スリランカ お坊さんと行く紅茶畑の旅2012(10)ゴール オランダ時代の街

コロンボ郊外へ

次はキャンディ郊外のメディテーションセンターへ行くのだと思っていたが、そのままひたすらコロンボ方面へ向かう。メディテーションセンターには少し興味があったので、残念だが仕方がない。途中休むこともなく、車は進む。座っている尻が痛くなってきたが、なかなか車は停まらない。水を一回買ったきり、とうとう3時間半ほど走り日が暮れた。そんなに遠くはないと思っていたが、道は真っ直ぐではなく、工事中もあり、車や人の飛び出しにも注意しながらの運転はさぞや大変だろう。

そしてコロンボからおよそ20㎞の地点で車は停まった。そこはホテルのようだった。今日はスマの宿舎泊と聞いていたが、明日の夜の為の視察だという。プールがあってちょっとリゾートっぽいが、暗くてよく見えない。部屋はまあまあ広くて清潔そう。これならいいだろうと言うと「では今日も泊まれ」と突然言われる。言われたら泊まるのみ。

スマは麺を頼んでいたようだが、自分たちの分は持ち帰り、私にはここで食べるように告げて去る。残された私は取り敢えず、レストランでコーラを頼み、麺の到着を待つ。やってきた麺は3人前はあるかという分量。ビーフンだ。半分近くは残して部屋へ。

WIFIがあるかとホテルに聞いたが、ないとの返事。何とかメールチェックがしたいと申し出ると、何とホテルで使っているモデムを貸してくれ、私のPCへのセットアップまでしてくれた。これはとても親切。そしてスリランカ8日目にして、初めて自分のPCにネットが繋がる。何とも嬉しい。

ところがこのネット回線、残念ながらスピードが遅い。400通ものメールが溜まっており、中には写真や文章の添付もあるため、何とメールを受領するだけでも4時間以上掛かってしまった。そして5日遅れたメルマガを送付するのに夜をまたいで2日掛かりの作業となる。これもまた新鮮な体験だった。

11月15日(木)   9.  ゴール  高速バス

翌朝は7時にスマが今日のスケジュールを言いに来るとのことで、あまり寝ずにメール作業などを行っていた。ところが7時に現れたスマは「チェックアウトするぞ」と突然言う。実は突然ではなく、昨晩彼から電話があったのだが、こちらが聞き漏らしていたようだ。慌ててネット作業を行い、荷物を纏めて、チェックアウトした。

今日は何と自分でゴールと言う街までバスで行き、興味があればビーチリゾートのヒッカドゥと言う街へも行き、またバスでこの街へ戻ってくる、という予定となった。私として一人旅もしてみたかったし、バスにも乗りたかったので、喜んで応じる。スマも大学へ来ると忙しいようだ。

先ずは車でバスターミナルへ行く。大学はコッタワと言う街にあるが、ゴール行きのインタシティバスはマハラガマという所から出る。そこまで10㎞以上行く。ターミナルに着くとちょうどゴール行きのバスが出る所。そそくさとスマに別れを告げて、バスに乗り込む。

既に席はほぼ満員。席の幅も広く、冷房も効いておりかなり快適。直通バスなのか、ゴールまでどこにも停まらなかった。車内には一部欧米人の姿があったが、基本的にスリランカ人が利用していた。高速に乗る頃、車掌が料金を集めに来た。470ルピー。

この高速道路、中国の援助でコロンボからゴールまで開通したという。実に快適な道路で、車も殆ど走っておらず、これまでの田舎の道とは別世界。元々は日本からの援助が多かったこの国も、近年対インド政策を重視する中国からの支援が増えている。ただ中国の建設工事は労働者も中国から連れてくるため、地元に雇用が生まれないとの不満が大きい。中国流は各国で禍根を残している。

高速道路の周辺は殆どが畑か林。南国風の良い風景が見られる。バスはゴールで高速を降りると、次々に人が降りていく。街に入ると直ぐにバスターミナルが見え、終点。

ゴールの街

ゴールの街は初めポルトガル人、続いてオランダ人が占拠して作った街。どことなくマレーシアのマラッカを思わせる所がある。バスターミナルからは既に城壁が見えており、旧市内の位置は聞かなくても分かる。

城壁の外側にプレーグランドがあり、クリケットの試合が行われていた。スリランカではバレーボールに人気があると言った人がいたが、やはりクリケットは人気競技のようだ。城壁にある門を潜り、城壁に上る。時計台が印象的。海も一望できる。海からの攻撃に備えていたのは、マラッカやマカオと同じ。

古い教会が見える。オランダ時代の建物とか。旧市街地に残っている古い建物は基本的にオランダ時代のもの。1800年代からはイギリス支配に変わり、港もコロンボ重視となったようだ。この古い町並み、暑いけれども気持ちが良かった。こういう古さが私は好きだ。マカオ歴史散歩をした頃を思い出す。

昼ごはんはオランダ洋式の建物にあるレストランで取る。間口は狭いが奥が深い、確かマラッカに有ったババニョニャハウスに似ている。その奥には中国洋式の小さな中庭がある。中国人が住んでいたのかと聞くと、今でもオランダ人家族の子孫が住んでいるという。歴史が感じられる。

ヒッカドゥア

バスターミナルへ戻り、ヒッカドゥア行きのバスに乗り込む。これは完全なローカルバス。乗った時は人が少なかったが、呼び込みの声でどんどん人が増え、更には動き出してからも次々に乗り込んできて、一炊の余地もない。学校帰りの小学生と親も沢山乗っている。料金は車掌が一人ずつ集めに来る。これは満員の中、大変な作業である。いくらか分からないので100ルピーを渡すと、何か言って行ってしまった。このローカルバスが100ルピーもするはずないと思いながら、なすすべもない。大分たってから車掌が戻り、おつりが渡される。料金は35ルピー、ようはおつりを集めていたのだ。

バスは海岸線を走り気持ちが良い。だが途中から雨になり、かなり激しく降る。その内段々と人が降りて行き、周囲が見えてくる。兎に角コロンボまでの道をひたすら北上していた。スリランカは学校が多い。子供が多いというべきだろう。たった10㎞かそこらの間に一体いくつの学校を見ただろうか。

50分ほどして終点のヒッカドゥアへ到着。最後まで乗っていたのは私の他は一人だけ。完全なローカルバスだった。ターミナルの横に鉄道の駅があったので、ゴール行きの時間を確認すると4時15分だという。ちょうど2時間後であり、いい感じなので、帰りは列車に挑戦する。

ヒッカドゥアの街は昔ヒッピーたちが作ったビーチリゾートだという。今ではいくつかの高級ホテルも建っているが、基本はそれほど高くないゲストハウス。ゴールロード沿いに延々と続く、ゲストハウス。そこを抜けると海がある。格安ビーチリゾートだ。

サーフィンを売り物にして所もある。レッスンを受けないか、と声を掛けられた。日本人も多く来るという。そして私より年上の人々がサーフィンを楽しんでいるともいう。サーファーのにいちゃんは決して無理強いはしない。非常にフレンドリーで好感が持てる。この辺がこのヒッカドゥアのよい所であろう。

北のターミナルから南へゆっくりと30分、帰りもゆっくりと30分歩き、駅へ戻る。切符は40ルピー。ホームは2つある。どちらがゴール行きか分からないが、既に大勢の人が待っていたので一緒に待つ。するとまだ時間前なのに列車が到着。私の切符は2等なので、こちらだと言われる。念のため、「ゴール行きか」と聞くと、いやコロンボ行きと。この辺のいい加減さが何ともおかしい。危うくコロンボへ行く所だった。

列車が行くと寂しくなる。駅員がやって来て話をする。だが途中から「娘が各国通貨を集めているから、日本円をくれないか」とか、ボールペンはないか、と言い出す。この国はまだまだ貧しいのだ、と実感する。

列車は定刻を過ぎても一向に来ない。乗客も寧ろ時間が過ぎてから集まり始める。これではいつ来るのか、と不安になったが、15分遅れでやって来た。しかし今度は2等は一番前の車両になっており、3等車の乗り降りでごった返すホームをかき分けて進むには時間が掛かった。ようやく2等に到着し、乗ろうとしたところで列車が動き出した。辛うじてデッキに滑り込む。

車内はそれほど混んでいなかったが、席は1つしか空いていなかった。自由席であり、そこへ座る。扇風機が勢いよく回り、涼しい。外は何故かまた雨になっている。私の活動時間を知って、天が降らせているようだ。バスで来た道を逆に向かっており、途中で海が見えたりする。僅か15分でゴールに到着。

駅から隣のバスターミナルへ行くと、ちょうどマハラガマ行きのバスが10分後に出ることが分かり、直ぐに公衆電話に走って、スマに連絡を入れる。公衆電話は5ルピー以上入れる。バスは空いており、5時に発車。また高速を戻る。途中で夕焼けが見え、そして辺りが暗くなる。コッタワという場所で降りるように言われていたが、言われた場所ではバスと停まらなかった。スマの運転手が手を振っているのが見えたが、バスが停まったのは1㎞以上先。しかも今度は相当の雨に降られ、這う這うの体で待ち合わせ場所へ。

その夜はスマと運転手が料理を作ってくれた。魚のカレーが実にウマく、何度もお替りした。ゴールやヒッカドゥアなどの海辺に行きながら食べなかった魚を今食べる、不思議だ。夜はスマの大学の宿舎に泊まる。同僚がいないとのことでその部屋で寝たが、蚊が凄かった。良く見ると部屋の上の方が空いており、蚊が入り放題だった。全く寝付けず、苦労した。





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