ヤンゴンの茶商を訪ねて2018(2)大茶商の末裔を発見!

10月6日(土)
大茶商の末裔

朝の目覚めは比較的良かった。今回泊まったこの宿、何となくフランス風の作りだった。トイレとシャワールームのドアが共有で、二人で使う場合はどうするのか、と思うような遊びがあった。こういう作り、嫌いではない。ただWi-Fiの電波は弱く、結局iphoneからテザリングする羽目になる。古いホテルのインフラ、仕方あるまい。

 

朝ご飯は1階で食べる。メインの食べ物はオーダーするが、パンやコーヒー、フルーツは自分で取るスタイルとなっている。30ドルちょっとのホテル代なので、悪くない朝食だ。お客も白人が多く、中国人も少しはいるが、英語を話す人種が大半だった。

 

今回のミャンマー訪問の目的はずばり、『大茶商の末裔を探す』ということだった。ヤンゴンには何度か行ったことがあり、チャイナタウンと思しき場所も訪ねたが、お茶屋があるという印象はなかった。先日のバンコック同様、地元を知り、ミャンマー語を話す人材の助けは必須だった。以前からの知り合いであるTさんにお願いすると興味を持ってくれ、事前調査までしてくれた。

 

その事前調査とは、私が華僑誌で見つけた華人茶商の名前を挙げ、知り合いがその知り合いの華人に伝え、その人がヤンゴンの福建系寺院に問い合わせたところ、何と末裔の電話番号が得られたというのだ。その番号にTさんが電話を掛け、取り敢えずアポイントを取ることに成功したというのだ。こんなとんとん拍子に行くとは思わなかったが、さてどうなるのか。

 

Tさんが車でホテルに迎えに来てくれ、活動が始まった。とにかく指定された寺院に向かう。今やヤンゴンでも車が多過ぎて駐車スペースを探すのに苦労した。その寺院は如何にも福建系であり、入っていくと線香の煙に包まれた。その寄付金のボードに、早くも調査したい人物、張彩雲氏の名前を発見して、テンションが大いに上がる。

 

案内された事務室に入ると数人の老人がいたが、その中に、張彩雲氏の息子、張家栄さんがいた。このお寺、慶福宮の前主任をしていたという。きれいな中国語を話した。この宮も張彩雲がその管理に尽力し、それを三男の家栄氏が引き継いだということらしい。まあとにかく日本人がわざわざ自分の父親の歴史を調べに日本から来た、そして中国語を話したということで、とても喜んでくれた。

 

ひとしきり彩雲氏の話を聞いた。1920年代からヤンゴンで茶業を始め、94歳まで元気で生きており、最後は事故で亡くなったという。ただその一生はかなりの激動であり、如何にも華人という歴史だった。更にはその人生とミャンマー、中国の歴史が密接に絡んでおり、このテーマは茶商の歴史をというより、華僑史、アジア史に直結しており、意味があると思うに至った。尚家栄氏は茶業をしておらず、息子の一人がチャウメイ方面で茶を作っているということだった。

 

続いて、華人図書館に行った。Tさんが探してくれていた場所だった。細い階段を上がると、2階には漢字の本がずらりと並んでいた。係の女性も普通の中国語を話し、親切にも本を紹介してくれる。ヤンゴンの華人に関するものは限られていたが、先ほどの慶福宮の歴史などが分かるものがあり、これをコピーさせてもらうことにする。

 

だが図書室にコピー機はなく、近くのコピー屋に持ち込む。本の持ち出しを簡単に許してくれたのも驚いたが、コピー屋ではコピーが何台かあり、スタッフが1ページずつ丁寧にコピーしてくれたのはもっと驚いた。とても立派なコピーが格安で出来た。さすがヤンゴン。

 

それから彩雲氏が主席を務めたという和勝総公司にも行ってみたが、そこは会社でもなく、何だか結社のような場所だった。そして話を聞くなら、中華総商会に行くように言われる。商会は川沿いの大きなビルだった。いきなり入っていったものかとも思ったが、2階だと言われたのでエレベーターで上に上がる。

 

そこはかなり広い空間であり、時々華人が集まっているのだろう。総幹事の黄さんが対応してくれる。彼は彩雲氏も勿論知っていたし、彼の孫世代とはかなり近しい関係だという。福建系の人々はやはりかなり繋がりがあるようだ。現在ヤンゴンで茶業をしている人は殆どいないことを確認。尚黄さんは旅行社を経営しており、ミャンマー華人の台湾訪問旅などもアレンジしているが、近年は参加者が増えているという。

 

彩雲氏の茶行は五十尺路にあった。五十尺路とはどこにあったのか、その場所も分った。そして茶行の場所に古い建物は無くなっていた。今は家栄氏の息子がプラスチック会社を興し、成功しているらしい。この道、よく見ると、茶荘など色々な商店が立ち並んでいて、面白い。往時は栄えたところだったのだろう。

 

家栄氏に住所を聞いて、彩雲氏の孫も訪ねた。長男の息子さんだった。最初は怪訝そうな顔をしていたが、こちらの意図が分かると、1950年代にナムサン方面に入った時の写真などを見せてくれ、説明してくれた。長男は3年前に亡くなったが、忠実に彩雲氏の教えを守り、細々と茶業を続けており、現在はその息子が引き継いでいた。ここでは水仙茶やジャスミン茶を売っており、なかなかいいパッケージだった。

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