ。中へ入ると本当に古い。200年は経っていると言う。1泊、1200ルピー、流石にここに泊まるとダニに食われそうだ。イギリスが侵攻してきたのが1796年。歴史だ。
その付近にはモスクがあり、イスラム系が住んでいるようだ。子供達は道でクリケットに興じている。昔々の日本の風景だ。豊かではないが、楽しそうではある。空軍の前を通ると一人の若者が日本語で話し掛けて来た。岐阜で3年働いた経験があると言う。月給30万円貰ったが、毎日12時間労働で疲れた。今は月給3万円だが、辛くはない。お金だけが全てではない。日本にはもう一度行きたいな、と言っていた。
ヒルトンホテルを過ぎると突き当りが港だと分かる。そしていかにも古めかしい建物が並ぶ。中でもカーギルのビルが目を惹く。実に重々しい風格のある建物だ。ところが何と中にあるのはKFCとFood Cityというスーパー。特にKFCには違和感があるが、返ってそのギャップが良いのかも。
オリエンタルという1875年に建てられた大きなホテルもある。今は改装されて綺麗だ。港についたイギリス人が泊まったホテルであろう。とても便利なロケーションにある。そこから駅へ行く。フォートステーションで列車に乗ろうかと思ったが、切符を買うのが面倒で、駅前のバスに乗り込む。これがまた満員で大変だ。途中で降りるのに苦労したが、何とバスが我がホテルの真ん前に停車した。バス停なんか、あったっけ。
オシャレなカフェが見えた。帰りにそこへ寄る。韓国人の若い女性たちが楽しげにコーヒーを飲んでいた。私は2階の屋外のテーブルに腰掛け、爽やかな風にあたりながら、アイスティーを飲んでみた。結構濃厚なアイスティー、恐らくはミルクティを作る茶葉を使ったのだろう。それでも雰囲気もよく満足。かなりの時間をまったり過ごす。
夜は疲れたので、昨日のフードコートへ行き、チャウメンとビールを頼む。満足して帰ったのだが、その夜、何故か今までなったことが無い便秘に襲われ、難渋する。何が原因か分からないが、水分や食生活の変化ではないか。それにしても便秘がこんなに苦しいとは、初めて知る。